電子妖精セイレーン

成長(3)


 〇月×日。 マジステール大学、雑学部講義『仮想現実の実現性ついて』。

 マジステール大学には一風変わった講義があった。 教授や助教授、時には学生が自分の専門分野以外の事について、自身の研究成果や考えを

述べるのである。 それらの講義はひとくくりに『雑学部講義』と呼ばれていた。 もっとも、正式に雑学部と言う学部が設けられているわけではなかったが。 

専門外の事を好き勝手にしゃべるため、見当違いの講義がほとんどだったが、斬新な意見が聞けることもあり、人気のある講義であった。 今日も大勢の

学生が大教室に詰め掛けていた。

 
 「今日の雑学部講義ってなんだっけ?」

 「確か、医学部の助教授で……『仮想現実の実現性について』だっけ」

 「わりとホットな話題だよな?……お、『満員御礼』の札がでてるぞ」

 「今日は立ち見だな」

 
 『さて、学生諸君。 今君たちは黒板の前、教壇に立つ私を見ていると思うが……いや、視覚障害のある諸君には見えていない訳だが、この光景が実は

主観的なものであることを知っているかね? 我々は可視光と呼ばれる電波放射を眼球で受信し、その内容をこの脳で認識している。 つまり君たちが

見ている光景は、実は君たちの頭脳に伝わった情報に過ぎないという事だ……』


 「へー……そうなのか?」

 「あれだろ、犬は色が認識できないから、白黒の世界に生きているとか」


 『……つまり我々は、『客観宇宙』から自分の感覚器から得た情報をもとに、脳が構築した『主観宇宙』に生きていると言えるわけだ。 哲学では『真の

姿を知ることが出来るのは神のみである』と言うらしい……』

 
 「……哲学だっけ?」

 「神様がでてくると宗教なのかなぁ。 でもなんとなく判る」

 
 『……フィクションでは、仮想現実の世界に人の精神を送り込む話が多数あるが、この様に『主観宇宙』の考え方からすれば、人間の精神活動自体が

仮想現実の中で行われているわけだ……技術的な問題を別にすれば視神経に電線を直結して適当な信号を送り込めば、視覚的には完全な仮想現実を

作り出せるだろう』

 
 「サイバーパンクの事だよな?」

 「ああそうだ」

 
 一人の学生が手を上げて質問した。

 「人間の精神は脳の活動によるものですよね? 精神を脳から取り出し、電脳世界……に入っていくことが出来るのですか?」

 『いやそれは困難だろう。 私が言っているのは、仮想現実を作ってそこに精神を呼び込むのではなく、人の脳内に仮想現実を構築するという事だ。 

平たく言えば『夢』をみせるという事だ』

 
 「夢オチか。 わりと陳腐な話になったな」

 「ああ。 3D映画見るのに手術を受ける奴はいないよな」

 
 講義は無難なところに落ち着き、やや期待外れと言った顔で聴講生が教室を出て行く。 講義を行った助教授も資料をまとめて教室を出て行こうとした。 

と、一人の学生が歩み寄ってきた。

 「先生、質問があるのですが」

 「君は?」

 「拍子木と言います。 電子工学科の琴先生の研究室の院生です」

 「そうか。 それで質問とは?」

 「先ほどの『仮想現実』の実現性についてです。 医学的にはどの程度の実現可能性があるのでしょうか」

 助教授は笑いかけたが、拍子木が真剣だったので真面目な回答をした。

 「すでに視覚障害者の視神経にビデオカメラを繋ぐ事はできている。 だから実証実験をすすめていけばかなりのところまで到達できると思うが……

実際には無理ではないかね」

 「それは、倫理面からですか?」

 「それもあるがね。 仮想現実に入るために自分の体を傷つける……そう神経に電線を繋ぐ人間などいないだろう。 そして需要がない技術は売れない。 

今の社会で実現することはないだろう」

 「そうですか……」

 身もふたもない助教授の言葉に、拍子木は表情を曇らせた。 そして顔を上げるとさらに質問した。

 「もし……もしもですよ。 電線を繋ぐ以外の方法があれば、脳内仮想現実は可能でしょうか?」

