第二十話 新しいママ

2.扉の向こう側


 (あっ!)

 『ボク』は息を呑んだ。 わかっていたつもりでも、その光景は衝撃的だった。


 うっ……ううっ……

 アッ……アアッ……


 二人の押し殺した声を聞いていると胸がドキドキする。 そしてなんとなく胸が切なくなる。

 (なんか……仲間外れにされたみたい……あれ?)

 部屋の中が薄暗いので影しか見えないけど、ベッドの上には『パパ』が横たわり、『新しいママ』が覆いかぶさっているらしい……

 (でもなんだか影が……)

 『新しいママ』のお尻っぽい丸みが上下しているらしいのだけど、そこに違和感がある。 余分な影、紐みたいなものが見えるのだ。

 (ネグリジェか何か……?)

 よく見てみたけど、何か着ているようには見えない。 それに『紐』は元気に動いていて、蛇か何かがのたうっているようにも見える。

 (まさか!?……『新しいママ』のペット!?……な訳ないよな)

 正体不明の『紐』にを観察していたら、急に『新しいママ』の上に布のようなものが現れた。

 (今度はなに!?……シーツを跳ね上げたの?)

 『布』はシーツと言うよりテントっぽい感じがした。 そのテントは『新しいママ』の背中の上で、ヨットの帆の様に垂直に立ち、『新しいママ』の動きで震え

ている。 でも、倒れる様子はない。

 (……えーと『新しいママ』があの格好で、紐がお尻のところで、テントが背中の上っと……)

 頭の中で、テントと紐、そして『新しいママ』の姿勢を組み合わせてみる。

 (え?……ひょっとしてあれ……『新しいママ』の体から……生えているの!?)

 血の気が引く音が聞こえたような気がした。

 (あれ……尻尾と羽……そんな!? だって……)

 一緒にご飯を食べたときには、そんなものはなかった。 尻尾はともかく、羽が生えていれば判るはずだ。

 (見間違いだ。 うんきっとそうだ!)

 鍵穴に目を押し付けて中を伺う。

 アハァ!

 『新しいママ』がのけ反った。 その瞬間はっきりと見えた、『新しいママ』の背中から生えた、二枚のコウモリの様な羽が。

 (た……たいへんだぁ……)

 ドキ……ドキドキドキドキドキ……

 心臓が早鐘の様に打ち出した。 『ボク』はその音が中に聞こえるんじゃないかと気が気じゃなくなる。

 (こ、こら静かにしろ! 『ボク』の心臓、落ち着け、止まれって!)

 心臓が止まったら死んでしまう。 落ち着くのは『ボク』の方だった。

 (と、とにかく……どうしよう?)

 どうしたらいいのかわからない。 判らないからもう一度鍵穴から中の様子を伺う。

 (やっぱり羽だ……どうして羽が……)

 そのとき、『新しいママ』がゆっくりと振り返り、目が合った……気がした。

 (見つかった!)

 『ボク』はその場に尻もちをつきかけ、そのまま手と足で音をたてないように急いでその場を離れた。 そして『ボク』にできる最善の方法を取る。 つまり。

 (あれは夢だ……あれは夢だ……)

 自分の部屋に戻ってベッド潜り込み、布団をかぶってあれは夢だったと自分に言い聞かせる。 きっとそうに違いないと……

 
 キシッ……

 (……!)

 床板が軋む音に『ボク』は目を見開いた。 布団の中から顔だけを出して。そっとドアの様子を伺う。 暗いドアの下に、かすかなオレンジ色の光の線が

見える。 と、その線が途切れた。

 (あ?……そうか、さっき『ボク』が覗いていた時も……)

 鍵穴から覗いていれば気が付かれないと思っていたが、ドアの下を見れば何かがいることは判るのだ。

 ”『ボク』?……”

 はっとする。 扉の向こうにいるのは『新しいママ』だ。

 ”『ボク』でしょ?……さっき見ていたのは。 ねぇ……開けて……”

 カチカチカチカチ……

 (な、なんだよこの音……あ、『ボク』の歯の音だ……)

 布団をかぶったまま、『ボク』は震えていた。 扉一枚隔てた処に『新しいママ』がいるのだ。 羽と尻尾が生えた『新しいママ』が。

 (こ、怖くないぞ……怖くないぞ……)

 ”ねぇ……開けて……怖くないから……”

 (ほら、『新しいママ』も言っているじゃないか。 「怖くないって」……)

 恐怖で思考が支離滅裂になってきた。 体がおこりの様に震えるのを止めることが出来ない。

 (怖くないぞ……怖くないぞ……怖くないから寝ているんだ……そう『ボク』は寝ているんだ……だから……早く行って……)

 布団の中で震えながら『ボク』は「早く行って」と念じ続ける。 そうすることしかできなかかったから。

 ”……開けてくれないの? ……じゃあ……”

 (あきらめて!……おねがい……)

 残念ながら願いは聞き届けられなかった。

 ”フ……ア……”

 (? なに?……なにしてるの?)

 ”ア……アァ……”

 扉の向こうで、かすかな音がしている。 『新しいママ』が何かしているらしい。 『ボク』は布団の中からドアの下を凝視し、『新しいママ』が何をしている

のか見定めようとした。

 (……?)

 ドアの下の光の線がスーッと暗くなった。 廊下の常夜灯が消えたのかと思ったが、そうではなかった。

 (なに!? 何か入ってくる!? まさか『新しいママ』!?)

 ゴキブリではあるまいし、『新しいママ』がそんな狭い隙間から入ってこれるわけがなかった。 しかし、じっと見ていると床の上を這うように動いてくる

ものが見える。

 (……あれは、煙?)

 夜目にも見えるそれは、白く濃密な一筋の煙だった。 それが床に広がるでもなく、白い蛇の様に床を這い、こちらにやってくる。

 (?)

 這い進んできた煙の先端が、ベッドの縁の下消えた。 少しして、煙の先端がはベッドの縁の上に現れる。 本当の蛇の様に、その煙はベッドの足を

よじ登ってきたらしかった。

 (!?)

 はじかれた様に『ボク』は立ち上がり、壁を背にしてベッドの上でつま先立ちになった。 その『ボク』が見えているかのように、白い煙はこちらに這い進ん

でくる。

 「や、やめて……こ、こないでっ……」

 恐怖で息が上がる。 自分の心臓の音がやかましく、胸が破裂しそうだ。 そんな『ボク』にお構いなしに、煙は『ボク』の足にたどり着いた。

 (ひっ!?)

 煙が足に絡みつき、這い上ってくる。 あり得ない話だけどそうとしか感じられない。 その煙は、かすかに暖かかった……女の人の手の様に。

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