第二十一話 骨喰の宿

12.赤鉄の宿 その捌


 「こんたらもんでよかんべか」

 体をきれいに洗った弟は、すっくと立ちあがって湯に近づき、手桶で湯をすくってかけ湯をした。 そして、いざ湯に足を踏み入れた途端。

 ザッパーン!!

 盛大な水しぶきを上げ、河童の『かーちゃん』が姿を現し、両手を上げて威嚇の格好を取る。 弟は目をまるくし、棒立ちになってて『かーちゃん』を見ている。

 「……あれまぁ。 これは魂消ただ」

 そう呟くと、突然拍手を始めた。

 「……?」

 弟の予想外の行動に、今度は『かーちゃん』が面食らう。

 「なんで、手打ちなどするだか?」

 「いやぁー。 こんただ綺麗なおなごさ見るのは初めてだで。 はぁ、思わず手ぇ叩いてしまっただ」

 きょとんとした『かーちゃん』は、次の瞬間真っ赤になる。

 「き、綺麗なおなごって、わっちのことだか?」

 「んだ、他にはいねえでないか」

 「そ、そんななぁ……」

 真っ赤になった『かーちゃん』は、もじもじと身もだえして恥ずかしがる。 『かーちゃん』の背後の湯の中には、続いて飛び出そうと湯女たちが控えていたが、

予想外の展開に飛び出す機会を失い、相談を始めた。

 ”なんだかおかしなことになってません?”

 ”んー、そうですわね”

 ”少し、様子を見ましょうか”

 「しっかし初めて見ただが、おんし河童け?」

 「んだ。 近くの瀬に住んでる河童の『かーちゃん』だな」

 「ほー、やっぱり河童け。 どうりで水の中から飛び出すところが、すんごく綺麗だったなや」

 褒められて気を悪くする人はいないし、それは河童も同じだった。 『かーちゃん』はうれしそうな顔で弟に聞き返した。

 「そうけ? 水の中から出る所がよかったかや?」

 うんうんと頷く弟に、もう一遍やって見せようと『かーちゃん』は言って水の中に身を躍らせた。

 ……ザッパーン!!

 「おおっ!!」

 ……バッシャーン!!

 「これはすごいだ!!」

 ……ドバシャーン!!

 「やんやんやん!!」

 
 さて宿屋の奥座敷では、うわばみ女将が舶来物の眼鏡なぞかけ、パチパチと算盤をはじいてたりなんかしていた。

 「ふんむ。 人間を誘い込むためとはいえ、やっぱ人間向けの建物は維持管理に手間暇がかかるわねぇ……あら?」

 ドタドタドタッとすごい足音が湯殿の方から聞こえてきた。 顔を上げると、薄暗い廊下を素っ裸の弟がこちらにかけてくるではないか。

 「あの娘ら、しくじったね」

 舌打ちしながら、弟を捕まえるため立ち上がる女将。 しかし、弟は女将の姿を見つけると、自分から駆け寄ってきた。

 「逃げ出してきたんじゃないのかい?……お客様、慌ててどうなされました?」

 「お、お女将さん! か、か、河童……」

 「まぁ、河童でもでましたか?」

 「河童さんが湯あたりでのびちまっただ!」

 「はぁ?」

 
 弟に手を引っ張られ、女将が湯殿に来てみると、茹って真っ赤になった『かーちゃん』が板戸の上に寝かされ、湯女たちが介抱していた。

 「え? 『かーちゃん』の泳ぎをお客様が褒めて……調子に乗って泳いでいたら、茹ってしまった?」

 いきさつを聞かされたうわばみ女将は、額を抑えた。

 「『かーちゃん』は冷たい山の渓流に住み着いている河童じゃないかい。 うちの温泉みたいに熱い湯につかっていたら、そりゃあ茹っちまうだろう」

 「そこまで……」

 「気がまわらなくて……」

 「『かーちゃん』も調子に乗って……」

 言い訳をする湯女達と真っ赤になって目を回している『かーちゃん』を交互に見ながら、うわばみ女将はため息をつき、弟に詫びた。

 「すみませんねぇ。 うちの者がご迷惑をおかけして」

 「いや、迷惑だなんてとんでもねぇ……ところで、ちょっくらお尋ねしたいんだが」

 「はい?」

 「兄貴をしらねぇだか? 先に湯に入りに来たはずなんだけど……」

 弟の問に、湯女達と女将の気配が変わった。 女将はすーっと音もなく弟の背後にへと動き、湯女達は顔を一度見合わせてから、意味ありげに笑う。

 「お兄様は……」

 「私どもの湯加減がたいそう気に入られまして……」

 「この様に……」

 湯女の一人が立ち上がり、見事な肢体を弟に見せつけるようにした。 と、その滑らかな腹が異様な形に盛り上がり……人の顔の形に、彼の兄貴の顔に

なった。

 ”……ぁぁぁぁぁ……”