 「順序が違うよ。 まず『電線を繋ぐ以外の方法』を探すことだ。 次にそれが人に受け入れられるかどうかだ」

 拍子木は少し首を傾げた。

 「そうですね……判りました」

 「うん……なにかね、琴先生は『仮想現実』の研究を始めたのかね」

 「そうではないんですが……その妙な夢を見まして」

 「夢?」

 「ええ……まるで現実の様で、それでいてあり得ない夢を……」

 「ほう? どんな夢かね」

 「すみません、それは勘弁してください。 他人に話せるような内容ではなくて……」

 「そうか……まぁ、私が知る限りでは、人間にリアルな仮想現実を見せる技術は存在しないよ、まだね……そう、君がサイボーグか何かで、神経に外部

から直接入力できるようになっていない限り」

 「それ、笑えませんよ。 うちの大学だと」

 「そうだな。 マッドサイエンティスト養成大学だったな、うちのあだ名は」

 
 教室をでた拍子木は考え事をしながら学食へ歩いて行った。 学食に併設された喫茶室に入ると、そこに同じ研究室の太鼓腹と銅鑼が何か話していた。

 「おお、拍子木。 どうだったあのサイト? 面白かったろう」

 「太鼓腹、あれなんだ……やばくねぇか」

 拍子木は椅子を引き、二人の前に座る。

 「昨夜試してみたよ……そしたら」

 「女の子が出てきて、相手してくれたろ?」

 太鼓腹が下卑た笑いを見せる。

 「相手って……なんかわけわかんない夢と言うか……あれ」

 「あれって『夢』なんじゃないか?」

 銅鑼が言った。 彼もあのサイトにアクセスしたようだ。

 「『夢』? 現実としか思えなかったぞ、あの女の子。 それに、あの白い壁の部屋は何だよ」

 「なんでもいいんじゃねぇか?」

 太鼓腹がコーヒーに砂糖を投げ込んでかき回す。

 「かわいい子に相手してもらって、おまけにタダ! 誰が作ったか知らないけど、すげぇサイトだよな」

 「お前も知らないのか太鼓腹? まてよ、お前だれから教えてもらったんだ?」

 拍子木が太鼓腹を問い詰める。

 「いや、ネットサーフィンしてたら偶然たどり着いたんだ」

 「おいおい」

 「ウィルスチェックもしたし、大丈夫だろ」

 拍子木はなおも太鼓腹、銅鑼と話し合ったが、二人は拍子木ほどに危険を感じていないようだった。

 「とにかく、あそこにはもうアクセスしない方がいい」

 「大げさだな」

 そう言って太鼓腹と銅鑼は席を立ち、後には拍子木だけが残された。

 「だれかに相談した方がいいかな……」

 
 拍子木、太鼓腹と別れた銅鑼は、自分のアパートの部屋に返ってきた。

 「拍子木の奴、神経質すぎるぞ」

 机に置いたパソコンを起動し、ヘッドセットをつけて、ブラウザを開いた。

 ボッ

 真っ白な画面を背景にして、耳の尖った少女が映し出される。

 ”あはっ、銅鑼お兄ちゃんだ!”

 下ったらずな声がヘッドセットから響いた。

 「やぁ……って、元に戻したの?」

 ”うん? 好みじゃなかった?”

 「うん、昨日の姿になってくれるかな」

 銅鑼の好みは黒髪のお姉さんタイプだった。 昨晩、この女の子にリクエストしてその姿に変わってもらい、相手をしてもらったのだ。

 ”わかったぁ。 えい!”

 ボンと画面の中で煙が上がり、女の子は黒く長い髪で目のぱっちりしたお姉さんに変わる。

 ”これでいいかしら?ボク”

 「うんうん」

 嬉しそうに頷く銅鑼。

 『じゃあ……』

 お姉さんが口を開き、ヘッドホンから『歌』が流れ出す。

 「来た」

 銅鑼の頭の中に歌が流れ込んでくる。 そう、流れ込むという表現がぴったりくる、ねっとりとした歌声が。

 「……」

 椅子に座った銅鑼の目の焦点が合わなくなっていき、表情が緩んでいく。

 ”ふふ……ふふふふふ……”

 銅鑼の頭の中に『お姉さん』の笑い声がこだまする。
 
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