第十四話 褥(しとね)

17.その夜、土蔵の中


 霧木栗鼠は目を擦り、二度三度と瞬きした。 行燈は、最初からそこにあったかの様に床に置かれている。

 「ど、どうなっているんだ!」

 じりじりと後ずさる……が、すぐに背中が土蔵の壁に突き当たる。

 「じょ、冗談じゃないぞ!」


 ……火をつけて


 囁くような声と共に、微かな匂いが鼻腔を擽る。 あの夜、褥の中を満たしていた女の匂いだ

 「……牡丹、お前か」

 女の名を口にした霧木栗鼠は、めまいを感じた。 


 ……ああ……おねがい……


 すがる様な声は、ねっとりとした響きで耳に絡み付く。 行燈が、すーっと大きくなる。

 「えっ!?」

 違った、自分が行燈に歩み寄っていたのだ。 自分の手が行燈にかかり、どこにあったのかマッチでロウソクに火を灯そうと

している。

 「どわっ!!」

 慌ててマッチを吹きけし、自分の顔を両手ではたく。


 ……火をつけて


 「……はっ」

 しかし囁き声が聞こえてくると、たちまち意識が朦朧としてくる。  霧木栗鼠は、からかわれているような気がして、イラついて

きた。 

 「こうなったら! ケリをつけてやる」

 意を決した霧木栗鼠はロウソクに火を灯した。 儚げな火が揺らめき、女の匂いが強くなる。

 「来る……」

 霧木栗鼠は、一歩下がった。 灯りの中に蠱惑的な女が、霞のように様に浮かび上がる。

 ”……”

 女は霧木栗鼠を見て、嫣然と微笑んだ。 挑発的な笑いに、霧木栗鼠は冷たい笑みで応えた。

 「牡丹だったな、俺をさらいに来たのか? え」

 ”ええ……”

 「そーか、そか。 俺も、お前らのサービスは好きだぜ。 しかしな、この若さであの世に行く気はねぇんだ。 帰ってくれ」

 伝法な口調で言い放ち、近くにあった薪を手にした。 霞のような牡丹をなぐっても効果はなさそうだっが、霧木栗鼠は無抵抗で

いるつもりはなかった。

 ”まぁ……威勢がいい事……あの夜もそうでしたね……”

 ヌラリと言い放ち、牡丹の姿がかすむ。 そして白い霞が濃くり、肉感的な牡丹の肢体がよりはっきりと見えるようになった。

 ”この体に抱かれて……あんなに激しく……”

 「よせよ……」

 霧木栗鼠は口を噛んだ。 あの夜、牡丹に包まれた時の感触が体に蘇ってくる。 恐ろし柔らかな肢体は、軟体動物のように

彼に絡み付き、愉悦の声を響かせた。 彼を受け入れた、牡丹の女は、どこまでも深く、底なし沼のように彼を呑み込もうとした。

 「あのまま続けていれば、俺を溶かして、そこで吸い取ってしまうつもりだったんだろうが? 鈴虫たちみたいに」

 ”ええ……”

 やや顔を伏せ気味にして、牡丹は霧木栗鼠の言葉を肯定する。

 「ははっ、白状しやがった」

 ”白状?……いやなの?”  牡丹は表情を隠したまま言った。 ”私に抱かれて蕩けるのが?”

 「馬鹿にするなよ! そんな目にあわされて、喜ぶ奴がいるか!」

 真っ赤になってどなる霧木栗鼠の前で、牡丹がすいと顔を上げた。 濡れたような黒い瞳が、霧木栗鼠の眼を覗き込む。

 ”喜ぶわ……皆”

 「な……」

 応えようとした霧木栗鼠の口から言葉は出なかった。 牡丹の瞳を見た瞬間から、身体が重くなって動けなくなったのだ。 

まるで、身体に何かがまとわりついているかのようだ。

 ”あの夜の事を覚えているでしょう……わすれられるはずもないもの……あれは入り口……あれは前戯……本番はこれから

……”

 ねっとりとした口調で呟きながら、牡丹はその濃い霞のような体で、霧木栗鼠に抱きついてきた。

 「ぬっ……」

 幻のはずの牡丹の体温を感じ、霧木栗鼠は震えた。 何とか自由を取り戻そうとするが、無駄だった。 霧木栗鼠は、自分から

服を脱ぎ、床に横たわる。


 「ううっ」

 人形の様に横たわる霧木栗鼠、その男性自身は帆柱の様に屹立している。

 ”まぁ……”

 牡丹はうっとりとした目でそれを眺めると、顔をそれに近づけて、口内に収めた。

 「うっ……うっ……」

 微かに、本当に微かに女の舌の感触がする。 牡丹は幻なのかもしれないが、その微妙な愛撫が仇となった。 所謂、蛇の

生殺しなのだ。

 ”ごめんなさい……行燈越しでは……これで精一杯……拒まれると何もできないの……でも”

 牡丹は、誠意の籠ってない楽しげな口調でそう言い、霧木栗鼠の顔に跨ってきた。

 「むぅっ……」

 女の神秘が眼前に迫って来る。 ただ濃い靄の向こうにあるようで、ある意味神秘的な光景だった。

 ”すぐに気が変わるわ……”

 牡丹自身が、霧木栗鼠の顔に吸い付……かずに彼の頭と重なった。 一瞬、濃い霞の中に入っていくかのような錯覚を覚えた

霧木栗鼠だったが、すぐにみている物が変わる。

 (こ、これは……)

 霞の中に、ヌメヌメと蠢く桃色の不気味な物体が現れる。 それが彼の顔を這いまわっているような感触がある。

 (まさか、牡丹の胎内!? そんなばかな)

 有り得ない光景に、霧木栗鼠の思考が停止する。 彼は気が付いていなかった。 牡丹の匂いが、蠱惑的な女の香りが彼の

鼻腔を犯し始めていることを。 牡丹の舌が、微妙な愛撫を続けていることを。 

 (俺は……何をしているんだ?)

 ”気持ちのいいことよ……”

 (気持ちの……いいこと……)

 牡丹の温もりが、顔を包んでいる。 そう思った時、彼は舌を出して、目の前の肉壁を舐めていた。 微かな抵抗があり、霞の

向こうで肉壁が震えたのが判った。

 ”ああ……いい……ねぇ……もっと……なめて……”

 甘い喘ぎか、耳に心地いい。 霧木栗鼠は牡丹の喘ぎを聞きながら、夢と現実のはざまを漂い始めた。  

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