 湯女の腹の上の兄貴の顔は、呻きとも喘ぎともつかぬ声を上げた。 それを見た弟の顔から表情が消える。

 「……」

 沈黙した弟の背後から、女将が忍び寄ろうとしたとき、弟が湯女の腹の兄貴に向かって口を開いた。

 「あんちゃん。 そこは居心地よさそうだやな」

 ”……ぁぁぁ……たまんねぇぞ……”

 「そうか……それなら……よかっただな」

 弟の最後の一言に、今度は女将と湯女達が驚愕する。

 「よ、よかったって……」

 「そ、それでよいのですか?……」

 「お、お兄様が私どもの……その……虜になったというのに……」

 「なんというか……あまりに冷たいのでは?……」

 弟は一つ息を吐くと、悠然と応える。

 「よく言われるだ。 『お前は、見かけより冷たい男だ』と。 だから……温泉に温まりにきただよ」

 『あらあら』

 変なところに落ちをつけられ、女将と湯女たちは顔を見合わせた。

 
 「それでは、ここに来た時にこうなることは覚悟していたと?」

 「んだ」

 弟は女将や湯女達に意外な話を始めた。

 「兄貴とおらは、庄屋様の小作人だったんだが……今年から年貢の量が増えることになっただ。 んときに『おめぇは体が大きいから、人より大飯を食う。 

その分、年貢の多く納めるだ』って言われてな。 しっかし、体はおおきくても田んぼの広さが変わらなきゃ、取れるお米り量は変わるわけがねぇ。 どう

考えても、決められただけの年貢を納めるこたぁ無理だっただ」

 「……人間の暮らしは良く判りませんが、かような事情であれば『年貢を納めるのは無理』と申し立てればよいのでは?」

 しごくまっとうなうわばみ女将の質問に、弟が苦笑する。

 「妖の方が筋の通った話するんじゃ、人の立つ瀬がないだな。 まぁ、庄屋様もお代官様からきつく言われ、そのお代官様の奉行様から……の様な話

だったらしいだ。 そうなると、話をしたってらちがあかねぇ。 後はやけっぱちで一揆を起こすか、逃げ出すか……が、どっちにしても取っつかまって、見せ

しめにこれだな」

 弟が喉をかき切る仕草をして見せた。

 「そん時だ、『骨喰いの宿』の話さ思い出したんは」

 「……この宿の?……」

 弟は頷いた。

 「男さとっ捕まえて、下の口で喰っちまう鬼女やうわばみが居るって話だっただ。 そん時に、男によく効く酒さ出すっつうから、その酒さ手に入れて売っ

ぱらえりゃ、はぁ、とりあえず今年は乗り切れるだろうし、しくじっても妖に喰われても、代官様あたり取っつかまってさらし者にされるよりはましだろうって

な……んだから、兄貴はそうなっちまったけんど、もともと覚悟の上の話だ。 いまさら怨みには思うわねぇだよ」

 「……前向きなんだか、後ろ向きなんだか……」

 「いろいろとご苦労がおありの様で……」

 思わず同情してしまううわばみ女将と湯女達であった。

 「ときにお客様。 ちとお尋ねしたいことが」

 「なんだべ?」

 「失礼ながら、お客様はこちらに来られた時、ずっと……その薄ら笑いを浮かべておられて。 少々、その……」

 「寸足らずにみえたってか?」

 笑いながら弟が答える。

 「おら、この体だ。 人より力があるだろうと、餓鬼んころから力仕事や面倒事を頼まれることが多かっただ。 だから、体は大きくても、頭の中は空っぽだ

と思われた方が良くってな。 もっとも、ふりをするまでもなく、頭が回る方でもなかったけどな」

 「意外に曲者でしたのね……」

 「兄様よりこちら様の方が知恵があるんじゃ……」

 湯女達が弟を再費用化していると、『かーちゃん』が、がばと跳ね起きた。 そして真っ赤になった自分の体を見て。

 「う……うぇーん!!」

 突然、大きな声で泣き出した。
   
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