第二十一話 骨喰の宿

28.格安の宿 その拾壱


 時系列はやや遡る−−

 麻美が部屋を後にした時、TVの中では井戸の中から白い手が、そして何かが現れようとしていた。

 「……」

 息を呑むスーチャン。 

 ゴボッ……

 くぐもった音がして、黒く長い髪の女がずるりと井戸から現れる。 女は手を地面につけ、体を井戸から引き抜いた。

 ズチャッ……

 井戸から這い上がった女は、四つん這いの格好のまま、全身から水を滴らせてこちらへ、スーチャンの方へと近づいてきた。 そしてTVの向こうから手を

差し出す。

 ズ……ルッ……

 「!?」
 女の手がTVの画面を突き抜け、こちら側に出てきた。 あり得ない光景に、スーチャンが後ずさる。 その彼女を追うように、黒髪の女の頭が、肩が……

TVの中からこちらに抜け出してくる。

 「ヒッ!」

 スーチャンが小さく叫んだその時、彼女の背後から黒い影が2つ飛び出し、スーチャンと黒髪の女の間に割って入る。

 「きぃっ!?」

 黒髪の女が息を漏らし、動きを止めた。

 チャ……チャチャンチャ、チャンチャンチャン!

 2つの黒い影が鈍い音を立て、黒髪の女を威嚇する。 影の正体……それは地上最大の甲殻類、ヤシガニだった。

 「ぎっ?……」

 突然現れた邪魔者に、黒髪の女が不快そうに歯を軋らせた。 彼女が知る由もなかったが、このヤシガニたちはスーチャンと縁のあるヤシガニ王女から

派遣されたヤシガニ・シークレットサービスで、スーチャンを陰から護衛していたのだった。

 チャチャンチャ、チャンチャンチャン!

 二匹のヤシガニは黒光りする鋏を振りかざし、黒髪の女からスーチャンを守っている。 黒髪の女はヤシガニたちを迂回しようと、四つん這いのまま右へ

左へと行ったり来たりしている。

 「ぎっ……ぎっ?」

 不意に黒髪の女が動きを止めた。 長い髪をたらした頭を傾け、スーチャンの顔を凝視したままフルフルと震え出した。

 チャチャッ……

 女の様子が変わったことに気が付いたヤシガニたちは、鋏を止めて互いの目を見合わせた。 そして背後のスーチャンに視線をやる。

 「?」「??」

 スーチャンは怯えた様子で身を縮めているが、他に変わった様子はなかった。 ヤシガニたちにとっては。 しかし、黒髪の女にとってはそうではなかった。

 「ぎ、ギ……キャーーッッ!!」

 黒髪の女は悲鳴を上げる。 まさにその瞬間、エミたちが部屋に駆け戻ってきたのだった。

 
 「スーチャン!」

 がらりと襖を開けてエミが部屋に飛び込む。 彼女が目にしたのは、怯えてへたり込むスーチャン、その前で守りを固めるヤシガニたち、そしてその向こうに

いる黒髪の女。

 「あんた、誰!」

 エミの誰何の声に驚いたのか、黒髪の女はTVの中に飛び込み、さらに画面の中で井戸に身を躍らせる。

 「ヒィー!」「スーチャンがぁ!」

 背後で上がる麻美とミスティの悲鳴にエミが振り返った。

 「スーチャン大丈夫っ……ってぇ!?」

 今度はエミが悲鳴を上げかけた。 

 「スーチャン……その顔は……」

 悲鳴があがるのも無理なかった。 スーチャンの顔には、目が2つ、鼻が1つ、口が1つ、ちゃんと備わっていた。 ただ数は正しかったが、その位置が

おかしくなっていた。 額に口が、鼻はさかさまに、そして目は……右と左の頬を行ったり来たりしている。

 「……」

 3人が絶句するなか、ガチャンと音がしてビデオが停止した。

 

