第十話 酔っ払い

9.呑んで呑まれて呑まれて呑んで


 どことも知れぬ埃っぽい倉庫、その中央に洋風のバスタブがポツンと置かれていた。

 ……

 バスタブの中には、うつろな目をした男が一人。 ぶつぶつと意味不明な呟きを漏らしている。

 「ひっ……ひひっ……きゃはははははは」

 突如狂ったような笑い声を上げる男。 それが合図であったかの様に、かれの頭上にあった錆びついた

シャワーから、赤いワインが降り注いぎ始めた。

 「ひっ……ひひっ……」

 血の様に赤い液体は、意志あるものの様に彼の肌を舐めつつ、バスタブを満たしていった。


 ポタリ…… 唐突にワインの雨が止み、静寂が戻る。

 「ひひっ……ひっ……あぁ」

 再び笑い始めた男の声が、喘ぎに変わった。 静かになった水面が盛り上がり、男の体に這い登ってきた。

 あぁぁぁ……

 バスタブの中で蠢く赤いワインは、男を愛撫し包み込む。 そして男の体を犯していく。

 ごはぁ……ごはぁ……

 天窓から差し込む月の光がワインを透かし出し、男の影にルナティック・ダンスを踊らせる。 


 ごぉぉぉぁ……ごはぁ……

 内からこみあげてくる、赤い快感が。 それが命じる、放てと。

 い……ぐぅぅぅぅぅ……

 ドロリとした快感が喉を突き上げた。 男は快感に身を任せ、放った。

 ゴボッ……ゴボッ……ゴボッ……

 バスタブから身を乗り出し、赤い液体を吐き出す。 体の奥で赤い快楽が渦を巻き、熱い快感の液体となって

喉をせりあがってくる、後から、後から……

 ゴホッ……

 最後に一際大きく赤い塊を吐き出し、男は力なくバスタブの淵にもたれかかる。 その体は厚みを失い、出来の

悪い敷物の様に縁から垂れ下がっていた。


 ピチャリ……

 バスタブから垂れた滴が、床に広がる赤い水たまりに落ちた。 と、水たまりの中から赤い人影、真紅の女人が

浮き上がっってきた、深さなどないはずなのに。

 フフ……

 真紅の女人、『レディーナ』は男の皮に目もくれず、バスタブに手を入れてぐいと引いた。 『レディーナ』に引き

ずられるように、もう一人の『レディーナ』がバスタブから出てくる。

 フフ……

 フフッ……

 二人の『レディーナ』がバスタブからさらに二人を…… やがて、倉庫の中は大小の『レディーナ』で一杯になった。

 アハッ……アハハハッ……

 『レディーナ』達が笑う。 『レディーナ』達が踊る。 月影に照らされる、赤い悪夢の舞踏会。 自分達の笑い声に

合わせ、女たちが踊り狂う。


 ボン!!

 不意に一人の『レディーナ』が火に包まれた。 配電盤の火花でも引火したのだろうか。

 アハッ……アハハハッ……

 しかし『レディーナ』達は意に介さず、狂ったように笑い続け、踊りをやめない。 炎は次々と燃え移り、ついには

倉庫そのものが燃え上がった。

 アハハハッ!!

 紅蓮の炎の向こうには、なおも踊る人影が見えていた。 


 「お」

 翌朝、焼け跡を調べていた警察官が、がれきの中から酒瓶を拾い上げた。 匂いを嗅ぐと、ワインの香りが残っ

ていた。

 「酔っ払いどもが」

 苦々しく吐き捨て、警官は酒瓶を手にその場を離れた。

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 滝はちょっと引き、酒瓶に視線を落とす。

 「……あんた、お巡りさんかい」

 返事がない。 目を上げると男がいない。

 「……」

 滝は志戸と顔を見合わせ、もう一度酒瓶を見る。

 パリン!

 突然酒瓶が割れ、辺りに酒の匂いが満ちる。 一瞬遅れてロウソクが倒れ、火が酒に移る。

 ボン!

 酒は、ガソリンの様に燃え上がり、炎となって舞い上がった。

 アハッ…… アハハハハハハハッ…… 

 宙を舞う炎が一瞬女の姿に、そしてその笑い声が辺りに響く。  そして、炎の勢いで起こった風に巻かれ、ロウソクは消えた。

<第十話 酔っ払い 終>

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