乳の方程式
Part12 オットー・レポート
「南極で『アップル・シード』が見つかったのは30年前だった…」 オットーは観念したように語り始めた。
「衛星軌道天文所が捕らえた隕石の回収に向かった探検隊が、雪原の上で見つけたのだよ…」
地球で回収された『アップル・シード』は内部まで焼け焦げ、『ティッツ・マッシュルーム』も一部の組織を除いて炭化していて、焦げた木の
破片にしか見えなかった…ある一点を除いて。
「石板?それが中に?」
「そう、細かい模様とも文字とも付かぬものが、無数に刻まれた石の板が積まれていたのだよ」
回収された『ティッツ・マッシュルーム』の組織は培養され地球外生物である事が確認された…しかし、地球の菌類とそう変わらないとされ、
石版ともども単なる研究材料となった…
「戦争が近かったからな…」
当時すでに資源争奪戦争が避けられぬものとなっており、宇宙カビの発見など発表してもつまらない混乱を引き起こすだけ。 こうして世紀の
大発見は発表されることもなく、一部の学者の手で細々と研究が続いた…
が、それも長くは続かなかった。
「研究施設が戦争で破壊され、『ティッツ・マッシュルーム』の最後の一片も焼失、研究データだけが残された」
「愚かな話だ」 船長が吐き捨てるように言った。
「同感だ。神はその愚かさに罰を下された…戦争後、ついに石版の解読に成功したのだよ、断片的にだが」
「ほう?それは凄いな」素直に感心してみせる船長に、オットーはコンソールの表示を見せた。
『…遥かな旅路の為に、失いし形…新しき友…捜し…贈り物。それは永久の喜び、久遠の命…』
「前言を取り消す」額を押さえる船長「これで解読したといえるか」
「第一抽象的な言葉ばかりじゃないですか?」とチャン副長「未知の言葉なんでしょう?具体的な名詞などを手がかりに解読されていくも
のでしょう?」
「その通りだが…」口ごもるオットー「戦後になって、ある大学…そうマジステール大学のデータベースから、石版の文字と良く似た系統
の文字の辞書が見つかってな」
「ちょっと待て。じゃああの宇宙人は、以前から地球に来ていたと?」
「さて、それは判らん。その辞書の著者ランデル…」
話を続けようとするオットーを船長が遮った。
「オットー、それはいい。それより石版の解読がどうして『神の罰』につながるんだ?」
「ああ。それは石版の『永久の喜び、久遠の命』というくだりだ。これを誰かが『不老不死』と解釈した」
「…」
「それを前提に、残された『ティッツ・マッシュルーム』の内部構造、記録、ラット実験の結果を調べてみると…」
「『ティッツ・マッシュルーム』が『不老不死』の源だったとでも」呆れた様に船長が言った。
「その通りだ」あっさり肯定したオットー。「それが先に判っていたら…何が何でも『ティッツ・マッシュルーム』のサンプルは守られたろうな」
その場に居た全員がげんなりした様子になったが、それも無理もない事だろう。
彼らは宇宙の果てで、謎の宇宙人と宇宙生物に襲われている最中に、夢物語としか思えないような事を大真面目に聞かされているのだ
から。
しかしオットーは意に介していない様子で語った。
『ティッツ・マッシュルーム』がら抽出された成分を与えたラットの細胞データを精密に検証した結果、それが若返っていたことが確認され
たと。
そして大型の『ティッツ・マッシュルーム』は、宇宙人の体を長期の宇宙旅行に耐えられるように変容させて保管、生命を維持するカプセル
であると考えられた。
「…体の水分をほとんど抜いた状態でね」
「『コールド・スリープ』ならぬ『フリーズ・ドライ・スリープ』か…確かに水で戻せたようだが…」
「いや、戻ってはいないはずだ」
「ん?」
「元の宇宙人の体を『素体』とするならば、まず『フリーズ・ドライ・スリープ』に耐えられる『第一次改造体』に変わり、長期旅行中は『ティッツ・
マッシュルーム』の中で保管される『第二次改造体』に変わる。以後はこの二つの状態のどちらかになるはずだ」
「すると…バイオセルの中の三人は今は『第一次改造体』なのか?」
「おそらく」
「じゃあ、バイオセルを乾燥させれば…また『第二次改造体』に戻るかも」
チャンの提案に何人かが頷いた。
「まて、今問題なのは宇宙人じゃない。女性クルーに取り付いた『ティッツ・マッシュルーム』、取り付かれておかしくなった女性クルー、
そして一部の男性クルーだ」
船長が指摘する。
「あれはどういうことだ?今の話で説明が付くのか?」
「それは…」オットーが言いよどんだ。「あくまで可能性だが…」
「かまわん、話せ」
「『ティッツ・マッシュルーム』が我々の調査通りの物だとして…機能を喪失していないとすれば…クルーに対して『第一次改造』を施そうと
しているのでは…」
「まさか!?我々を宇宙人に改造する気なのか!」チャンが愕然とした。
他のクルーも慌てた様子になり、勝手なことを口走り、一部の者はオットーに詰め寄った。
「まて」船長が、ことさらに落ち着いた口調で静止した。「我々を改造する理由が宇宙人側にあるのか?」
「それは、判りませんが…」とオットー。「この船を乗っ取っとろうとしているのかも。あるいは『ティッツ・マッシュルーム』が勝手に動いてい
るとか」
「うーん…待てよ、パパガマヨはどうなんだ?あいつは『ティッツ・マッシュルーム』がくっついていた訳ではないぞ」
「そんな事はどうでもいいでしょう!」チャンが憤然と叫ぶ。「まず皆を助けましょう!」
「うむ。オットー、マドゥーラ達は元に戻せるのか?」
「判りません…やはり胸に吸い付いている『ティッツ・マッシュルーム』を引き剥がすしか」
「下手をすればヒッグスの二の舞か…防御は宇宙服で何とか成るが…武器がないな」
「電子ビーム溶接機を改造しては?電源を宇宙服のバッテリとハイパー・キャバシタから取れば電気ショックガンにできると思います」
「痛い思いをさせる事になるが…仕方ないか」
その時、ブリッジに数人のクルーが飛び込んできた。 宇宙服を着ているところを見ると、船外を通って来た様だ。
「船長!」
「ブッチ、やっと…他のものは?」
「それが…居ないんです!ランセン技師長、ティンダ…ルウも」
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