第二十一話 骨喰の宿

5.赤鉄の宿 その壱


 赤鉄色のロウソクの前に、二番目の語り手の兄弟たちが札を出した。 最初の若者が見せたものと同じ様に見える。

 「……あんたたちも、この札を読んだのか?」

 滝が尋ねると、兄貴の方が頷いた。

 「おお。 ま、俺らはこの札の噂は聞いていたんだがな。 それが本当か、ひとつ確かめてやろうと思って行った訳よ」

 「うへへへ……」

 兄貴の後ろで、弟がうすら笑いを浮かべている。

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 「へへへ……あんちゃん、あの鳥居じゃないかい?」

 弟が指さしたのは古びた鳥居だった。

 「おう! きっとあれだ!」

 兄貴が鳥居めがけて駆け出し、弟が後に続いた。

 「おう! 見ろや、噂通りに札が貼ってあらあぁ」

 兄貴が鳥居に貼られた札を示し、弟がそれを覗き込む。

 「ほんとだよ。 難しい字がいっぱい書いてある」

 「阿呆! 字ってものはな、たいてい難しいもんだ。 噂ではな、この札の字を読むと『骨喰の宿』への道が開けるらしい」

 兄貴の言葉に、弟が笑いを消して尋ねる。

 「『骨喰いの宿』なんて、恐ろしげな名前だけどな。 あんちゃん、本当にそんなところに行くんか?」

 「おうよ。 噂ではな、この百年ほどの間に十を下らぬ旅人が、その『骨喰の宿』に迷い込み、誰一人として帰ってこなかったらしい」

 「誰一人帰ってこないのに、なんでそこに迷いんだことが判るんだ?」

 しごくもっともな弟の疑問に、兄貴は黙ってしまう。

 「……う、噂ってのはそういうもんだ。 とにかくだ、誰も帰ってこねぇのはだなぁ、そこの女将や女中が『うわばみ』の化身で、迷い込んだ旅人を食っち

まうかららしい」

 「そいつはおっかねぇだ!!」

 弟が巨体をブルブルと震わせた。

 「あんちゃん、なしてそんなところに行くだ?」

 「馬鹿野郎! 先に言ったろうがよ。 そこのうわばみどもが作る酒は、すごく精がつくらしい。 なんでも百を超えた爺様でも、十八の頃並みにアレが

立つとか。 だからな、金持ちの爺いが目の色変えて欲しがるんだよ。 一升で百両出すって奴もいるらしい」

 「百両! そいつはすげえや」

 「おうよ。 だからなんとかしてそれを手に入れても金持ちの処に売りに行きゃあ、もう叩き大工なんてやらなくても左うちわで暮らしていけるってもんだ」

 「うん、そだな。 あんちゃん、随分と詳しいだなぁ」

 「おう、あくまで噂で聞いただけだがな。 しかしおめぇ、一升で百両だぞ百両! もし一樽手に入れてみろ! 千両箱で蔵が立つぞ!」

 「おおう、それは凄いだ……けど、あんちゃん」

 「なんでい」

 「誰も帰ってはなかったわりには、そのうわばみの酒の話、随分詳しく噂になってるだな」

 「……き、きっと一人ぐらい帰ってきたんだろうよ!」

 弟の突っ込みにしどろもどろになりながらも、欲に目がくらんだ兄貴は初志貫徹とばかりに、鳥居の札を読み上げる。

 「えーと……『ま』……次は……『じ』……で次はと、読めねぇから飛ばして……『す』……んでもって……『て』……次はやさしいな……『い』……よしこれ

で最後だ……『る』っと!」

 どうだと胸を張って鳥居を見上げる兄貴だったが、こんな読み方で何も起きるわけがなかった。

 「何も起きねえじゃねぇか!」

