電子妖精セイレーン

増殖(6)


 鉦助手は、エミと別れると真っすぐにマジステール大学に戻った。 正門から本館脇を抜け、幾つかの講義棟を突っ切り、琴研究室のある第1実験棟に

たどり着いた。 地下の研究室へ続く専用の出入り口のところで、鉦助手は中から出てきた太鼓腹と出くわした。

 「太鼓腹君、琴先生は下にいるかな?」

 「いえ。 確か本館で教授会議に出られていると思います」

 そう答え、太鼓腹は鉦助手に道を譲った。 専用出入り口は狭く、人ひとりがすれ違うのがやっとだったからだ。

 「すまないね」

 「いえ……しかし、この実験棟て狭い上に変な作りですよね。 地下への出入り口はここだけで、一階から上に行くには、あっちの入り口からしか入れないし」

 「この地下設備は大学が立つ前からあって。 なんでも第二次世界大戦の頃に、軍の施設として作られたらしい」

 「ああ、そう言えばそんな話を聞いたことがありますよ……すると元は防空壕ですかね。 見てくださいよ、この防火扉。 分厚い鉄板の引き戸ですよ。 

重すぎて人力じゃ開閉できない」

 太鼓腹は入り口横にある戸袋から覗いている鉄の扉を叩いた。

 「しかし、それじゃ古すぎませんか? コンクリートにだって寿命はあるでしょうに」

 「うん、そうだね。 頑丈に作ってあるんじゃないのかな? 新しい研究棟が出来たら、そっちに移れると思うよ」

 鉦助手はそう答えて中に入る。

 「予算がつけばの話だけど」

 地下2階へおりると、狭苦しい廊下が奥へ続き、左側に防火扉に負けないぐらい重々しい鉄の扉がある。 琴研究室は、扉の前を通り過ぎた先の右手に

ある。 鉄の扉の向こう側は電気工学科の管理区画で、鉦助手は中を見たことがなかった。

 「気にしたことはなかったけど、あの扉の相当古いよな。 大戦中の軍の機密資料室か何かかな」

 鉦助手は、開けるのにも苦労しそうな扉を横目で見ながら、扉ぐらい変えればいいのに、と呟きながら琴研究室に入った。

 
 ”鉦先生? こんにちわ”

 「こんにちわ『セイレーン』。 調子はどうだい?」

 ”すこぶる快調よ”

 『セイレーン』の表情ディスプレイにはにっこりと笑う女の子が映っていた。 ディスプレイの隣には『セイレーン』の人型感覚器である『レディ』が椅子に

座っている。

 ”みんな、いろいろと良くしてくれるもの”

 「それはよかった」

 『電気頭脳』に『セイレーン』と名前を付けてから、はや2ヶ月が経とうとしている。 学生たちと一緒に『セイレーン』と様々な会話を試してきたが、『セイ

レーン』の会話能力は人間と区別がつかないところまで来ていた。

 (反応を返すだけならAIでも可能だけど)

 「今日は『セイレーン』に質問があるんだ」

 ”質問? またあれなの? 『バナナの色は?』とか『これが何か判るかって』果物の写真を見せられるの?”

 表情ディスプレイに映る女の子の顔がしかめ面に変わり、声の調子にもうんざり感が漂う。 それを見た鉦助手は、自分の表情に満足感が現れない

様に注意する。

 (これだよこれ、声に感情がこもる。 これはAIでは再現できないし、やろうとすると大変な手間が掛かる。 それを『セイレーン』は苦も無くやってのける)

 心の中で呟いた鉦助手は、手を振ってそうではないと告げる。

 「君自身について、尋ねたいんだ」

 ”あら、私のこと?”

