第十二話 羽衣

9.誘因


 翌朝、テントから出てみると、外にはまた霧が立ち込めていた。 ラフと青シャツは不安げに顔を見合す。

 「先生……」

 教授は無言で二人を促し、三人は朝食の支度にかかる。 手早く食事をすませると、集落の駐在所に向かった。


 「通行不能? 峠の道が?」

 「はい、昨日より霧がひどいため、午前中いっぱいは通行止めになる見込みだそうです。 それと、峠の辺りで車が一台、崖下に

落ちたらしく、救助作業が行われています。 本官もそちらに行かねばならなくなりました」

 「そうですか……」

 「しかし、午後には霧も晴れる見込みです。 救助作業が終わったら、人手を捜索にまわすとの連絡も受けました。 もう少し

お待ちください」

 「判りました。 我々は、『天昇神社』の辺りに行って、もう一度、行方不明の学生の痕跡を探します」

 「そうですか。 神社の辺りには特に危険はないと思いますが、気を付けてください」

 警官は、駐在所のスクーターに跨って、霧の中に消えた。 教授達は、車に戻ると『天昇神社』に向かった。


 「うわぁ……これは凄い」

 『天昇神社』の辺りは、霧が一層深くなっていた。 数m離れると、互いの姿すら見えない。

 「先生、昨日もこんな感じだったんでしょうか」

 「かもしれんな。 なにか?」

 「いえ、こんな霧だと白シャツの奴がいても見えないかも」

 「そうだな……それで互いを見失ったのかもしれん」

 一行は、なんとか『天昇神社』までたどり着いた。 見通しが効かないので、自然に視線が地面に向く。

 「先生、このあたりの草が、なんだか踏まれた跡があるよ合うな」

 「何? おお、よく気が付いたな」

 三人は、腰をかがめて草の踏み跡をたどっていく。 だが足跡と違い、草の踏み跡は見えにくい、目を凝らして探すうちに、三人の

距離が開いていく。 気が付くと、三人は互いを見失っていた。

 「しまった……先生!」 ラフが他の二人を呼んだ。

 ……こっちだ……

 ……どっちだですか……

 声が遠い、相当離れたようだ。 

 「先生! 一旦集まりましょう!」

 ……そうしよう……声をかけてくれ……

 ……どっちだですかぁ……

 お互いの声を目指して、三人は歩き回る。 しかし不思議なことに、声は遠ざかるばかりだった。


 「おーい……これは困った」

 教授は霧の中を徘徊していた。 もう、他の学生の声も聞こえない。

 「磁石でも用意してくればよかったか」

 濡れた草を踏みしめつつ、霧の薄そうなところを探して歩く。 と、突然目の前黒い壁が立ちふさがった。

 「おお、こんなところに岩壁が」

 見上げると、岩肌が上まで続いている。 さすがにこれを迂回するのは無理だ。 教授は岩壁に沿って歩いて行く。

 ……先生?……

 霧の向こうから声がした。 そちらに歩いていくと、青シャツの学生か゜そこに居た。

 「君か。 彼はどうした?」

 「判りません。 迷ったんでしょうか」

 「その様だな……困ったことになった」

 二人は、顔を見合わせると、岩壁に沿って歩いていく。

 「先生、あれ」

 青シャツが先を指差した。 岩壁にぽっかり穴が開いている。 彼らが知る由もないが、それは白シャツ達が入っていった洞窟

だった。

 「洞窟のようだが……ひょっとして」

 「入ってみましょう」

 二人は、洞窟に足を踏み入れた。 外は霧が深いが、洞窟の中は見通しが効く。

 「意外に深いな」

 「そうですね……何か匂いませんか?」

 「ん?……これは……なんの匂いだ?」

 洞窟の奥から、なにか奇妙な香りが漂ってくる。 二人は奥に向かって歩みを進めた。 何かよくわからないが、その香りの源を

確かめたい、そんな気になっていた。


 「お?」

 二人は、突然広い空間に出た。 20mほどのドーム状の空間で、中央に水が湧き、その周りに回廊の様な岩棚が取り巻いて

いる。 そして、水の中からポコポコと泡が立ち上っている。

 「これは……なんでしょう」

 「うーむ……む!?」

 教授が身を乗り出し、水の中を見た。 何かが淡い光を発している。

 「あれは……おおっ!?」

 水の中から、ひときわ大きな泡が湧き出してきた……と思ったら、泡は、割れることもなく水の上にせり上がってくる。 人が

すっぽり収まるほどに大きい。

 「こ、これはいったい?」

 泡と見えたものは、ゼラチンか何かの様な質感で、フルフルと震えている。 青シャツ頭は、それがある海洋生物に似ていることに

気が付いた。

 「ク、クラゲのお化けでしょうか!?」

 青シャツと教授は、顔を見合わせ、平凡だが至極まっとうな結論に達した。

 「逃げよう!」「逃げましょう!!」

 クラゲに背を向けて脱兎のごとく走り出し……たつもりだったが、どうしたことか、足が鉛のように重い。 ゆっくりとしか足が前に

進まない。

 「き、教授!」

 「あの匂い……ガスか何かだったんだ」

 「が、ガスですって」

 「さよう、神経に作用するガスか何かだったのかもしれん。 我々を引き寄せ、動きを鈍くする……為の」

 ガクリと膝をつく教授、その横で青シャツも膝をついた。 やむを得ず、手と足で洞窟の有を這いずって逃げる二人。

 「な、何のために……」

 「それはもちろん……」 教授は、濡れたものが這いずるような音を背後に聞き振り返る。

 「獲物を捕まえる為……」

 人ほどもあるクラゲが、地を這いながら彼らに迫ってきていた。

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