電子妖精セイレーン

誕生(2)


 投資家たちが琴研究室を訪れた翌日から『電気頭脳』の拡張が始まった。 もっとも、資金調達できる前から機材の注文は完了し、運び込んで組み立てる

だけになっていたのだが。

 「それにしても『電気頭脳』っひどい名前だな」

 「逃げ出して、帆村探偵が探しに行くとか」

 「は? なんだそれは」

 「博士の研究室にあった小説の主人公だよ。 作者は確か海野十三とか……」

 「知らないなあ、新人のラノベ作家かよ」

 「いや、新人じゃねぇ 二次大戦前の空想小説、今のSF作家の走りだったはずだ」

 「その辺りがネタ元か?古いはずだ」

 わいわい騒ぎながら、琴博士と助手の指揮に従って『電気頭脳』の拡張が進められていく。

 「先生、人の脳ってすごく複雑でしょう? こなん電線とLSIの塊でシミュレータ出来るんですか?」

 琴博士が答える。

 「全部は無理だな。 この装置は人工感覚をINPUTに、それを感覚として処理する部分を主としている。 記憶に関する部分は、汎用サーバが代行する

しかけだ」

 「へぇ。 じゃあインターネットに接続したら、知識は無限に拡張できますね」

 「そうもいくまい。 インターネットから得た情報が正しいとは限らんからな」

 そう言った琴博士だったが、サーバやネットワークの構築を行うのに、インターネットへの接続抜きと言うのはハードルが高い。 大学の情報管理者も

加わって、yumだリポジトリだ、アップデートだと、知らない人間には呪文のような言葉が飛び交う。 外部接続用のサーバの設定を終えた情報管理者が、

『パラメータ・シート』と書かれた書類を示して説明を行っている。

 「サーバのGateWayと研究棟のルーターは接続しました。 外部からのアクセス・アカウントはこれを使用してください。 外部からの接続認証は、カメラに

よる顔認証とパスワードの両方を使用します。 どちらも半年に一度の更新が必要です。

 「なんと無駄なことを」

 琴博士が憤慨する。

 「ここは研究棟の地下3階だぞ! 棟の入り口は施錠できるし、地下へのエレベータと階段は内部のセキュリティ区画にあるというのに、その上コンピュータ

へのアクセスまで……」

 「だからですよ。 外部からのアタックを甘く見ないでください。 1日当たり、平均100件以上の不審なアクセスがあるんですから」

 情報管理者が紙に印刷したログを示し、皆がそれを覗き込む。

 「国内より海外からのアタックがほとんどです、中国、韓国、台湾……これなんかルーマニアのアドレスですよ」

 「なになに、Mr.WhiteHat? OS名のもじりか?」

 「お、順番にIPを変えてる」

 不満たらたらの琴博士だったが、実際にアタックされているとなれば守らねばならない。

 「じゃあシステムの管理責任者を助手の鉦君にしておこう。 彼と相談してくれ」

 「私ですか!?」 丸投げされた鉦助手が声を上げた。

 「しっかり頼む。 私はセキュリティの事なんか判らんから」

 「私だって判りませんよ」

 文句を言った鉦助手だったが、上司に任された以上引き受けざるをえない。 彼は情報管理者の説明を受けるために、研究室を出て行った。

 「さ、『電気頭脳』の拡張を急ぎたまえ」

 博士に促され、残った院生たちは静電気防止の袋に包まれた基盤やLSIを取り出し、組み立てていく。

 
 −−数時間後−−

 「お、終わったぁ」

 「先生、終わりましたよ……先生?」

 「とっくに帰ったよ」

 「ひでぇなぁ」

 わいわい騒いでいた院生たちは、接続確認を行うために装置を起動することにした。

 「いいのかな、責任者不在だろ?」

 「構わないだろ。 設定中も繋いで動かしていたし」

 自分たちでくみ上げた機械を起動するというので、なんとなくワクワクしながら電源を投入していく。

 「起動手順は……『電気頭脳』、レディ、記憶サーバの順、停止時はその逆だ」

 「外部接続部のサーバーは?」

 「それは常時稼働」

 「よーし、起動しようぜ」

 院生は『電気頭脳』の制御端末や、人工感覚が埋め込まれた人形『レディ』、『電気頭脳』に繋がれた記憶サーバラックのコンソールに取りつき、順に

