電子妖精セイレーン

誕生(1)


 マジステール大学は、ヨーロッパ各国と北米大陸に研究施設を持つ多国籍研究機関である。 その研究分野は多岐にわたり、研究成果を多数の学会で

発表していた。 一方で、研究のベクトルが常に斜め上を向いていると言う評価もあり、マジステール大学が手掛ける研究はまず金にならないと、他の研究

機関が手を引くのが常であった。 そのマジステール大学のアジア拠点である日本校が、珍しく数名の資本家の訪問を受けていた。


 −−マジステール大学、第1実験棟、地下2階、 琴研究室−−

 「地下2階とは……普通は機械室が置かれるのでは?」

 「機密保持の為でしょうか?」

 「警備も厳重でしたな。 エレベータも地下専用で、しかも建物の奥にありましたよ」

 「地下にあるだけあって、圧迫感がありますな」

 研究室に通された投資家たちは、年季の入った湯のみで香りの貧しいコーヒーを前に研究室の品定めをしていた。

 「なんですかな、この『人間の感覚を持った電気頭脳』と言うのは」

 「『電気頭脳』?……」

 バインダーに閉じた書類や、PCのファイルを見ていた投資家たちの前に、研究室の主、琴博士が助手や院生を伴ってやってきた。 「お待たせしましたな。 

私が責任者の琴です」

 手を差し出した琴博士の手を、大柄な白人が握り返した。

 「初めまして……ではありませんな。 鼓博士がここの責任者だった時にお会いしましたな」

 「おお、ミスター・オーバ。 覚えておられましたか」

 「ええ、覚えていますとも。 『人工意識』の開発の時に、忘れられぬ結果を残されていましたから」

 ミスター・オーバは笑顔であいさつしたが、その口元が微妙に歪んでいた。

 「軍事用途を目指して極秘に開発された『人工意識』とやらは、核兵器のデータを読み取ったとたん『こんな恐ろしいものを開発するキチガイとは付き合い

きれない』とプリントしてシャットダウン。 その後2度と起動しなかった。 多額の予算をつぎ込ん挙句にあの結果、忘れられるものではありませんな」

 「あ、あれはですな……『人工意識』が素直で正直だった結果、当然の帰結としてですな……おほん」

 琴博士は、何度も咳ばらいをして笑って見せたが、その額には無数の汗が浮かんでいた。

 「それで? 我々に対して送り付けたこの『人間の感覚を持った電子頭脳』と言うのは? いったい何ですか?」

 「おお、それではご説明しましょう。 こちらへどうぞ」

 琴博士は先に立って研究室を出て、隣の機械室へ皆を案内した。 そこには数十台のラックとサーバ、ディスク装置らしきものと、大型のモニタ、そして……

 「……なんですかこれは。 悪趣味な」

 「緑川教授がメイドロボットを開発しているそうですが、これは? 『大人のおもちゃ』ですか?」

 投資家たちが『悪趣味』と呼んだものは、一見して人形と判るもので、裸の女性の形をしていた。 目を閉じた女性の姿をしたそれは椅子に座り、少し

足を開いている。 そして足の間には、性器らしきものが垣間見える。

 「これ、白衣をきせておけと言ったろう……すみませんな、前の実験に使用したときのままでして……君、『レディ』を目覚めさせなさい」
 琴博士が助手に指示を出すと、かれと院生たちは『レディ』と呼ばれた人形にケーブルをつなぎ、サーバやディスクのスイッチを入れた。 投資家たちは、

なんとなく『レディ』の顔を見ていたが、彼女が目を開くことはなかった。

 「動かない……」

 ”……サムイ……”

