第十四話 褥(しとね)

10.その翌日


 翌日、轡虫ら三人は、充血した目、腫れぼったい瞼、隈のできた顔と完璧な寝不足三点セットが揃った顔を突き合わせて、

喫茶店で深刻な相談をしていた。

 「鈴虫は? アパートには行ってみたのか、高呂木?」

 「うん、いろいろと口実をつけて、管理人を呼び出して……」

 「途中経過はいいから! 鈴虫はいたのか!?」

 「いなかった。 布団は敷いたままで、その下には……」

 「もったいぶるなよ! 何があったんだ?」

 「鈴虫の寝巻があった。 ちょうど人が寝ている形に……」

 沈黙が降りたテーブルに、ウェイトレスが歩み寄り、これ見よがしにお冷を注いでいく。

 「出ようか」


 「どーすんだよ!? 鈴虫を助けにいくのか?」

 「助けてほしいのはこっちだ」

 「待てよ、だいたいこっちから出かけて行ったんじゃないか?」

 「馬鹿野郎! あの日は朝まで頑張って、なんとか返してくれたじゃないか! 今度はどうだ? 煙にされて跡形もなく消され

ちまったんだぞ」

 三人が話しているのは大学の談話室で、机といすが幾つか衝立で仕切られているだけなので、大声で話されては迷惑この上

ない。 事実、事務員が険しい顔でこちらを見ている。

 「声を落とそう。 大声を出しても仕方がない」

 「ああ。 で、どうする?」

 「鈴虫の事は後で話す。 まず俺たちだが、あの行燈に火をつけないかぎり、おの人たちは何もできないだろう」

 「あれが『人』か?」

 霧木栗鼠の突込みに、轡虫がつかれた笑いを浮かべる。

 「それもそうだな。 まぁそれはともかく、俺たちはあれの危険性を知ったわけだから、馬鹿をしない限りは安全だろう。 どうだ?」

 二人がうなずくのを見て、轡虫が続ける。

 「で、鈴虫の事だが、厘海和尚に相談しようと思うんだ」

 「厘海和尚……ああ、あの坊さんか?」

 「そうだ、彼女たち……『褥の怪』と呼んでいたっけ。 その『褥の怪』について一番詳しいのはあの人だろう」

 「確かに……しかしなぁ、警告されたのにこのざまだ。 叱られるのはいやだぜ」

 「そんなことを言っている場合か? 鈴虫を助け出さないと」

 しばらく話し合いを続けていたが、他にいい案があるわけもない。 なにより昨晩からの寝不足で頭が回らない。

 「……厘海和尚に相談しよう、明日」

 「……今日は?」

 「……まずは睡眠をとらないと」

 「……そだな」

 三人は、明日厘海和尚の所に相談しに行くことだけを合意し、今日は帰って休むことにした。 重い体を引きずるようにして、

各自のアパートや寮に引き上げる。


 「なんだな、これだけ疲れていれば、誰も行燈に火を入れようなんて馬鹿はしないだろう」

 轡虫は呟くと、ベッドに倒れこみ、すぐに寝息を立て始めた。


 ”火をつけて下さいまし……”


 「……楓さん?」

 寝ぼけた声で、轡虫は答える。 

 「疲れているので、また今度に……」

 ”難しいことは何も……ただ蓋を開けて……”

 「蓋?……蓋ね……」

 ”ほら……よい香りでしょう……”

 「……うん……いい匂い……」

 ”私を思い出して……私の乳を……”

 「……乳……ああ……」

 "ほら……私に……触って……」

 「楓……えっ!?」

 轡虫は我に返って愕然とした。 目の前に行燈が組みあがって、後は火をつけるばかりになっている。 そして、自分は手に

マッチを持っている。

 「なっ……どうして」

 ”火をつけて……”

 微かな楓の声が聞こえて来た。 ぐっすり眠っていたはずなのに、その声に操られていたのだろうか。

 「じょ、冗談じゃありま……違う、冗談じゃない」

 ”怖がらなくていいの……怖いのなら……”

 「こ、怖いのならなんだと」

 ”お眠りなさい……”

 楓の声の調子が変わる、物憂げに響く歌のような音のような声で唄っている。 思わず聞き惚れる轡虫。 意識がすーっと

遠のいていく。

 「きれいな声……」

 ”火をつけて……”

 「火を……うわあっ」

 マッチを擦りかけて、慌ててそれを捨てる轡虫。

 ”火をつけて……”

 「や、やめて下さい」

 耳をふさぐ轡虫、しかし彼女の声は容赦なく響いてくる。

 ”きて……”

 長い夜の戦いが始まった。

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