第二十五話 ART

 11水


 ヒロシは部屋を飛び出し、ホテルの中を駆け回った。

 「大変だ! おい、タカシ! ミヤビ! ノブオ! どこだ!」

 階段を駆け上がって3Fにあがり、ドアを片端から開けていく。

 「騒がしいわ」

 303号の扉が開き、赤毛の女性、レイが顔を出す。

 「ノブオとミヤビはどこだ! ここに来たんじゃないか!」

 「いるわ。 いえ、いたわ」

 そう言ってレイは扉を開く。 不吉なモノを覚えて中に飛び込んだヒロシは、蠢く巨大な性器を目にして凍り付いた。

 「ば、化け物……」

 「ひどい言い方ね。 お友達なんでしょう?」

 背後のレイの言葉に、ヒロシは目を見開いた。

 「……何を言っている……」

 「ノブオさんとミヤビさん? だったかしら」

 ヒロシは恐怖の表情で振り返る。

 「あの二人だと…これが? 馬鹿な」

 ”ああっ……ミヤビ”

 ”ノブオ……”

 巨大な性器が呻いた、聞きなれた二人の声で。

 「う……ぁぁぁぁぁぁぁ」

 ヒロシは叫んで部屋を飛び出し、階段を駆け下りる。 転げ落ちなかったが奇跡のような勢いだった。

 
 「タカシ! タカシ! どこだ!」

 叫びながら廊下をかける。 101と書かれた扉が開き、人影が出てきた。

 「タカシ!?」

 シャツを羽織っただけの人影は、紛れもなく『タカシ』の顔をしていた。

 「よかった無事だった……か?」

 『タカシ』は無言でシャツをはだけた。 筋肉の浮き出た胸板に、ヒロシが目を見張る。

 「お前……どうした」

 ”どうだ? 逞しい体だろう? こんなこともできるぜ”

 『タカシ』はにやりと笑う。 胸板の筋肉がバターのように溶け、丸い泡のように膨らんでいく。

 「いっ……」

 『タカシ』は膨らんだ胸を持ち上げながら、妙にしなやかな動きで体を揺する。 がっしりしていた方が丸みを帯、しまっていたことの辺りがボリュームを増す。 

一分も立たぬうちに、『タカシ』の体は男から女に変貌を遂げていた。

 ”どう? まだ慣れてなくて……”

 艶っぽい声で『タカシ』がこちらを見つめた。

 
 「まだまだねぇ。 デッサンが来るってるわよ」

 101号室から若い女の人が出てきて、女になった『タカシ』をじっくりと眺めている。

 ”ひどぉぃ……”

