乳の方程式
Part23 非情なる決断
「船長、見たまえ」 オットが落ち着いた口調言い、スクリーンを指差す。
ルウ…オットーの言う『ジャム・クイーン』を中心にして、女達がリング状に並び、会話しているように見える。
「チャン、音量を上げてみろ」
ボリュームが上げられたが、意味のある音声は聞こえてこない。
「ジャム語か?」
「かもしれん。しかし私が問題にしたいのは、さっきまで好き勝手に行動していた『ジャム』共生者が、ルウの指示で秩序を持って行動し
始めた様に見える事だよ」
「だからルウが『ジャム・クイーン』になったと?…だとしてもそれが問題になるですか?」チャンが、スクリーンをOFFにしながら尋ねた。
「ルウを中心にして、『ジャム』と『ジャム』共生者が協力して行動でき、そこにランセン達機関部の知識が加われば…」
「…『ジャム』達がこの船のコントロールに手を出せる様になる、つまり船を乗っ取れると…」 船長が青くなる。
「しかし、やつらは既に船外通信を妨害したり、船内通信をコントロール下に置いているのでは?」とオーナンスキー。
「いや、船を動かすには断片的な知識と技術だけでは無理だ。複数の乗組員が複数の機械を正しく操作しないと」
チャンの意見に船長が同意する。
「ですが、この船は既に最終加速を終えてるぜ?後は地球めがけてまっしぐらに…」
「地球までは後5年はかかる。ほんの僅か進路を揺らせば、この船は地球に戻れん」
「なにぃ…奴ら、俺達を地球に帰るのを妨害する気だと!?」
後ろの方で誰かが声を上げた。
「逆だ」船長は言葉を切り、そして続ける「奴らを地球に近寄らせない為に、俺達か地球の連中が船の針路を変えても、奴らがそれを修
正できる様になると言ってるんだよ」
「…そ、それって…」
「奴らが地球との通信を妨害した理由は多分それだ。地球に行く気なんだ、奴らは」
ブリッジに沈黙が降りた。
『ジャム』が地球に行けば…ここで起こっている事が地球で…
「た、大変だ!」 何人かが騒ぎ出した。 一方で、「それがどうした」と言わんばかりの者もいる。
「お言葉ですがねぇ…そんなに大変なことになりますか?」とスペース・ワーカーのヴッィジェット。
船長はヴィジェットに反論する。
「『ジャム』は知性を持っている。それに、人間を変異させて共生体に…やつらの言葉で言えば『トモダチ』に出来るんだぞ。地球に入れ
たが最後、手に負えなくなる」
ヴィジェット達は、それでも納得できない様だ。
「それよりこれを知った地球が、どう対処するかが問題だ。強制的に進路を変えられるか、自爆させられるか…どっちにしても我々は地球
に帰れない…」
「そんな…」「有り得ん!!」「いや…多分船長の言うとおりに…」
混乱し、わめき散らす乗組員を尻目に船長はオットーに尋ねた。
「オットー、ルウ達を戻せるか、人間に」
「それは…調べてみないと…」
「その時間はない」 ぴしゃりと船長に言われ、オットーは黙った。 その額に脂汗がにじむ。
「…おそらく無理だ」
船長はオットーの言葉を噛み締め、じっと船の壁を睨む。
チャンは思った(バイオセル3の方向だな…)
「バイオセル3を投棄する」 苦い口調で船長が言った。
『船長!?』
「…チャン、バイオセル3に第108タンクを接合し、一緒に投棄する。作業プランを作成しろ」
「108?…船長!?」
「そうだ、レーザ・プラグで重水素に点火、核融合反応でバイオセル3を蒸発させる」
「船長!あれにはルウやマドゥーラが…」
「彼らは死んだ」
「!」
「船長の責任において、生存している乗組員を地球に帰還させる為、汚染されたバイオセル3を焼却処分する」
「な、何も爆破しなくても…」 チャンがかすれた声で抗議する。
「『アップル・シード』を忘れたか。『ジャム』は『ジャム』共生者共々、休眠状態で生き続けることが出来るんだぞ」
「…し、しかし…」
「全責任は俺にある…地獄に落ちるのは覚悟の上だ」 蒼白になった船長は、それでも断固とした口調で言った。
乗組員達はしばらくざわついていたが、やがて汚れ仕事の準備の為に、各自の持ち場に散っていった。
「…」 ブリッジを出るとき、何人かは振り返り、船長を汚いものでも見るような目つきで睨んで行った。
ブリッジは、船長とオットーだけとなった。
「船長」
「考え直せと言うのなら聞かんぞ」
「いや、ベターな案だ」
「ベストじゃないのか」
「どう転んでも犠牲者が出る…」
船長は大きく息を吐いて、ブリッジの手すりに寄りかかって、足を宙に浮かせた。
「…因果な仕事だ…」
「同感だね…」言いながらオットーは考える。
(『ジャム』の生命自体は意外に脆弱なものではないか…あのサイズで知性がある…きっと生命維持を『ティッツマッシュルーム』に頼り、
その分の生命維持の為の臓器を失っているのではなかろうか…)
「なあ、『ジャム』だけを退治できんだろうか?」
「難しいと思う。 まず、マドゥーラやルウ達、『ジャム』共生者が抵抗するだろう…」
「『赤い狂気』…それに取り付かれた『ジャム』共生者は、もはや正常ではない…か」
(狂気…しかし、『ジャム』にしてみればあれが正常なのだ。相手の意思を奪って共生を強制する…しかしその後は、共生体に対して不利
益な事はしない…)
「ふんむ…まぁ人間もある意味まともとは言い難いが…」
(…そうだ、知恵を持っているはずなのに、結局後先考えずに自分達の住処を壊そうとしている人間達。他の動物を家畜化して、その生
命を自分達の目的に使用する人間達… これでは『ジャム』の方がましではないのか…)
オットーは自分の考えが危険な方向に向かい始めたのに気が付いて、身震いした。
(いかんいかん。私らは人間なんだ。 そして『ジャム』共生者は人間としての心を失っている…その一点を考えても、『ジャム』のやる事
は許せない、許してはならんのだ)
”船長…”チャンが、皆が作業準備に入ったことを伝えた。
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