第十四話 褥(しとね)

6.一週間後


 「あら〜♪お兄さん元気ないわねぇ〜」

 「す、すみません」

 「いいの、いいの。 照れ屋さんなのね」

 甘ったるい口調に、うすい侮蔑をトッピングしつつ、女はせっせと轡虫の息子を泡まみれにしている。

 (ふぅ……)

 轡虫は髪を結いあげたソープ嬢の頭を見下ろしながら、胸の中でため息をついた。


 彼らが『褥の怪』の魔の手から逃げ出して一週間が過ぎていた。 厘海和尚は気にするなと言っていたが、四人にしてみれば

簡単に割り切れるものではない。 むしろ、帰りついてから恐ろしさがこみ上げてきて、寝ていても物音がするだけで飛び起き、

ろくに寝ることすらできなくなった。

 (最初はそうだった……)

 心境が変わってきたのは、四日目からだった。 寝不足が続けば、恐怖よりも眠気が勝る。 第一『褥の怪』、いや桐葉達は

別に彼らを害したわけではないし、快く帰してくれたではないか。 そう考えて布団に入ると、夢すら見ぬほどぐっすりと寝入って

しまった。

 (でも……)

 目が覚めてみれば、すっかり落ち着きを取り戻していた轡虫だった。 久々に講義に出て、食事をとり、自分の部屋に戻る。 

そして『思い出をかみしめ』ようとした。 しかし……

 (駄目だった……)

 臨海和尚の言うとおり、桐葉達は『褥の怪』なのかもしれない。 薄暗がりの中で悶える女体は、およそこの世のものとは思え

なかった。 あらためて、現実の女体(の写真)を見てそう思った。

 (こんなものだったか? 『アレ』って……)

 およそ失礼極まりない感想を抱きつつ、ネットサーフィンしてあちこちの『お気に入り』サイトを巡ってみる。 しかし、かって

興奮と欲ボウをかきたててくれたそれらの写真、動画の数々が、無味乾燥な茶番劇にしか見えなくなっていた。

 (本物をみてしまったからだ……そう思ったけど……)

 やはり写真や動画は『生』には敵わない、そう考えた彼は、なけなしのお金をはたいて『特殊』浴場の入り口をくぐったのだった

が……


 「お客さん、元気だして。 またきてね」

 にこにこと手を振るソープ嬢に送り出された彼を、男性従業員が愛想よく送り出しながら、感想を聞き店のカードを渡してくれた。

 (ああ……)

 うらぶれた様子の轡虫の背中に哀愁が漂う。


 「おい、轡虫」

 講義を終え、教室から出るところで霧木栗鼠が声をかけてきた。

 「なんだ?」

 「明日から、一泊でキャンプにいかないか? 鈴虫たちもさそって」

 「キャンプね……まぁいいか。 で、どこにする」

 「先週のところ」

 轡虫は立ち尽くし、霧木栗鼠を振り向いた。 顔がこわばっている

 「正気か!? あそこは……」

 「閉鎖されてたな」

 「な……ああ、そうだ。 だから……」

 「食料と燃料を準備していけばいい。 閉鎖されてても、土地がなくなっているわけじゃあるまい」

 「おい? だいたいこの間は道に迷って……」

 「また迷うかもしれないなぁ」

 きっぱりと言う霧木栗鼠の顔を見て、轡虫もさすがに彼の言わんとすることを悟る。

 「いいじゃないか。 その時は、その時だ」

 「……おい、正気か」

 「正気だ。 この間は帰ってこれたじゃないか」

 「し、しかしだなぁ」

 霧木栗鼠がずいと顔を近づけてきた。

 「思い出にできるのか、『アレ』を」

 轡虫は返答に窮した。

 「あれからな、俺はどうにもいかん『アレ』が」

 「……」

 「もう一度、もう一度だけなら……な?」

 「し、しかし……」

 「いやなら無理にとは言わん」

 くるりと背を向けた霧木栗鼠に轡虫が声をかける。

 「待てよ、僕も行く」


 「で?」

 「あれはどこだって?」

 車の中では、不機嫌と寝不足の空気が渦を巻いていた。 四人は、先週と同じ車を借り出して同じキャンプ場に出かけた。 

道だけでなく時間まで正確に同じに行動した。 しかし……今回は何処にもたどり着けなかった。 前回と同じだったのは、道に

迷ったというその一点だけだった。

 「明るくなってきたな……」

 「お、県道だ」

 ゴトンゴトンと音を立てて、車輪が歩道の段差を乗り越え、車の走りが滑らかになる。

 「このままいくと、この間のお寺の前に出るな」

 「よっていくか?」

 「やめとこう。 この間あれだけ言われたんだ。 叱りつけられるだけだぞ」

 「しかしな……」

 「和尚さんが正しかったんだ。 あれは思い出にしておくのが一番だ。 時間がたてば……」

 「『コレ』も立つ様になるのか?」

 下卑た笑い声を上げる霧木栗鼠に、他の3人がむっつりと黙り込む。 喧嘩にならなかったのは、その元気が残っていなかった

からだった。


 「むなしい……」

 帰りつくなり、ばったりと布団に倒れこむ轡虫。 すぐに睡魔が彼を襲う。

 ”……をつけて……”

 意識が途切れる寸前、楓の声を聞いたような気がした。

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