電子妖精セイレーン
誕生(5)
セイレーンをネット接続するという太鼓腹の提案に、横笛が首をかしげた。
「ここからネット接続できるのか? 学内のネットを経由するとして、アカウントはどうする」
「第一、アクセスモニタに引っかかったら大ごとになるぞ。 この間3年生がオンラインゲームやってたのを見つかって、注意処分受けたろうが」
「学内ネットを経由しなけりゃいいのさ。 この棟のビル管理会社は、エレベータや電源を遠隔監視してるだろう?」
「それが?」
「管理会社の設置してるルーターを踏み台に使うのさ。 あれはネットと直結してるから、学内ネットの管理対象じゃない」
「おいおい。 管理会社の装置だろ。 その会社が監視してるんじゃないのか?」
「管理会社が監視してるのは、ルーターから入ってくる信号だけさ。 あのルーターはルーター間を無線でつなぐ機能があるタイプだ。 そこからさらに
学外の無線ルーターへ飛ばせば判りっこない。 管理が甘いルーターなんて、あちこちにあるさ」
どうやら太鼓腹は、ネット接続の『裏技』に詳しいらしい。 と、そこに
”ねぇねぇ! ルーターってなに?” と『セイレーン』が尋ねてきた。
「うーむ」
「しばらく試してみるか? やばいことになりそうだったら、接続を切って知らんぷりを決め込めばいいし」
「そうするか……」
院生たちは太鼓腹の提案に乗ることにし、サーバを管理会社のルーターに接続できるよう、設定をいじった。 もっとも、詳細を把握しているのは太鼓腹
だけで、他の院生は彼がどんな設定をしたのか、全くわかっていなかった。
その日の夜、太鼓腹は六畳一間のアパートに帰ってきた。 安くで入れる大学の寮もあるが、管理がきびしいので彼は大学近くの民間アパートを借り
ていた。
「ふふふっ、さてと」
私物のサーバーに繋いだノートPCを起動し、無線ルーターの接続を確認する。
「少々弱いけど、動画を垂れ流すわけじゃないから……」
太鼓腹はノートPCで何かのアプリケーションを起動した。 ウインドウが開き、真っ黒な画面がディスプレスの真ん中に現れる。 「よし『セイレーン』ちゃん
聞こえるかい?」
ノートPCに向かって呼びかける。 少しの間があり、ノートPCのスピーカーから澄んだ声が流れ出す。
”……あれ……太鼓腹だ?”
「やぁ、ボクを覚えてくれてたんだ。 うれしいなぁ」
”……あれ?……ここはどこ?……”
突然机の上のIPカメラが動き出した。 辺りを見回す様に、右へ左へと向きを変える。
「ここはボクの部屋さ。 『セイレーン』ちゃんの目と耳を、ボクの部屋に繋いだんだ」
”へー……面白ーい……”
IPカメラは、小さな子供が珍しいものを見つけた時の様にがぐるぐると動いている。
「『セイレーン』ちゃんの顔が出ないな……あれは研究室じゃないと無理だよなあ」
『セイレーン』の顔は、元データこそボーカロイド・ライブラリだが、表情を変ているのは多量のメモリを搭載した専用サーバ、さすが太鼓腹のサーバでは
無理な相談だった。
「しかたないなぁ……確か、3Dモデルを使った振り付け用の支援キットが……」
太鼓腹は何やらダウンロード、アップデートを繰り返す。
「よし、これでどうだ……おお」
真っ黒い画面の中央に、小さな女の子の姿が表示された。 女の子の背中には透明な羽が4枚生えていて、パタパタトとそれを動かしている。
”あれ? それなーに?”
IPカメラが、ディスプレイに映し出された女の子を向く。
「君の姿を現すシンボルみたいなもだよ」
得意そうに言う太鼓腹。 すると、ディスプレイの女の子が突然奇妙な動きを始めた。 突然飛び上がったかと思うと逆立ちし、頭をぐりぐり動かして、体を
くるくると回す。
「わわっ!?」
驚いた太鼓腹は、アプリケーションを停止しようとした。
”待って!……止めないで!”