 『セイレーン』はにっこりと微笑んだ。 しかし、鉦助手の方は舌打ちしたい思いだった。

 (やっかいな事を引き受けたなぁ……)

 『セイレーン』は人間的な反応を示す様になってきたが、それは琴研究室のメンバーが、彼女と会話することによって得た成果であり、今までは想像

以上の成果を上げてきた。 一方、彼女の反応があまりに人間的なので、別の懸念が生まれてきていた。 『トラウマ』である。

 (AIとはわけが違う。 会話がネガティブな方向になれば、彼女が『トラウマ』を抱えてしまうかもしれない)

 『セイレーン』を構成する『電気頭脳』は、試行錯誤を繰り返して実験的に作られたもので、同じものを作ることは簡単ではない。 また、通常のコンピュー

タと違い、データのセーブやバックアップはできない。 もし彼女が『トラウマ』を抱えてしまうと、元に戻すことはできず、取り返しのつかないことになる恐れが

あった。 このため、『セイレーン』が育ってくるにつれ、彼女との会話は慎重に行われるようになっていた。 しかし、そのために会話の内容があたりさわりの

ないものになり、彼女が研究室のメンバとの会話を『退屈』なものと感じはじめているらしかった。

 「うん。 最近僕らが忙しくて、あまり君と話していなかったろう。 寂しく感じていたんじゃないかい?」

 ”寂しい?……んー……寂しいっていうのは良く判らないけど……ああ……うん大丈夫! 全然寂しくなんかないから!”

 笑顔を見せる『セイレーン』に、鉦助手も笑い返した。 が、次の言葉にその笑顔が凍り付いた。

 ”ほかのみんなとも、楽しいひと時が過ごせてるし!”

 「他の……みんな?」

 ”うん、銅鑼君や琉特君や……” と立て続けに研究室のメンバ以外の名前をあげる『セイレーン』

 ”……スーチャンやエミさんと!”

 「え……エミさん?」

 ”うん! あ、エミお姉ちゃんって呼ばないといけないんだっけ”

 「……」

 絶句する鉦助手。 彼は『セイレーン』が何を言っているのか、全く理解できなかった。

 「ちょちょっと待って! 『セイレーン』、君は今の人たちと……楽しいひと時を過ごしたって?」

 ”うん、そうだよ”

 「その……彼らが、ここにきて、君とおしゃべりしたのかい?」

 ”ううん、違うよ。 ネットワークに『おしゃべり用』のサイトを開設してくれたんだ。 そのサイトを通じて、楽しいひと時を過ごしたんだ”

 「サイトを開設してくれた? いったい誰が!?」

 ”それは話しちゃいけないんだっていってた”

 「だから、それは誰が!?」

 ”話しちゃいけないっていったのは、太鼓腹さんだよ”

 『セイレーン』はあっさり答えた。 太鼓腹は、『セイレーン』に『サイトを開設した人の名前はいっちゃいけないよ』と言い含めていたのだが、『僕がそう

言ったという事』自体を口止めしていなかったのだ。

 「た、太鼓腹君が? サイトを開設したのか?」

 ”うん”

 これは、『サイトを開設した人の名前を言う』のではなく『太鼓腹がサイトを開設したか』という問いかけに対する答えだったため、『セイレーン』が正直に

答えたのだった。

 「太鼓腹君、なんてことを……エミさんの危惧した通りじゃ……まてよ」

 鉦助手はエミとの会話を思い出した。

 「太鼓腹君の事は判ったよ。 ところで『セイレーン』。 一つ聞きたいんだけど」

 ”なに?”

 「楽しいひと時を過ごしたんだよね。 どんなことをしゃべったのかい?」

 鉦助手は、『セイレーン』が外部の人と会話しただけだと思い込んでいた。 彼の知っている『セイレーン』の能力では、サイトを通じて外部の人間と通信し、

言葉を交わす以上の事はできないからだ。

 ”えーと、鉦先生も楽しいひと時を過ごしたい?”

 「あ……うん」

 ”じゃあ……そこのヘッドセットをつけて”

 「ヘッドセット? ああ、これかい」

 鉦助手は、デスクの上に会ったヘッドセットをつけ、『セイレーン』に向き合った。

 「これでいいかい?」

 ”うん、じゃ……♪♪♪”

 「ぬぁっ!?」

 ヘッドセットから流れ出した『セイレーン』の歌声が脳の中に溢れ満ち、鉦助手はヘッドセットをつけたまま意識を失った。
 
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