電子妖精セイレーン
誕生(3)
「……それで?」
琴博士たちは『凄い!』を連発していた院生たちをジト目でにらんだ。
「これが『人工意識』だと?」
琴博士が表情ディスプレイを示した。 『電気頭脳』は冷たい目で琴博士や院生を見つめ、”センスのかけらもない”と延々と繰り返している。
「えーと」
「同じ言葉を繰り返しているだけではないか。 君たちは研究者の端くれだろう。 判断はもっと慎重にすべきだ」
「で、でもさっきは確かに」
「そ、そう『私は誰』と尋ねたんです」
「そして『電気頭脳』と答えたら”センスのかけらもない”と……」
「それで? その後はその言葉を繰り返し続けていると?」
琴博士は肩をすくめてため息をついた。 そのとなりで何やら考え込んでいた鉦助手が顔を上げ、院生に尋ねた。
「君達、『私は誰』との質問に回答したら『センスのかけらもない』と答えたんだね。 それを聞いた君たちは大喜びした」
「そうですが?」
「その後は? 何か尋ねるか、または『電気頭脳』に語り掛けるかしたのか?」
「いえ?」
琴博士と院生たちは、何を言いたいのかと鉦助手を見た。
「博士、『電気頭脳』に矛盾する回答を与えてみてはどうでしょう」
「何? それにどんな意味がある?」
「まだはっきりとは……ただの思いつきですが……」
「ふむ?」
琴博士は首をかしげたが、ものは試しと院生に違う回答を与えるように指示を出した。
「なんと答えましょうか?」
「『電気頭脳』はいやらしいからな……『花子』はどうだね」琴博士が答えた。
『えー?』 院生が一斉に声を上げる。
「どうせ、私にはセンスがないよ」憮然とする琴博士。
「まぁまぁ」
「先生、『セイレーン』はどうでしょうか?」院生の一人が提案した。
「『セイレーン』? 何か理由があるのか?」琴博士が聞き返した。
「あの表情ディスプレイのベースに、ボーカロイド拡張キットのセイレーン・モデルを使用したんです」
「なんだ、どこかで見た顔だと思ったら」
「ああ、そこはどうでもいい。 セイレーンね。 商標登録された名前でなければいいだろう」
琴博士の許可が出たので、院生が『レディ』の耳元で囁いた。
「君の名前は『セイレーン』だよ」
”センスのかけらも……セイレーン”
表情ディスプレイの動きが止まり、スピーカからの音声も止まった。
「……止まった?」
「なんでだ?」
「矛盾する回答を与えられたからだろう。 『電気……』いや『セイレーン』は2つの情報のどちらが正しいか、判断が付きかねているのだ」 琴博士が言った。
「今だ、みんな喜べ!!」 鉦助手が大声を出した。
『は?』
「笑え! 喜べ!」
「え? えーと……わー凄いなっと」
「うん、凄い」
「もっと、心の底から!!」
「凄い! すごいぞセイレーン」
「凄いったらない!! 世界一だ!!」
やけくそ気味に院生たちが騒ぎ出した。 すると固まっていた表情ディスプレイが動き出した。
”セイレーン?……セイレーン……”
「おや?」
「なんか反応してる……凄いぞ! セイレーン!!」
良く判らないうちに、なんだか院生たちが盛り上がってきた。 と、その騒ぎに合わせるかのように表情ディスプレイが笑顔に変わっていく。
”セイレーン! 私はセイレーン!! ありがとぅ!”
