電子妖精セイレーン

幕間


 X月X日。 マジステール大学、雑学部オープン講義『人間の意識、その可能性を探る』。

 オープン講義は、一般の人に対しマジステール大学の活動を知らしめるためのもので、定員はあるものの、申し込みさえすれば誰でも聴講することが出来た。 ただその内容は

かなり極端であった。 そして今日、エミは麻美を誘ってこの講義を聴講しに来ていた。

 「エミさん。 この講義って役に立つんですか?」

 麻美は、事前にプリントしてきた講義の概要を読んでいる。

 「この講義の内容に、少し気になることがあってね」

 エミが応えると、麻美はあたりをはばかる様に小さな声で聞く。

 「なんです? 気になる事って」

 「まぁ、聞いてみましょうよ」

 エミが応えた時、今日の講師が入って来た。 ざわついていた教室が徐々に静まっていく。


 「さてお集りの皆さん、本日のみなさん。 本日のテーマは、『人間の意識、その可能性を探る』と言うものです。 まず、このモデルを見てください」

 講師は教壇の上に置いたパソコンと、それに繋がれたマジックハンドを示す。

 「このパソコンには、マジックハンドを動かすソフトがインストールされています」

 講師がパソコンを操作すると、マジックハンドが動き出し、傍に置かれていた積み木を掴み、積み上げていく。

 「このパソコンは『労働』している訳ですが、CPUの数%しか使用していません。 よって他のソフトを同時に動かすことも可能です」

 講師がパソコンを操作すると、パソコンの画面に映画が表示された。

 「この通り、パソコンは肉体労働と映画再生を同時に行っています。 これでもまだ、パソコンの能力の半分も使っていません」

 講師はパソコンの画面を2つに分け、マジックハンドの制御ソフトと映画の画面が皆に見えるようにした。

 「このパソコンが『労働』と『映画鑑賞』を同時に行っているモデルだとします。 同じことは人間にできないでしょうか? もちろん、TVを見ながらしゃべるとか、手作業をすることは

可能でしょう。 しかし、注意がTVに向いてしまえば、作業への注意が散漫になり、問題が生じます……」

 
 「なんだ、何かと思えば『ながら仕事』のコツを教えてくれるっていうのかしら?」

 「さてどうかしらね」

 
 「……問題点は、二つの作業で同じリソースを必要とする点にあります。 したがって、違うリソースであれば、作業を同時に実行可能なわけです。 例えば、音楽を聴きながら家事を

行うといった具合にです。 しかし当然ながら、条件に合う作業は限定されます……」

 
 「そうでしょうねぇ」

 「それに、音楽だって真剣に聞くときは、他の事はしないわよねぇ」

 
 「……つまるところ、人間の意識もリソースの一つであり、これを複数の作業に振り分けることは困難です。 しかし、もしも『第二の意識』が存在したらどうなるでしょう」

 
 「……え?」

 「二重人格?」

 
 「パソコンのモデルを思い出してください。 CPUは一つでも、OSがCPUパワーを分けているので、同時に複数の作業をこなすことが可能です。 例えば、人間の頭脳に『もう

ひとつの意識』を作り出し、そこに作業をさせたとします。 そうすると複数の作業をこなすことが可能になるでしょう」

 
 「とんでもないことを言い出しましたよ?」

 「うん……でも……なるほど」

 「え? 頷けるような内容ですか? この話って」

 「いや、つまりね。 人間の脳って、使われていない部分も多いって言われているのよ。 だからそこに『第二の意識』を作って、仕事を分担させたり、そっちに仕事をさせるって言う

のはありかなって……」

 「ちょちょっと? そんなこと言っても体は一つで、目は二つですよ? できることなんて限られるんじゃないですか?」

 「片方が肉体を使い、もう片方が頭を使えばどうかしら。 例えば、何かの計画を真剣に考えるているあいだ、体は家事をするとか。 活用できる場面は限定されるけれど」

 「それは……でも、それって可能なんですかぁ? その技を身に着けるのに苦労するんじゃ、本末転倒ですよ」

 
 「……これを行うには訓練が必要でしょう。 しかし、外部から第二の意識を『インストール』できればどうでしょうか」

 
 「え?」

 「……」

 
 「もちろん現在では、『意識』をインストールすることなどできません。 知識ですら、学習という方法でしか得ることが出来ません。 しかし、『意識』が経験と知識から作りだされると