 『タカシ』が文句を言う。 唖然としていたヒロシは、その声で正気に戻った。

 「あ、あんたが『タカシ』を! いや、タカシだけじゃない! ノブオ!ミヤビ!サキ!ミキ! 皆に何をした!」

 激高するヒロシと対照的に、キョウコは平然としていた。

 「私たちはきっかけを与えただけ……皆、望むモノに代わっただけ……」

 「望むモノだと!」

 キョウコはヒロシの大声に顔をしかめた。

 「そうよ……貴方のお友達は、自分がそうありたいと願い、そのモノへと変わった……彼は」

 キョウコは『タカシ』の肩に手を置いた。

 「女を思う存分抱きたいと願い、その体になった。 今度は、女になってみたいと思ったようだけど」

 『タカシ』がクスリと笑う。

 「ば、ばかな……ノブオとミヤビは!? ふ、二人はでっかい……男と女のモノに変えられていたぞ!」

 「心の底では結ばれたいと思っていたんじゃないの、二人とも? タガが外れて、そのモノになっちゃったんでしょう」

 ヒロシの顔に、恐怖と怒りが交錯する。

 「ミキとサキは!? て、天使と悪魔に……なってしまった……」

 「双子だったっかしら、あの子たち? 多分、別のモノに、正反対のモノになりたいと、そう思っていたんじゃないかしら」

 こともなげに言うキョウコに恐れを覚え、ヒロシは一歩後ずさった。

 「お前は……いやお前たちはたちはなんなんだ! 悪魔なのか……」

 キョウコの顔から表情が消えた。

 「私達は貴方と同じ、ただの人間よ」

 「ただの人間にこんなことができるか!」

 叫ぶヒロシの前で、キョウコは手に持っていたペットボトルを逆さにした。 なかから透明な水が流れ落ち、床を濡らす。 キョウコの行動の意味が判らず、

ヒロシはさらに一歩引いた。

 「ごらん」

 キョウコが床に流れた水を指さした。 床にこぼれた水は、あまり広がらずに塊になり、壁の方に動いて、それから壁を上り始めた。 まるで生き物のような

その動きに、ヒロシを目を剥いた。

 「なんだこれは……」

 「さぁ……なんなんでしょうね。 味は水そのものだけど」

 「味? あんたあれを舐めたのか?」

 「舐めたどころか、飲んだわ。 知らず知らずのうちだけど」

 ヒロシはその『水』の動きを目で追っている。 壁を上り天井を伝い、反対の壁を下りてくる。 生き物のようだと思ったが、意思があるようには見えず、

勝手気ままに動いているようだ。

 「これを……飲んだのか」

 「ええ。 別にお腹が痛くなるとかそう言うことはなかったわよ。 ただ……」

 「ただ?」

 「なんというか、気分がすっきりしたわ」

 キョウコは壁を下りてきた水をペットボトルで受け止める。

 「私達はね、みんな売れない作家だったの。 それで、ここにこもって、何とか腕をあげよう、殻を破ろうとして、それはもう悩んでいたのよ。 でも成果は

あがらず、ここに火をつけようかというぐらいまで追い込まれていたわ」

 キョウコはクスリと笑い、窓枠に腰かけた。

 「それがある日、渓谷に言っていた彼が『おいしい水』があったと言っこれを持ってきたの。 これを飲んだら、ウソみたいに気分がすっきりしたわ」

 ヒロシは、彼女の手にあるペットボトルを見つめる。

 「それだけか? こんな変な水を飲んで、気分がすっきりしただけだと」

 「焦らないで」

 キョウコは口元だけで笑って見せた。

 「創作に没頭していたある日、気がついたのよ。 自分たちの体が前と変わってきていることに」

 キョウコは自分の手を窓に向け、日に透かすようにした。

 「気分だけじゃなかった。 不健康な生活でボロボロだったはずの体調が、すこぶる快調になった。 睡眠も、空腹も感じなくなってきた。 そして……みて」

 キョウコが胸をはだけた、胸元の深い谷間が露になり、ヒロシは目をそむけた。

 「何をみろって言うんだ」

 「あたしは乳がんで片方の乳房を失ったの」

 ヒロシはキョウコに視線を元した。 成形手術した痕跡は見えなかった。

 「そうはみえないけど」

 「元に戻ったのよ、あの水を飲んでいるうちに そして、私達は気がついたの。 あの水を飲んだ人は、自分の体を変えることが出来ることに」

 「ばかばかしい」 ヒロシは吐き捨てるように言った。

 「だからだと? タカシがそんなになったのも、ノブオが、ミヤビが、ミキとサキがああなったのも! それを望んだからだと!」

 「望む形があっても……ソノカタチヲツクレルトハカギルマイ……」

 キョウコの声の調子が変わった。 ヒロシははっとして、キョウコとその手にしたペットボトルを交互に見る。

 「おい……それ……」

 ペットボトルのなか、水がゆがみ何かの形が見える。 明らかにただの水ではない。 そしてヒロシは気がついた。 しゃべっているのはキョウコではない。 

彼女の中にいる『水』だ。

 「お前は……彼女の中にいるのか? お前は何なんだ!」

 キョウコが無表情に答える。

 ”ワタシハ水……ナガレ、クダリテ、タユタウ水……タダ……”

 「ただ、なんだ」

 ”ワタシニハ意識ガアル……意識ヲモツ『生きている水』……ソレガワタシ”

 「『生きている水』……だって?」

 ヒロシは、ペットボトルの中の歪みに人の顔に見えることに気がついた。

 (馬鹿な……)

 ヒロシの背筋に冷たいものが流れた。
    
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