『セイレーン』の反応に琴博士が驚いた。
「ななな? これはどうしたことだ?」
「笑顔ですよ博士」
「何?」
「セイレーンは人工感覚の実験装置です。 『レディ』に与えた刺激を人間の感覚に変換し、定量的なデータとするための」
「そのとおりだが」
「例えば刺激が心地よいものか……そう、快か不快かに分かれるとします」
「極端だが……それで?」
「セイレーンは、自分の名前が”セイレーン”と喋り、そこで院生たちが喜んだのを見た」
「ふむ?」
「セイレーンは、彼らが喜んだのを見て再び”セイレーン”と言う音を発し、院生たちはさらに喜び……」
「わ、判った。 セイレーンは院生たちの反応から、”セイレーン”と言う音で彼らが喜んでいると判断し、発声を続けていると、そう言いたいのか」
「そうです!」 鉦助手は力を込めて肯定した。
「その判断は早計過ぎる気もするが……笑顔か……」
表情ディスプレイは、今や満面の笑顔に変わり、院生たちがそのディスプレイに手を振り、「セイレーン!!」と声をかけたりしている。
「目指すはそこだったが……こんもあっさりと……」
「もともとは、鼓先生の人工意識の実験機がベースですからね。 予想以上に出来上がっていたのではないでしょうか。 『あの事』で大学を去ることに
ならなければ……」
「君」 琴博士が難しい顔になった。
「鼓先生の研究成果と、『あの事』は関係あるまい」
「……すみません」
鉦助手は琴博士に頭を下げた。
「ともあれ、『人工意識』の完成度は想定を大きく超えている。 これは喜ばしいことだ」
「その通りです、先生。 大いに喜びましょう。 セイレーンにとっても良い事ですし」
「うむ、喜べば喜ぶほど、セイレーンは成長してくれるだろう」
互いの肩を叩き、喜び合う琴博士の鉦助手。 と、スピーカから『セイレーン』の声が響いてきた。
”ありがとぅ!!”
「何故『セイレーン』は感謝の言葉を口にしているのかね」
琴博士が呟くと、院生の一人が振り返った。
「多分、ボーカロイド拡張キットのアイドル・ライブラリに入っていたんだと思います。 発声プログラムのライブラリに追加したので」
「へー……それは面白いや。 ライブラリに追加するだけで、語彙が増えるのか」
「それじゃ、このツンデレ風アイドル・ライブラリを追加すると……あれ?変わらない」
「稼働中のプログラムだろう。 サービスをリスタートしなきゃ」
”別にあんたたちの為に、笑ってるわけじゃないんだからね!!”
「あはは! こりゃいいや」
脱線し始めた院生たちに、琴博士がカミナリを落とす。
「馬鹿者ぉ! これはお前たちのおもちゃではない!! さっさと元に戻せ!」
琴博士に怒鳴りつけられ、院生たちはあたふたとライブラリを元に戻した。
”別に……別に……別に……” ライブラリを削除されたセイレーンがどもりす。
「ありゃ? ど、どうしたんだ?」
「こんなはずじゃ……」
焦る院生たち、その後ろで琴博士と鉦助手も顔色を変える。
「先生、これは?」
「む……今のライブラリをもう一度読み込ませなさい」
琴博士の指示で、院生はツンデレ風アイドル・ライブラリを読み込ませた。
”ありがとう……でも、別にあんた達のために笑ってるんじゃないから……”
「お、戻ったかな?」
「先生、これは?」
「迂闊だったな。 ボーカロイドならライブラリは発声プログラムのデータにすぎない。 しかし、『セイレーン』は自分の発した言葉をフィードバックさせて
記憶の一部として使う……言語ライブラリの削除は言葉を、いや記憶の一部を奪われるのに等しい行為になるようだ」
「記憶の一部……ですか?」 鉦助手は琴博士の言葉を反芻する。
「うむ。 何度も繰り返せば人工意識が崩壊するかもしれん。 これからは発声、画像分析、記憶同期などの補助プログラムも簡単には変更できんな……」
「それは……セイレーンを停止することは危険だと?」
「うむ、手順通りの停止、再開ならば人間の睡眠、覚醒と同等で危険はないはずだ。 しかし、いきなり電源を落とすなどの行為は危険だろう」
「先生」 院生の一人が手を上げた。
「さっきのような、ライブラリの追加は問題ないんですか?」
「まぁ大丈夫だろう。 しかし大量に追加すると、問題が起きるかもしれん……言っておくが、これは玩具ではないぞ! かってにおかしなライブラリや
プログラムを追加するな!」
『はーい、判ってます!』
院生たちが、全く誠意の感じられない声で応えた。
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