 「あんちゃん、読んでる途中で別の言葉挟んじゃ駄目じゃねえのか? それに、一文字ぬかしたろう」

 「なにおぅ! じゃ、手前読んでみろ!」

 「うん。 『まじすている』」

 ごおっーと風が鳥居の中を通り抜け、二人は思わずしゃがみこんだ。

 「お、おめぇ難しい字だって」

 「読めねぇとはいってないだ」

 そう言いながら、二人は立ち上がって辺りを見回す。

 「こ、こいつは」

 「あ、あんちゃん……」

 辺りの様子は一変していた。 鳥居が立っているのは変わらないが、その先に道が現れ、その先に一軒の農家が立っていたのだ。 そして鳥居の反対

側には何もない。 さっきまで彼らが歩いてきた道があったはずなのに。

 「どうしよう……」

 「どうしようったって、こうなったら仕方ねぇ。 あそこの農家が『うわばみの宿』に違ぇねぇ」

 「『骨喰の宿』じゃなかかったのけ?」

 「……に、似たようなもんだろ! あそこに行って泊まるふりをして、隙を見て酒を持ち出すんだ!」

 「その後は? ここからどうやれば帰れるだ?」

 「そんなことは、逃げ出してから考えればいいんだ!」

 「先に考えとくべきじゃねぇのかなぁ……」

 弟は呟いたが、別にいい考えがあるわけではもなかったので、兄貴の後をついて農家に向かった。


 「おぅ、ごめんなさいよ」

 「はい、どちら様ですか」

 農家の中から出てきたのは、鮮やかな紅色の着物を着た妙齢の女性だった。

 「うわぁ……お姉さんが『うわばみ』だか?」 

 弟の言葉に兄貴が慌てたが、女性は手を口に当てておかしそうに笑った。

 「あらあら、面白い方達ですわね。 私、それほどご酒を召し上がるたちではないのですが、そう見えますか? それとも、私が蛇の物の怪だと?」

 「ち、ちげぇます! すいやせん、こいつが失礼なことを……おい、阿呆! 謝らねぇかい!」

 「ごめんなさい、お姉さん」

 素直に謝って頭を下げる弟を見て、女性は再びおかしそうに笑った。

 「まぁ、久しぶりのお客様がこんな楽しい方たちとは……さ、立ち話もなんですから、中へどうぞ」

 女性の後に続いて、二人は農家の中に入った。

 
 「へぇ、これがお宿ですかい」

 「ていっても、お客様がある時だけですけど。 ここには、旅の人が道に迷ってやってくることがよくあるんです。 それでこの家では、そういう人を泊める

様になりまして」

 「道に迷って……ですかい」

 兄貴は呟いた。

 「ええ。 ですからあなた方も気にせずに泊って行かれなさいな」

 女性が二人を案内したのは、農家の奥の座敷だった。 さほど広くはないが、二人が寝るには十分な部屋で、質素だが清潔な夜具が用意されていた。

 「お姉さんが一人でやっているだか?」

 「いえ、近くに別の家があって、そこの娘さんたちが掃除や洗濯、炊事を手伝ってくれるんです。 ああ、お礼を渡していますから『雇っている』ことになり

ますけど」

 女性はそう言って雨戸を開けた。 日が落ちて真っ暗になった庭先から、夜の香りが部屋を満たした。 闇の向こうに納屋らしきものの輪郭が微かに見え

た。

 (ありゃ? 納屋の屋根から煙? 炊事場かな?)

 「簡単ですが、お食事もお出しできますがどうします?」

 「……すいやせんが、ひとつおねげぇできますか」

 言いながら、兄貴は女性の様子を盗み見る。

 (どう考えても、普通の家じゃねぇよなぁ……ここは油断してるように見せて……)

