第十話 酔っ払い

1.飲み始め


 真紅のロウソクが灯る。

 ロウソクの明かりに照らし出されたのは、カジュアルなファッションの30代の男性だった。 その体が不自然に揺れている。

 (おいおい……)

 滝は呆れた。 男は酔っぱらっているのだ。

 「……よっと」

 男はロウソクの手前に酒瓶を置き、その向こうに座る。 ラベルの無い濃い緑色のガラス瓶の中身は酒らしい。

 「だいぶメートルが上がっているようだが、大丈夫かい」

 「は?……ああ大丈夫、酔ってない、酔ってない」

 あさってを向いて手を振る『酔っ払いの大丈夫』は、およそ信用できそうもなかった。


 「じゃ、この酒について一席」

 (落語じゃないんだが)

 滝は腹の中でため息を漏らした。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 (フム)

 男はタンブラーをテーブルに置いた。 琥珀色のうねりに、ステレオの振動が加わる。

 「アケミでも呼ぶか、それともカクテル・バーに行くか……」

 呟いて、革張りのソファに身を沈めた。

 カタカタカタ……

 BGMに不協和音が加わった。 男は首をかしげ、サイドテーブルの携帯電話を取り上げる。

 「無粋なアイテムだな、便利だが……はい?」

 『いたの……ね、こっちで飲まない』

 「アケミか? ああいいさ、退屈していたところだ」

 男は立ち上がり、身支度をする。


 「釣りはいい」

 「そうすか、すいやせんねぇ、旦那」

 男を下したタクシーは、少し先に移動して止まった。 記録をつけているようだ。 男は何の気なしにトランクに

書かれた社名を読む。

 「マジステール・タクシー……聞いたことのない会社だな」

 マンションのインターホンを操作し、アケミの部屋を呼び出す。


 アケミは、ネグリジェのみという格好で男を出迎えた。

 「いらっさぁーい……」

 「なんだい、もうできあがっているじゃないか」

 アケミは男をリビングに誘った。

 「先にお酒?それとも……」

 男はアケミに最後まで言わせず、その豊満な体をソファに押し倒す。

 リビングに男女の時が訪れた。


 ああ……あぁぁ……

 アケミは男の下で乱れ、しなやかな肢体を絡み付かせてくる。

 「どうした、今日はすごいじゃないか」

 からかう様に言いながら、男はわずかな違和感を覚えていた。

 (いつもと違う……)

 しかしアケミに激しく求められるうちに、彼の疑念はどこかに吹き飛んでいた。

 豊満な乳房は彼の下で形を変え、波打つように揺れ、弾む。

 しなやかな脚は、蛇の様に彼の足に絡み付き、彼の腰を引き寄せる。

 「はぁ……うぅぅっ」

 そそり立った、彼自身が腰の動きだけで女の中に吸い込まれた。 熱い蜜のぬめりが彼にまといつき、

そして甘酸っぱい快感と酩酊感で彼を包み込む。

 「うぁぁ」

 情けないことに、それだけで果ててしまいそうになる。

 「うふっ……まだだぁーめ」

 アケミの唇が彼の唇を奪い、何やら酸味のきいた液体を流し込んでくる。

 (……ワイン? いままで口に含んでいたのか?……おぅ)

 頭がくらくらして、酔いが回る。

 もっと……そう、そこ……

 (ここか……)

 自然に腰が動き、アケミの中に深くつきこんだ。 アケミは熱い喘ぎを上げ、彼の下でもだえ、その腹がうねる

ように波打つ。

 あうっ……

 アケミ体が快感が波にのたうつと同時に、その波が彼自身を包み込んだ。 そして、その波は彼自身に浸み込んでくる。

 (ああっ?……)

 染みてきた甘酸っぱい快感に男の証が支配された。 止まらぬ快感に、体が操られていく様な気がする。

 (あっ、あっ、あっーっ!!)

 声を殺したのは男の見栄。 しかしその瞬間、彼は確かにアケミにいかされていた。

 ……

 音もなく崩れ落ちる二人。 男は、下にいる女の体の中に波の音を聞いた気がした。


 コト……

 アケミが出して見せた酒ビンにはラベルがなかった。 彼女がその中身を2つのワイングラスに注ぐ。

 「……赤ワイン? ビンテージものか?」

 「かもね。 でも飲めりゃ何だっていいわよ……うふっ」

 ワイングラスを手渡しすアケミ。 受け取って、それっぽく匂いを嗅いでみる。

 「気取っちゃって、どうせふりだけでしょ」 そう言うと、くいっと中身を空ける。

 「おいおい、大分飲んでるんじゃないのか?」

 アケミはグラスをテーブルに還し、桜色に染まった顔彼に向ける。

 「んふ……1と2と……こんだけ」

 指折り数え、片手を広げたアケミを呆れたように見る男。

 「飲みすぎじゃないのか」

 「いえ、適量よ……そろそろかなぁ」

 「なにが?」

 いぶかしむ男の前で、アケミの様子が急変する。

 うっ……うううっ……

 喉を抑えて下を向くアケミ。 男は立ち上がり、バスルームに駆け込んで、洗面器を持って来る。

 「おい、もうちょっと我慢……な!?」

 アケミは天井を見上げ、口から赤いモノを吐いていた、噴水の様に。

 (吐血!……じゃない?)

 赤いモノは光を通していた。 それは赤ワインだった。

 (アケミ……)

 アケミが縮んでいく。 いや、縦に潰れていく。 さながらアケミの形をしたキグルミが、中身を失って潰れて

いくかのようだ。

 (……)

 さしたる時も経ず、アケミは床に積まれた肌色のキグルミに変わり果て、その周りを赤ワインが濡らしていった。

 「アケミ……!?」

 広がりつつあった赤い水たまりが動きを止め、次いでビデオの逆回しの様に1点に集まっていく。 

 「……」

 声を失った男の前で、『赤ワイン』は一つの塊になった。 その塊は、立ち上がるように伸びあがり、形を変え、

人型を、そう人間の女の形になった。

 「アケミ……じゃない?」

 その『赤ワイン』女の顔は、明らかにアケミとは違っていた。 女はじっと男の顔を見る。 そして……

 ブッ……ブハッ……キャハハハハハハハ……

 けたたましく笑い出した。

 男は空になったボトルを見て思った。

 (飲みすぎたのは俺のほうだったか)

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