電子妖精セイレーン

幕間


 ふぅ……

 エミはラージサイズのプラカップをテーブルに戻し、ため息をつく。 手首を返し、細身の腕時計で時間を確認し、辺りを見回す。 大手チェーンのコーヒーショップは、

7割ほどの客が入り、その3割が会話中で残りはスマホをせわしなく操作している。

 (そろそろ来る頃ね……さて、どう対処したものか……)

 一か月ほど前、麻美の使い魔のハムスター娘、通称『ハムちゃんず』とミスティの使い魔『スーチャン』が、深夜の公園でちょっとした騒ぎを起こした。 公園の

トイレを使おうとした男性を押し倒し、いたずらを仕掛けたのだ。 幸い、大事に至る前にエミが使い魔たちを制止してその場を取り繕ったので、被害者は子供が

悪ふざけをしただけだと思ってくれた。 しかし……

 (深夜っていうのがまずかったわよねぇ……)

 それが起こったのが、そろそろ日付も変わろうか言う時間帯だったのがまずかった。 被害にあった男性は、事件の翌日にエミと会い、子供がそんな時間に

遊んでいる事を問題視し、遊ばせるなら昼間にするように忠告してくれたのだ。 それだけならばよかったのだが……

 (悪い人ではないのよねぇ……)

 それから一か月、エミと使い魔たちの生活が『改善』されたか気になり、会って話をしたいと言ってきたのだ。

 (私に気がある……のなら対処は簡単なんだけど)

 そこまで考えたところで、かの人物が店に姿を現した。 エミを見つけ、片手をあげて挨拶する。

 
 「久しぶりですね」

 「ええ、その節はご迷惑をおかけしました。 鉦先生」

 「私は助手ですよ。 先生と呼ばれる立場じゃありません」

 男性は律儀に訂正し、コーヒーカップに口をつけ、蓋をしてテーブルに戻す。

 「それでどうです? あの子たちの様子……いや生活は? 私が口を出すべきことではないのでしょうが」

 「いえ、とんでもない。 見ず知らずの私どもを気にかけていただいて。 感謝しています」

 鉦助手はエミを『海外から日本にやってきた不幸な子供たちを世話している女性』と聞いていた。 それもエミ自身、あまり胸を張れる職業ではないと。

 「なにか力になれることがありましたら、遠慮なくおっしゃってください」

 「と、とんでもありません」

 慌てた様子でエミは言う。 実のところ、あまりエミたちに関心をもってもらうと困るので、慌てた様子なのも嘘ではないのだが。 「むしろ、あまり動いていただ

かない方が……その……いろいろとありまして」

 「そうなのですか?……そうですね、こうして呼び出したりしていること自体がご迷惑ですね」

 「いえ、そんなことは……」

 (正直に言えば多少は迷惑だけど……心配してくれるんだもの、文句は言えないはよね)

 エミは本音を隠しつつ、どう話をすれば鉦助手が自分たちの事を気にかけないでくれるようになるかを考えていた。

 「お忙しいでしょうに、私どものために時間を割いていただいて、感謝していますとも」

 「いえ、忙しくは……いや、忙しいのは確かで、それで前にお会いしてから一か月も開いてしまいまして」

 「鉦さんは、大学の方でしたね。 実験かなにかで忙しいのですか?」

 エミは話をそらそうと試みながら、自分のコーヒーを口にする。

 「ええ、人間の感覚を……そう感覚を持ったコンピュータを作る研究でして……」

 「ええええ!? そ、それは凄い!!」

 突然海が身を乗り出してきて、鉦助手は驚いてのけぞった。 およそ、彼がこの研究のテーマを口にして、ここまで熱心に食らい付いて来る人は皆無だったからだ。

 「ど、どうやって実現するのですか? 皮膚感覚、味覚のインタフェースは? パターン認識は? 既存のコンピュータのCPUを使っているのですか?」

 「え、ええ、現存の技術の延長を使いっての話なのですが……」

 思わぬ攻撃にたじろぎながら、鉦助手はエミに研究の内容を説明し始めた。

 
 1時間後。

 「『電気頭脳』……セイレーン……ふーん、そんな研究を進めていたのね……」

 「ええ。 ただ、セイレーンの反応は、私たちにとっても予想外で……」

 鉦助手から聞いた研究の内容に、エミはすっかり夢中になっていた。

 「それにしても、人間の感覚の研究用に作っていた実験機なんですよね、そのセイレーンは?」

 「ええ」

 「その程度のコンピュータが、そんな人間的な反応を示すなんて、変じゃないですか」

 「え? まぁ、そうですが……」

 「容量も、速度も……いやそもそも、アーキテクチャが……違う?」

 エミはぶつぶつ言いながら、額に手を当てて考え込み始めた。

 「感覚器のシミュレートなら、すでにできている……そうか、受け取った感覚をどう認識するかの問題……つまり人間の脳をシミュレートすれば……」

 「え?」

 「……そう、人間の脳をCPUやメモリで再現できればいい……でもそれには人間の脳との比較が……」

 「あ、あの?」

 「……うーん、でも生きている人間の脳の動きを子細に調べてからでないと……再現するのは難しい……」

 「あの……エミさん」

 「ねぇ、鉦さん」

 考え込んでいたエミが、急に顔を上げて鉦助手に話しかけた。

 「は、はい?」

 「どうやってその『電気頭脳』を設計したのかしら。 まさか、形だけ脳みそ型ににしたわけじゃないわよ……いえ、ないですよね」

 「え?……も、もちろんです。 医学部の資料、論文を参考に、人間のニューロンをシミュレートするICを設計し、それを並列化して、徐々に規模を拡大し……」

 「でも、人間の脳は均一化したニューロンの塊という訳ではなくて、大脳、小脳、間脳などの役割に分かれた構造を持っているし、大脳にしても視覚野、言語野と

言う様に、領域毎に役割が分かれているわよ……いえ、分かれていますよね。 それを全てシミュレートするものを作ったと?」

 「そ、それは……」

 「それができれば凄いとは思うけど……いえ、そこまで作りこまないと『セイレーン』の反応はあり得ないんじゃないのかしら……」

 そこまで言ったエミは、鉦助手が真っ青になっているのに気が付いた。

 「エミさん……あなた何者です?」

 「別に……まあ大学は出ているし、専門家じゃないけど一般的な知識は持っているつもりよ……少なくとも、人間的な反応を示すコンピュータが、『偶然』出来

上がることはない、と言える程度には」

 鉦助手は黙ってコーヒーを口にしする。 その手が細かく震えていた。

 「その……セイレーンって……」

 「帰ります」

 鉦助手は唐突に立ち上がった。

 「すみませんが、今日はこれで」

 鉦助手はテーブルに置かれた伝票を取ると、支払いを済ませて店を出た。 後にはエミだけが残された。

 「セイレーン……人の意識が宿ったコンピュータ?……いえ……」

 エミはじっと宙を見据えて呟く。

 「『人』の意識とは限らないんじゃ……」

 エミはハンドバックを開け、中を探っている。

 「だとしたら?……面倒ごとに巻き込まれるかも……さて……」

 エミはハンドバックの中を見た、手の中に光るものが握られている。

 「さてさて、あたしの『良心』はなんと言うかしら……」
  
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