第十三話 ナイトメア

12.サンプル


 コト……

 小さな音に、男は目覚めた。 彼は、裸で固い床に寝そべっていた。 二日酔いの様に痛む頭を、無理やり覚醒させる。 その

耳に、遠くから声がが聞こえてきた。


 ”これがサンプル300?”

 ’はい’


 声は上の方からだ。 男は声の方を見あげる。 ゆがんだ視界の向こうに、赤い何かが見えた。


 ”反応は?”

 ’良好でしたが、途中で環境に疑問を抱き、脱出を図りました’

 ”もう少しか”

 ’これは?’

 ”いつものように”


 突然天地がひっくり返る。 床が壁に、壁が天井に、天井が床に……

 「!」

 男は、なすすべもなく転がり、宙を舞った。 一瞬の浮遊感の後、無限に続く落下の感覚。

 ウァァァァァァァ!!


 トスッ

 柔らかい床に受け止められ、目が覚めた。

 「……ゆ、夢だったのか?」

 手にびっしょりと汗をかいている。

 「夢か……そうか、悪夢は終わったのか……」

 ’ええ、悪夢は終わりますとも’

 上からの声に男は凍りついた。 床を見ると、血の様に赤い。 そろそろと首を回して上を見る。 巨大な人の顔が、あの赤い

女が、自分を見ていた。 そして男は気が付いた、自分がが赤い女の手の上に転がされている事を。

 ”こんどのサンプルには、期待していたのですが”

 別の声に振り向けば、もう一人の赤い女が立っている。  

 ’脳が複雑なだけに、夢の好みが難しくて……ですが、方向性は大分はっきりしてきました’

 彼を手に載せた赤い女は、彼を胸元に落とす。 三角のくぼみが彼を受け止める。

 「おい!なんなんだこれは? お前たちはいったい?」

 ’貴方様の望みの夢を作るための実験です。 意識の一部を分離し、貴方様の雛形を作って。好みをさぐり、最高の夢を作る

ための試み’

 赤い女は、そう言いながら、軽く唇を開いた。 笑みの形の暗闇から、トロトロと赤い液体が溢れだし、細い滝となって女の

胸元に注がれる。 それが、彼の挟まっている三角の窪地に流れ込んできた。 思わず身を引いた彼の足に、赤い液体が触れる。

 「ひっ!?」

 それに触れたると、触れた場所がしびれた。 動かなくなった足を、赤い液体包み込んで昇ってくる。

 「うぁ?……」

 包まれたところが、ジワリと温かくなり、そして体の芯が蕩けるような優しい快感に包まれていく。 夢の中に沈んでいくような、

心地よい感覚の中で、彼は自分の体が溶けていくのに気がついた。

 「と、溶ける……」

 ’良い心地でしょう? 一部とはいえ、大事なお方の意識。 快楽の中で溶かして、元の意識に戻して差し上げます’

 ”ご心配なく、経験も、記憶も、元の意識と一つになって、失われるものなどありませぬから”

 二人の赤い女の声を遠くに訊きながら、男は、自分がもう何度もこの儀式を体験していた事を思い出す。 なんども、何度も、

彼女は、彼女たちは、彼を夢の中で弄び、可愛がり、犯していた。 彼を楽しませる為に、彼を飼いならすために。 夢の中で、

悪夢の中で……

 「と・ろ・け……」

 女がゆっくりと乳を揺する。 乳の谷間の赤い泉の中でも彼の意識は快楽に溶け、記憶と経験の溶け込んだ悪夢の液体になり、

女の胸から床に、彼の脳に流れていった……

 ’今度は……もっと素敵な夢を……’  

 ”素敵な悪夢を……”

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 しゃべりおえると、男性は手に持ったガラスビンを指で挟んで、ロウソクの明かりにかざして見せた。 中身は透明な液体で、

ただの水にしか見えない。

 「それで? その後は?」

 「……別に何も、眼が覚めたら、ベッドの上でした」

 男性は、ビンをポケットに戻し、ロウソクを眺めて、手を伸ばす。

 「何処までが夢だったのか、自分でもはっきりしませんが。 あまりに奇妙で、それでいて生々しかったので、こうして話して

みようという気に……」

 伸ばした手が止まる。 ロウソクがない。 そろそろと顔を上げて滝を見る。 其処には、赤い女が座っていた。

 『この夢は、いかがでした?』

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 「という終わり方どうでしょう?」

 「ふむ、そうですね」

 「場面が跳びすぎて、ついていくのが難しいですね」

 男性は静かに笑うと、ビンをロウソクの脇に置いた。 その動きで火が揺らめく。

 (……?)

 光の加減なのか、滝は、揺らめく炎に照らされたビンの中に、何かが見えたような気がした。

 顔を上げた滝の視線の先で、男性は静かに立ち上がり、ビンを拾い上げる。

 「……それは、ただの水ですか?」

 男性は滝を見て、微かに笑った。

 「本物ですよ、本物の……」 

 ”サンプル301……”

 彼らの頭の上から声が響き、ロウソクの火が消えた。

<第十三話 ナイトメア 終>

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