第十六話 窓辺

4.想像


 警察を出た青年は、下宿屋に戻ると家主の老婆を詰問した。

 「どういうことですか! 前に居た人は首をつって死んだって!」

 「あんたの知り合いかい?」

 「そういうことじゃ……」

 「家賃をまけろってか? ああもう」

 「いや……」

 老婆は顔をしかめて悪態をつき始めた。

 「ああまったく! こんな年寄りを捕まえてああだこうだと! こっちだって迷惑してんだよ!」

 止めどがない老婆の悪態に押され、話の接ぎ穂を失った彼は老婆に背を向けて階段を上がっていった。


 『首をつって死んだって……どうして』

 『こちらが聞きたいよ。 同じ下宿で5人も首を吊るだなんて……君は大丈夫だろうね』

 『え?』

 『何か困っていることは? 相談に乗るよ』


 「困っているさ……どういうことなんだよ、いったい」

 青年は警官との会話を反芻しつつ、ベッドに体を投げ出し天井を見上げた。 いや、屋根裏部屋なのだから天井は彼の下で、

見上げているのは屋根の裏側ということになる。

 「クラリス……まさか彼女が前の住人を……じゃあ、彼女がこの部屋にやってきたのか?」

 想像してみる……


 −− 深夜、クラリスがこの下宿屋の戸をそっと開け……


 「え、聞いているのかい!」

 「わぁっ!?」

 下から老婆の声が響いてきた。 どうやら天井に向けて悪態を着き続けていたらしい。

 「入口から無理だな……」

 ベッドの破れ目からほじりだした綿を耳に詰め、想像を再開する。

 「やっぱり窓からだろう……」


 −− 深夜、音もなく窓が開きカーテンが翻る。 青白い月光が闇のキャンバスに窓の形を描きだし、そして白い女の手が

     窓枠の縁に……


 「でていっても残り分は返さないよ!!」

 耳栓を通して怒鳴り声が響いてきた。

 渋面を作って上り口に目をやれば、老婆が顔を出して文句を言っていた。

 「家賃分は世話になりますよ」

 つっけんどな言葉を投げ返すと、老婆はぶつぶつ言いながら首をひっこめた。

 「あの婆さんがやったんじゃないのか?……」


 −− 階段がぎしっ、ぎしっと軋み、上り口からしわだらけの老婆の顔が……


 「わあっ」

 生々しくも恐ろしい考えに、青年は慌てて首を振って恐ろしい想像を頭から払い落とす。

 「そうか、下から来ると思うから恐ろしくなるんだ……」


 −− 四角い窓の形の月光が人の形に遮られ、月光を衣にしたような白い薄絹をまとった女が、宙を飛ぶように窓辺に降り

    立った。


 「……そう、こうだな」


 −− 女は、冷たいまなざしで部屋を見渡し、ベッドの上に目的のもの、男の体が横たわっているのを見つける。

 −− フ……

 −− 冷たい笑いを口元に浮かべた女は、窓辺からベッドへと風のように舞った。 一瞬遅れ、女の香りが後に続く。

 −− ピクリ……

 −− 男の鼻孔が女の香りを嗅ぎ当てたのか、ベッドに横たわる体が身じろぎをした。 しかしその眼は閉じられたままだ。

 −− フフ……

 −− 冷たい微笑を湛えたままの女の唇が、男の唇へと重なる。


 「……柔らかい」


 −− 女の口づけは、風のように儚げで、それでいてしっかりと『女』を感じさせるほど甘かった。

 −− ”そのままでいなさい……”


 「……ああ」


 −− 女の吐息が、男の唇を割って喉へと流れ込む。 しっとりとして甘い女の息は……


 「……なんて……冷たいんだ……」


 −− 氷のように冷たい吐息が肺の腑を満たし、そして体へと染み透っていく。 冷たく、甘く……

 −− ”クク……ほら……もう動けまい……”


 「……ああ……動けない……」


 −− ”さぁ……存分に……嬲ってやろう……”

 −− 冷たいが清らかに見えた女の顔が一変する。 生々しい『女』の欲望がうちから溢れ出すような表情に変わった。 

    そして淫らな『女』が身動きできない男の喉を襲う。

 −− ううっ……

 −− 冷たい虫が喉の上を這いまわる。 ねばりつく舌と、跡が付くほど吸い上げる唇が喉を襲い、それが鎖骨、胸へと這い

    ずっていく。

 −− ’な、なにを……ああっ……’

 −− 女が心臓を吸っている。 いや、実際は胸に口づけしている、それだけのはずなのに。 男は、脈打つ心臓に女の唇が

    ふれるのを確かに感じた。

 −− ジュル……ジュル……ジュル……

 −− ひ……ひぃ……ひぃ……

 −− 女が何かを吸い上げている。 血だろうか、それとも精気だろうか。 何かわからないが、女は男の体が何かを吸い上げ

    ている。

 −− ひ……ひぃ……いい……いい……

 −− 眼を閉じたままの男の顔が愉悦にゆがむ。 女の口づけに感じているのか。

 −− ”よかろう……気持ちよかろう……”

 −− ’吸って……ひぃ……もっと吸って……いい……’

 −− ”フフ……吸ってやる……もっと吸ってやるぞ……”

 −− 女は呟きながら纏っていた薄絹を宙に投げ、下の男を一撫でする。 男の体は一糸まとわぬ姿になり、女の下に組み

    敷かれている。

 −− ”フフ……さぁ我に……”

 −− ’うう……’

 −− 男の腰がぎくしゃくと動き、女を下から突き上げた。 そのはずみで女の体が宙に浮き、そして男の腰、屹立した男性

    自身へと堕ちていく。

 −− ’うぁ……’

 −− 不思議な事に、女の体は男性自身がないかのようにすとんと男の腰に着地した。 しかし、男は自分のモノが女の神秘

    に包み込まれるのを感じていた。

 −− ’つ、冷たい……’

 −− 女の中は、氷のように冷たかった。 張りつめた男性自身が凍りつくかのようだ。

 −− ”熱いぞ……お前は熱い……さぁ……もっと私に熱をちょうだい……”

 −− 女の言葉のままに男の腰が女を突き上げる。 機械か何かのように激しく腰が動き、女の中をかき回そうとする。

 −− ”ああ……いい……もっと……もっとちょうだい……”

 −− 喘ぐ女の胎内で、冷たい襞がざわざわと蠢いて男性自身を包み込み、温もりを吸い上げる。 その冷たさが男性自身を

    痺れさせ、終わりなき快感となって彼の中から精を吸いだそうとしていた。

 −− ’いい……いいぞ……’

 −− ”そうよ……さぁもっと……もっと……命の最後の一滴まで……私にちょうだい……”


 「いい……いい……」

 ベッドに横たわった青年は、目を閉じたまま無様に腰を動かしている。 その体の上に、霞のような白い女の影が跨っていた。

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