 「そうそう、そこの『納屋』ですけど、実は湯殿になっておりまして」

 「え、あれが?」「へぇ?」

 兄貴と弟がそろって驚いた。 確かに納屋というには大きな造りになっているのだが、湯殿としても大きすぎる。 街道沿いの旅籠でもこれほどの大きな

湯殿はないであろう。

 「いえね、もともとは厩を兼ねた納屋だったのですが、井戸を掘っていたら温泉が湧いてきまして」

 「へぇ、温泉が」

 「ええ、折角なので湯殿にして、集落の皆が共同で使うようにしましたの。 ささやかに贅沢ですわ。 お使いになりますか?」

 「それはありがい! なぁ」

 「うん。 だども、集落の人が入っているところに、知らねぇ男が入ってきたら驚くのではねぇか?」

 「大丈夫ですよ。 皆さん気さくな人ばかりですから。 ふふ」

 女性は口元を袂で隠し、意味ありげな笑い方をした。 それを見て、兄貴は鼻の下を伸ばす。

 「では、後ほど膳を運ばせます」

 言いさして、女性は座敷を後にした。


 「いやなかなかうまかった」

 「んだな」

 運ばれてきた食事は、飯に菜汁、それに川魚の焼き物が付いており、なかなかのものだった。 二人は当初の目的や経緯を忘れ、すっかりくつろいでいる。

 「さてと、おれは風呂浴びてくらぁ」

 「あ、じゃおらも」

 弟が立ち上がろうとするのを兄貴は制した。

 「まてまて、ここは一人ずつだ」

 「は? なしてだ」

 「さっきの女将の様子、ありゃきっさとあれだな」

 「は?」

 なにやら妙な笑みを浮かべる兄貴に、弟は首をひねる。

 「まぁね大丈夫だ。 おめぇも年ごろだしな」

 「なにを言ってるだか?」

 「俺が先に行って、様子を確かめといてやるから」

 訳が分からないといった風の弟を残し、兄貴は湯殿に向かった。


 「ほう、近くで見ると随分と立派な……」

 がらりと引き戸を開けると、なんと脱衣所があり、話に聞いた町の湯屋のような造りになっている。

 「……こ、ここで裸になるんだよなと……」

 気後れした様子の兄貴だったが、湯に入りに来たのだから裸にならないとしょうがない。 いそいそと服を脱ぎ、褌を外して籠に入れ、手ぬぐい出前を隠

して奥の引き戸に手をかけた。

 「こりゃ松材か? 随分と凝ってるな」

 引き戸を上けると、もうもうと湯気が流れて来た。 湯気をかき分けるようにして中に入ると、石畳の床の中央に、湯気を盛んに上げる『池』が掘られていた。
 この池が温泉らしかった。

 「こりゃ凄ぇ。 とても一介の農家の湯殿じゃねぇな。 庄屋さんでもこんな湯殿は持っちゃいねぇぞ」

 感心しつながら、兄貴は温泉のに手を入れる。 やや熱めの湯に、満足そうに頷いた。

 「こいつはいい。 ではさっそく」

 頭に手ぬぐいをのた兄貴は、さぶんと湯に飛び込んだ。

 「ふぅーたまんねぇなぁこりゃ」

 あらためて温泉を見てみると、一度に五人は入れそうだ。 今は彼一人だが。

 「……おれ一人か。 期待したが、早とちりだったかな?」

 ふっと息を漏らし、顔を洗って体を伸ばす兄貴。 と、温泉の真ん中がゴホゴホと泡立ち始めた。

 「……なんだ?」

 いぶかしむ兄貴の目の前で、温泉の中央にお湯が、それも真っ赤なお湯が沸き上がってきた。 最初は無色透明だったお湯が、みるみると紅に染まって

いく。

 「わっ!なんだこりゃあ!?」

 突然の異変に驚いた兄貴は、慌てて湯から上がろうとした。 しかし、それより速く周りの湯が赤く染まる。

 「ひっ!?」

 立ち上がろうとしたが、『赤い湯』はねっとりと体に纏わりついて体の自由を奪う。 なんとか立ち上がろうともがく兄貴の眼前で、『赤い湯』が丸く盛り上

がり、何かの形になっていく。 兄貴は、それが人の頭の形をしているのに気が付いた。

 「……な……ななな……」

 驚愕と恐怖にパクパクと口を開け閉めする兄貴の前で、『赤い湯』から生えた頭……女の頭が目を開き、口を聞いた。

 「お客様……『骨喰の宿』へようこそ……いかがですか? 私の『湯加減』は……」

 女はそう言い、にまーっと笑った。

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