起動していく。

 「『電気頭脳」起動……表情ディスプレイは出たか?」

 「まてまて……出た!……けど?」

 「どうした?」

 院生たちが『電気頭脳』のOUTPUTである『表情ディスプレイ』を見上げる。 大きなディスプレイに女の顔が映っているのだが、半目で顔色もさえない。

 「二日酔いの姉ちゃんの起き抜けみたいだなぁ?」

 「起き抜けは当たっているかもな、『レディ』を起動してみろ」

 人形の『レディ』を起動すると、『表情ディスプレイ』の目がくわっと開かれ、ディスプレイを見ていた院生が思わずのけ反った。 「こ、怖ぁ」

 「不気味だよなぁ……次、記憶サーバ起動。 #0から順番に」

 「ほいほい、記憶サーバ#0起動、記憶サーバ#1起動っと……めんどい! #2から#9までまとめて起動っと」

 「こら!手順を守れ!」

 「大丈夫、大丈夫」

 ガチガチガチっと音がして、ラックに組み込まれた記憶サーバの電源が次々にOFFからONに変わる。 一瞬の空白の後、『電気頭脳』とサーバを繋ぐ

ハブのアクセスランプが猛烈な勢いで点滅し始めた。

 「おお、動いた動いた」

 「動いたじゃねぇ! みろ顔を!」

 院生たちは一斉に表情ディスプレイに視線を向け、げぇっと声を出してのけ反った。 顔がヒクヒクと不規則に震え、右と左目が別々の方向を向き、顔が

青ざめていく。

 「ま、まずいんじゃねぇかい?」

 「電源を落とそう!」

 「馬っ鹿野郎! それこそまずいだろうが! 機械が壊れるぞ!」

 「で、でも……いやまて、落ち着いて来たみたいだ」

 ディスプレイに映っていた女の顔の震えが収まり、青ざめていた肌に赤みが戻ってきた。 不規則に動いていた眼もそろって正面を向き、落ち着きを

取り戻したように見えた。

 「だ、大丈夫かな」

 「『レディ』に触ってみろよ。 反応を確かめるんだ」

 『レディ』の前に立っていた院生が『レディ』のほほに軽く触れる。 ディスプレイの女がビクリと震え、目が左右に動いた。

 「お、反応してる」

 「やった、うまくいってる」

 ハイタッチするス院生たち。 その時だった。

 ”何? いま……いまの……私……触覚……触れる……touch……”

 表情ディスプレイのスピーカーから、意味不明の声が漏れ始めた。 予想外の声に院生たちは呆然となった。 その間にも声は言葉を探すように続き、

そして……

 ”私に触ったのは誰?……私……私は誰?”

 「おい……まさか」

 ”私は誰?……私は誰?……私は誰?……”

 「そんな、まさか……」

 「い、意識が……?」

 「ま、待て落ち着け、落ち着くんだ……こういう場合わだなぁ……119番だ」

 「何?」

 「救急車を呼んで、精神科医にみてもらって」

 「馬鹿、お前が落ちつけ」

 ”私は誰?…私は誰?…私は誰?…誰?誰?誰?誰?誰?誰?”

 「おおっ?」

 ”誰?誰?誰?ダ?ダ?ダ?ダ?ダ?ダ?ダ?”

 スピーカーからの音声どんどん速くなり、聞き取りにくくなっていく。 思わぬ事態の連続に、院生たちも冷静さを失っていく。

 「ま、まずい! なんか良く判らんがまずい!」

 「電源を切れ!」

 「ばか壊れる!」

 ”ダダダDDDDDD!D!D!D!D!D!D!D!D!D!D!D!”

 「わーもう駄目だ!」

 「き、君は『電気頭脳』だぁ!」

 一人が叫び、途端にスピーカーからの音声がぴたりと止まった。

 ”私は……『電気頭脳』?……”

 表情ディスプレイに映る女が眉を顰め、視線を下に向けて院生たちをねめつける。

 ”……なんてダサい名前……センスのかけらもない……”

 『おおおおおおっ!!』

 院生たちはどよめいた。

 「聞いたか今の!!」

 「凄い!『センスがない』だって!!」

 「俺たちは人工意識が言葉を発する瞬間に立ち会ったんだ!!」

 機械にセンスのなさをなじられ喜ぶ喜ぶ院生たちを、『電気頭脳』はじーっと冷たい目でみていた。
    
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