 「大丈夫、落ち着いて……ね、スーチャン」

 「そうそう、落ち着いていれば可愛い顔なんだから」

 顔を伏せて落ち込んでいるスーチャンを、エミと麻美が慰めている。

 「別にスーチャンの顔が変になったわけじゃなくて、あの呪いのビデオに驚かされて『変身お面』がおかしくなっただけだから」 エミの言う通り、『呪いの

ビデオ』に驚かされたスーチャンは『変身お面』の制御ができなくなったようだった。 結果として顔のパーツが妙な位置に移動し、それに仰天した黒髪の

女が逃げ出したらしかった。

 「はっはっはっ、あの顔じゃ『呪いのビデオ』も裸足で逃げ出すわねぇ。 あれならのっぺらぼうの方がましかも〜♪ あ痛!」

 無神経な言葉を吐くミスティをエミが叩く。

 「傷ついている女の子に何いってるのよ! あんたは」

 落ち込むスーチャンを、今度は麻美とヤシガニたちが慰めている。

 「でも、ヤシガニさんたちは何で驚かなかったのかしら?」

 「美醜の感覚が違うから……というより種が違いすぎて、わたしたちの口や鼻がどれか判っていないんじゃないの? 私たちだってカニの顔の口がどう

なっているのか判らないでしょ?」

 「そうねぇ。 魚の顔ぐらいは判るけど、虫やカニの顔って」

 「よっくわっかりませんねぇ。 あははははは」

 笑い飛ばすミスティだったが、スーチャンの精神的ダメージは大きいようだった。

 
 「ところで、この『呪いのビデオ』はどうする?」とエミ。

 「どうするって? 宿の備品だし、返しちゃおうよ」と麻美。

 「んー、その前にぃ。 スーチャンの敵討ちしない?」とミスティ。

 「敵討ち?」

 ミスティがうんうんと頷く。

 「脅かされっぱなしというのも、癪に障るしぃ」

 「いや、どちらかと言うと、あちらの方が驚いているような……ああごめん! スーチャンの顔が怖いわけじゃないから!」

 落ち込むスーチャンに麻美が謝り、再びこちらを向いた。

 「そもそもこのビデオって、この後はどうなるのかしら? 映画の通りだと、呪い殺されるんじゃないの? そんな危険なものこれ以上見なくたっていいん

じゃないの」 と麻美。

 「ちょっと待って。 スーチャンが一度見ているから、スーチャンが呪われてしまった可能性があるんじゃないかしら」

 エミがそう言うと、ミスティが考え込む風になった。

 「んと……ビデオを返してもスーチャンが呪われ続けるということ?」

 「ええ。 例えばスーチャンがTVをつける毎に、あの女が出て来るとか」

 「そしてスーチャンを呪うの?」 と麻美が嫌そうに言った。

 「どうなるか判らないわ、情報がないし。 ただ、このビデオは宿を離れる前に返さないといけないでしょ? 今のうちに調べられるだけ調べないと」

 「どーせ、こっそり帰るんだから、ビデオも持って帰って、そこで調べたら?」

 あくどいことを言うミスティに、エミが反論する。

 「持って帰れなかったら? あるいは、持って帰って再生したら全部消えていたら?」

 しばらく3人は話し合っていたが、麻美とミスティがエミに勝てるわけもなく、『呪いのビデオ』を再生してみることに決まった。 「再生してあの女が出て

きたらどうするの?」と麻美。

 「とっ捕まえて、スーチャンをどうするつもりだったか聞き出しましょう」とエミ。

 「呪いを捕まえるの? 捕まえられなかったらどうするのよ……」

 不安そうな麻美だが、エミは構わずにビデオの再生ボタンを押した。

 ガチャン……ウンウンウンウン……

 「あら?……唸るだけで再生されないみたい」

 ウンウン……ガチャン

 音を立ててビデオが止まってしまう。 エミはテープをエジェクトし、再度挿入して再生する。

 ガチャン……ウンウンウンウン……ガチャン

 「やっぱり駄目?……あら?」

 エミが不審そうにビデオに触れた。

 「なんか震えてない?」

 エミに言われて耳を澄ます麻美とミスティ。

 カチカチカチカチカチカチ……

 小さな音を立ててビデオが震えている。

 「故障かしら」

 「いや、これはきっとスーチャンに脅かされて震えあがっているに違いない!」 とミスティが断言する。

 「うそ……」

 「いや間違いない! 根性なしの呪いよねぇ」 あざけるミスティ。

 カチカチカチ……ピタ

 「はっはっはっ、女の子に脅かされて引きこもるとは、情けないったらありませんねぇ♪」

 ……

 「悔しかったら出てきてごらん♪」

 ガッチョン……

 「あ、再生がはじまった……」

 「呪いを怒らせてどうするのよ!あんたは!」
       
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