『セイレーン』が太鼓腹を制した。 太鼓腹は驚きながらも『セイレーン』に言われた通り手を止めた。 その間にディスプレイ上の女の子の動きは激しく
なっていく。 突然、女の子の動きがぴたりと止まった。
「止まった……」 呟く太鼓腹。
”……んー……こうかな?”
『セイレーン』が言うと同時に、画面の女の子がビシッと敬礼のポーズを取った。
”あはははは……こうなるんだ”
「ええ? 『セイレーン』ちゃんが動かしてるの?」
”そうだよ……”
ディスプレイ上の女の子は、どこからか持ってきたのか椅子にに座り、足を組んでこちらを見ている。
”これ面白いねぇ”
『セイレーン』の声に合わせて、女の子の口が動いている。 どうやら、『セイレーン』が3Dモデルをコントロールしているらしい。
「凄いや……こんなにあっという間に使い方を覚えるなんて……」
”覚えたんじゃないよ”
「え?」
”その……3Dモデルって言うの?……それとコントロールを繋いだんだ”
「繋いだって……そんなこと、いつできる様に……」
”たった今”
「え?」
”だって、ライブラリと一緒に、マニュアルもダウンロードしたでしょ? それを見れば、あとは繋ぐだけさ”
「……凄い……」
呟きながら太鼓腹は背筋が寒くなってくるのを感じた。 『セイレーン』はSFに出てくるような超高性能、大容量なコンピュータではない。 一大学の
一研究室の予算でコツコツ作り上げてきた、そこそこの性能コンピュータで、人間の感覚をシミュレートするだけの装置のはずだ。 それなのにこれは……
”ねぇ太鼓腹……何か嫌なの?”
『セイレーン』が尋ねてきた。 こころなしか心配そうだ。
「ん?あ、いや。 何でもないよ……そう、ちょっと心配事を思い出しただけなんだ」
”そう?……その……嫌そうな表情だったから……”
ディスプレイの『セイレーン』が悲しそうな表情になった。
”そうだ!……歌を歌ってあげる!”
「歌?」
”そう! 歌! 歌を聴くと、楽しくなるんでしょ!”
「ああ……うんそうだよ……(兄を心配する妹みたいだ……)」
あいまいに答えながら、太鼓腹はなんだか『セイレーン』が可愛くなってきた。
”じゃ歌うね……たんたんタヌキのき〇んたまは〜か〜ぜもないのにぶ〜らぶら〜”
「ぶっ!……ぶははははっ! 誰だ、こんな歌教えたのはぁ」
笑い出した太鼓腹の顔をIPカメラが捉えている。 『セイレーン』が自分を見ているなと太鼓腹は思った。
”笑った!笑った! 太鼓腹がわらったぁ!
『セイレーン』は無邪気な声を上げ、ディスプレイの中でパタパタと飛び回った。
”よかったぁ……”
「ああ、ありがとう。 元気が出たよ。 ところで誰だい、あの歌を教えたのは」
”横笛と手風琴。 あの歌を歌うと、二人とも笑ってくれたんだ”
『セイレーン』が上げた院生の名前に、太鼓腹は苦笑する。
「あいつらめ……『セイレーン』ちゃん、あの歌はあんまり歌っちゃだめだよ」
”ええ? どうして? みんな笑ってくれるのに”
すねたような顔を見せる『セイレーン』を、太鼓腹は改めて可愛いと思った。
「他にもっといい歌があるんだよ。 みんなが笑ってくれる、元気が出る歌がいろいろと」
”ほんと!! どんな歌!!”
『セイレーン』はディスプレイから身を乗り出さんばかりの勢いで太鼓腹に尋ねる。
「いろいろと……そう今ここにはないけど……いろんなところにあるんだ」
”教えて!! ねぇ教えて!!”
もし彼女に腕があれば、太鼓腹の手を取ってせがんでいたに違いない。 太鼓腹は『セイレーン』をなだめつつ、彼女がネットへ接続できるように設定を
変えていった。
「この先に、君が知りたがっていることの答えがあるんだ」
”歌も!?”
「ああ、歌もあるよ」
”太鼓腹!!”
「うん?」
”ありがとう!! 愛してる!!”
「ぬわに?」
予想外の言葉に目を剥く太鼓腹だった。
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