第十四話 褥(しとね)

5.午前


 四人は、厘海和尚の後をついて寺に入った。 そのまま、本堂の横にある書院に通される。

 「さて、いきなりで驚いたであろうがの。 拙僧もかように妙な気配を”見た”のは初めてでな。 話を聞いてみたいと思ったの

だが」

 厘海和尚に、穏やかな顔で話しかけられ、四人は顔を見合わせて視線を交わす。 数秒の躊躇があり轡虫が話を始めた。

 「和尚さん。 僕たちは昨晩奇妙な体験をしました。 ただ、あまりにおかしな体験だったので、とても信じていただけるとは

思えないのですが」

 「話を聞くのが僧侶の務め。 案じめさるな」

 促す厘海和尚の態度に信用できるものを感じ、轡虫は昨夜のことを話し始めた。


 「……そして、県道に出ることは出来たのですが、振り返ってみると、来た道はなくなっていたんです」

 轡虫は言葉を切り、厘海和尚を見た。 話を聞いていた時と姿勢はほとんど変わっていないが、表情に険しさが増したように

見える。

 「信じていただけないでしょうが……」 高呂木が言葉を添えようとした。

 「いや、信じないのではありません…… おい、誰かいないか。 玄海! 法海!」

 和尚の呼びかけに応じて、若い僧侶が出てきた。 若いと言っても、轡虫たちよりは大分年上だ。

 「御用ですしょうか?」

 「庫裡に行ってな、縁起を持って来てくれるか……」

 厘海和尚は何やら難しい言葉を並べて指示をだすと、僧侶は頷いて奥に戻っていった。

 「済まんが、少し待ってくれるか」

 「それは構いませんが、僕たちの話に何かご不審でも?」

 「いや、君たちの話に良く似た出来事が、書き残された書物があるのだよ」

 四人は目を丸くした。


 小一時間ほどして、先ほどの僧侶が和紙を束ねたものを持ってきた。 本かと思ったら、長い和紙を折りたたんだ書で、墨で

流れるような文字が書いてある。 当然ながら、四人には全く読めない。 厘海和尚は丁寧に書を開き、彼らに見せるようにして

説明し始めた。

 「ここに記されているのは、今から二百年ほど前にこの寺で起きた怪異譚でな」

 「怪異譚ですか?」

 「うむ。 簡単に言うとな、道に迷った修行僧が、山中の寺にて一夜の宿を求めたところ、美しい女性に持て成しを受けた言う

ものなのだ……」

 「そ、それは」

 自分たちの体験そのままではないかと言いかけ、轡虫は言葉を呑み込んだ。 現実にはそうそうある出来事ではないが、

昔話として考えればよくある話だ。

 「君たちの話とよく似ているが……」 厘海和尚が言葉を濁す。

 「和尚さん、その話には続きがあるのですか?」

 「うむ、そうなのだ。 その修行僧は、引き留める女性を振り切るようにしてこの寺にたどり着いた。 しかし、その後様子が

おかしくなり、ついには姿を消したとある」

 「姿を消した? 自分から?」

 「この書には、ただ姿を消したとだけある」

 一同の間に、重い沈黙が下りた。 と、高呂木が顔を上げた。

 「和尚さん、今聞いた話だけでは、ただ修行僧が色香……いえ、女性が忘れられずに寺を去ったとも取れます。 怪異譚と

言うほどの話ではないのでは?」

 厘海和尚は、苦笑いを浮かべた。

 「君は、いいところを突くな。 実はな、ここにはこうあるのだ。 『僧曰く、女は化生の物なり』と。 これはな、女に迫られた僧が、

女の本性に恐れをなした言葉だと思っていたのだが……真実そのままを言っていたとしら、どうだね」

 「『女は、化け物だった』……と?」

 今度こそ、重い沈黙がその場を支配した。


 「ぶっははははは」

 突然、厘海和尚が笑い出し、四人は呆気にとられた。

 「いや、すまんすまん。 君らがあまりに真剣にとるのでな。 調子に乗って驚かしてしまった」

 「和尚さん?」

 「君、高呂木くんと言ったかね。 君の言うとおり、これは怪異譚ではなく、ニ百年前に起きた『不祥事』の記録というのが正解

だろう」

 『はぁ?』

 「きみらに妙な雰囲気を感じたというのは本当だよ。 昨夜の体験も事実だろう」

 「はぁ……」

 「要は、その女性たちが『物の怪』だったかどうかだ」

 「と言うと?」

 厘海和尚は表情をあらためた。

 「女性の中にはな、寝所のでの振る舞いが『物の怪』の様な、いやそれ以上の事が出来る女がいる」

 「寝所の振る舞い……ああ、セ……」

 「言葉で言い表せるものではない」 厘海和尚が轡虫を遮った。 「いるのだよ、肌を合わせた男を捕まえ、離さない女が」

 四人は反射的に頷く。

 「わしは、そういう女を『褥の怪』と呼ぶことにしている」

 「『褥の怪』?」

 「うむ、『褥』は布団を表す古い言葉だ」

 「はぁ……待ってください。 じゃあ昨夜の体験は嘘だと?」

 「そうではない。 ただ、そういう事だったと思いたまえ」

 厘海和尚は、真剣な顔で四人を見据えた。

 「いいね、君たちは非常に魅力的な女性と、得難い体験をした。 現実とは思えぬほど、すばらしい体験だった。 あまりの事に、

その女性たちが人ではないように見えた、そういう事だったと思いたまえ。 そう思えば、やがていい思い出になることだろう」

 「はぁ……」

 四人は釈然としない顔で、ただ頷いた。


 「では、気をつけてな」

 「心配していただいてありがとうございます」

 四人は車に乗ると、厘海和尚に見送られて寺を後にする。 和尚は車が見えなくなるまで、彼らを見送っていた。

 「厘海様……」 先ほどの若い僧侶が和尚に声をかけた。 「『褥の怪』にあったのであれば、彼らは……縁起の僧の様に……」

 「うむ」 和尚は厳しい顔で振り返る。 「あとは彼ら次第だ。 この世に留まれるかは」

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