 突然機械的な声が響き、投資家たちは驚いて声の方に視線を向けた。 『レディ』の向かい側に置かれた大きなディスプレイに、CGと判る人の顔−−

おそらくは女の顔−−が映し出されていた。

 『……サムイ……』

 女の顔がゆがんでいる。 不満を訴えっているようだ。

 「君、服を……いや、毛布を掛けてあげたまえ」

 院生の一人が『レディ』を毛布でくるんだ。 ディスプレイに映る女の顔が、やや緩んだように見える。

 『……アタタカイ……アタタカイ……』

 「そうか、よかった」

 満足そうに琴博士が言うと、女の顔が再び歪んだ。

 『……アツイ……アツイ……』

 「これ君。 毛布を少しはだけなさい」

 院生が毛布の上をめくり、『レディ』の肩を出した。 すると、女の顔が緩んだ。

 『……アタタカイ……アタタカイ……』

 「なんだこれは、ただの温度計かね」

 投資家の一人、ミスター・オーバが不満そうに言った。

 「とんでもありません。 これは皮膚感覚の実例を示したのです。 見ていてください。 おい、アレを」

 「はい」

 院生が小さなビンがいくつも入った籠を持ってきた。 ピンク色の蓋のビンを取り上げ、『レディ』の顔の前で蓋を取る。 するとディスプレイに映った女の

顔が微妙に変化した。 微笑んだようだ。

 『……イイニオイ……』

 「お?」

 投資家たちの表情も変化した。 興味を引かれたようだ。 それを見た院生は、茶色い蓋のビンを『レディ』の顔の前で開ける。  『……クサイ……』

 「……ほう」

 投資家たちは琴博士の方を向くと、詳しい説明を求めた。

 「この人型感覚センサー『レディ』は、人間の五感に相当するものが設置されています。 そして、『レディ』こちらの装置群に接続され、センサーの情報が

処理され、それがディスプレイで『表情』として出力されるわけです」

 「ふむ、人間の五感とその処理をコンピュータで行っている訳か」

 「いえ、これはコンピュータではありません」

 琴博士は強い口調で否定した。

 「これは『電気頭脳』なのです」

 投資家たちが首をかしげる。

 「どう違うのかね?」 『電子頭脳』とはコンピュータの事だろう」

 「確かに『電子頭脳』はコンピュータと同義語です。 しかし、この装置はコンピュータ……そうノイマン型コンピュータとは違う原理で動きます。 それゆえ

『電気頭脳』と名付けました」

 「そ、そうか……なんだか古臭い名前だが……」

 「それで? どういうものなのだ? これは」

 「ベースになったのは、恩師の鼓博士の開発した『人工意識』装置です。 これを見てください」

 琴博士は、机の上にあったプリント基板を見せた。 基盤の上にはLSIがびっしりと配置されていて、それだけ見るとよくある電子装置なのだが、裏側が

変わっていた。

 「LSIに配線が直付けされているのか?」

 「髪の毛が生えているようだな」

 彼らの指摘通り、プリント基板の裏側には大量の、それも細い線がLSIに直付けされ、毛か藻が生えているように見えた。 それらの配線は束ねられ、

太い電線となってラックの機械に繋がっている。 投資家たちは、同じような線が何本も機械に繋がっているのに気が付いた。

 「変わった配線だが……これになんの意味があるのか……」

 「このプリント基板は、人間の大脳を、その一部を模しているのです」

 「何?」

 「人間の大脳は、脳の表面を構成する脳細胞から神経細胞が伸びています、その構造を模したのがこのプリント基盤なのです」

 「ほう?」

 「パラレルに並んだ脳細胞と同じ構造を作れば、『人工意識』が生み出せるのではないかと言うのが鼓教授の研究でした。 しかし、構造をまねただけ

では意識と呼べるものは作れませんでした」

 「前に見せてもらった失敗作は、意味のある言葉をしゃべっていたぞ」

 「あれは、単にinputからoutputの言葉を作り出していただけで、到底意識と呼べるものではありませんでした。 また、大脳部分の規模が小さく単純な

反応しかできませんでした」

 琴博士は『レディ』とラックの装置群を示した。

 「この『レディ』+『ブレイン・シミュレータ』は人間の大脳の数%の規模を実現しました。 この装置は、感覚に対する人間の反応をシミュレートすることに

成功しつつあります」

 「と言うと?」

 「先ほどは嗅覚に対する反応をお見せしましたが、これを味覚、視覚、聴覚と広げているところです」

 「ほほう?」

 投資家たちは、興味津々の様子でディスプレイと『レディ』を交互に見やっている。

 「すると? このお嬢さんにアイスクリームを舐めさせると『アマイ』と言い、騒音を聞かせると『ヤカマシイ』と言うようになるというのか?」

 「いえ、もっと先を目指しています。 例えば薔薇の写真を見せれば『美しい、私は薔薇が好き』と答え、料理を味わえば『塩加減が少し強いわ』と言うよう

にです」

 「ふむ。 そうなると人間と区別がつかないな」

 「しかし、それはAIで実現しつつあるのではないか?」

 琴博士は、『レディ』の肩を叩いて見せた。

 「確かにAIにに人間的な反応を持たせることはできるでしょう。 しかし、この装置は自分で学習し、反応するようになることを目的としています。 人間的な

感覚を持つという事は、ただ感じるだけでなく、感覚で学んだことを自分にフィードバックし、成長していく必要がある。 私たちはそう考えています」

 「感覚を持つだけでなく、自分で考える力を持った人工脳髄という訳か」

 「そうです」

 「うーむ」

 投資家たちは考え込んだ。 主として、この『電気頭脳』の研究に投資する価値があるのかという事を。 結局、一番無難な結論に達する。

 「面白い研究だし、将来性もあるだろう、投資させてもらおう」

 「私も投資しよう。 成果を期待している」

 「あ、有難うございます」

 琴博士は投資家たちに礼を言い、彼らを見送るために機械室を出て行き、後に残った助手と院生たちは後片付けを始めた。

 「スポンサーがついてよかったなぁ」

 「ああ。 しかし、一番進んでいるところを見せた方が良かったんじゃないか?」

 そう言った院生が、『レディ』の性器を軽く撫でた。

 『……ああん……』

 さっきまでの機械的な声とは比較にならない、艶めかしい声がスピーカから流れた。

 「こんなこと教えて、いいのかなぁ」

 「気にしない気にしない、これも研究のうちだ」

 「そうだな」
   
【<<】【>>】


【電子妖精セイレーン:目次】

【小説の部屋:トップ】