すれば、『第二の意識』を同じ手段で頭脳の中に作りだすことも可能ではないでしょうか……」

 
 「うわー…駄目だ、ついていけない」

 「ええ、この部分は頷けないわねぇ……別の人格を外部から送り込むなんて……」

 話が極端になったためか、辺りがざわめき始めた。


 「倫理面から、『第二の意識』を送り込むなど許されるものではないでしょう。 しかし、脳と意識の研究のうえで、そう言うことが起こりうるのか、起こるとすればその条件はどういう

ものなのか、これは研究に値することだと私は考えています……」

 
 「……ふーん……」

 「考えるだけで、実行に移さなければねぇ」

 エミと麻美は講義が終わると同時に席を立ち、大講義室を後にすると学食に席を取った。

 「ところで、何故この講義を聞きに来たんです?」

 麻美の質問に、エミが応える。

 「『セイレーン』と会った体験、それが理由よ」

 「?」

 「『セイレーン』と会い、話した感触から感じたんだけど……あの子は確かに実在している」

 「はぁ」

 「で、実在しているとして、あの子はどこにいるの?」

 「?……パソコンでつないでいたんだから……その先じゃないんですか?」

 「だったら、音声と映像、それは貴方にも見えたんじゃないの? それはみえた?」

 「……いえ……だったらエミさんの意識か魂が、パソコンの回線を通じて『セイレーン』のいる場所に引っ張られて……」

 「どうやって?」

 「それは……判りませんけど……」

 「私はこう考えたの。 私は『セイレーン』と話した。 まず、『通信していた』、これは記録も証拠もない。 次に私が、『彼女の所まで行った』、こちらは通信よりさらに無理がある。 

となれば……『『セイレーン』が私に会いに来た』、これは否定する根拠がないわ」

 「はい」

 「ではやってきた『セイレーン』はどこにいたのかしら?」

 「パソコンの中ではないの?」

 「その場合、『通信していた』のと同じことになるわ」

 「ああ、そうなるのか」

 「とすると、『セイレーン』は、私の中にいたことになる」

 「え?」

 「つまり『セイレーン』の意識、またはそれに準じる何かが、あの時私の中、頭の中にいた。 そう思えるのよ」

 「……つ、つまり……『セイレーン』の意識が……エミさんにインストールされていた?」

 「さっきの講義の表現を借りると、そう言うことになるわね」

 麻美は訳が分からないと言った表情になった。

 「そ、そんなことが可能なんですか?」

 「『あれ』を体験する前だったら一笑に付したわ……でもいまは……否定しきれない」

 麻美はこぶしを握り締めてエミを見た。

 「『セイレーン』てなんなんです? 妖怪の一種ですか? コンピュータを通じて人間に乗り移るなんて……」

 「乗り移ったという表現が適当かどうか……それに釈然としないことがあって……」

 「なんです?」

 「なんでネット経由なのかしら?」

 「コンピュータ・ウィルスとか言う奴なんじゃないんですか」

 「人間に取りつくコンピュータ・ウィルスはないわよ。 人間に乗り移る妖怪なら、ネット経由でなくてもよさそうなものだけど……」

 「ネットかコンピュータに封印されているとか」

 「だれがどうやって封印するのよ」

 「じゃあネットの中でしか生きられないとか」

 「人に乗り移っているわよ?」

 「えー……じゃあ動けなくて、傍にネットしかないとか……」

 「動けない……か。 それはあるかもね。 だとすれば、URLの先を突き止めれば、自動的に『セイレーン』にたどり着くことになるわね」

 エミは、露のついたアイスコーヒーのグラスを手に取り、一口含む。

 「……」 思ったより苦い味に眉を寄せる。

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