Part12:教育と失敗と


 ”……かくして私は君たちに巡り合うことになった……という訳だ”

 クークー

 ”聞いとったのかね?”

 ク……クァー……

 返事と言うより大あくびで三人の『天の使者』達は応えた。 三人を代表する形でキキが答える。

 ”教授。 貴方がここにいらした理由、この世界は人間が溢れかえり、私たちは少数の存在であること、良くわかりました”

 ”うむ”

 ”それで、結局のところ私たち『天の使者』とは何者なのですか?”

 ”残念ながら、今の時点では確かなことは判らん。 これらの『本』を調べれば、何か書いてあるかもしれんが……”

 ”教授の奥様、サティ様と同じところから来たのではないのですか?”

 ”その可能性は当然ある”

 (同一の文字が使われているという事実から、そこまで推論できるとは。 たった今、『会話』を習得したばかりとは思えんな)

 教授は、キキの頭の回転の速さにひそかに感心した。

 ”サティの故郷と同一の文明が、これらの『本』を作ったのは間違いあるまい。 しかし、君たちがそこから来たという証拠はない”

 教授はしゃべりながらキキ達が、あの卵がどこから来たのか、何のために送られてきたのか、それを考えていた。

 ”やはり『本』を調べていくしかあるまいが……それは私のやるべきことではないようだ”

 ”はい?”

 ”教授?”

 キキとココが首を傾げ、クィーも『本』と教授を交合に見て目をしばたたかせている。

 ”それはどういうことです?”

 ”君たちがここで生まれたのは間違いない。 したがってこれらの『本』は君たちのために用意されたものだ”

 ”はい”

 ”これらの『本』は君たちの物であり、その中に書かれた内容は君たちに向けて用意されたものだ。 私にはそのことが判らなかったので、勝手に『本』を

読んでしまったが、そうと判った以上、私がこれらの『本』や、この場所を調べる権利はない。 いや、私だけではない。 人間が勝手に手を触れてよいもの

ではない。 これらは君たちの物であり、君達の場所なのだよ”

 教授はそう言って本棚を示して見せた。

 ”待ってください、教授。 私たちはさっきまで、これらの本を読むどころか、これが『本』であることも知らなかったのですよ?”

 ”教授が『本』を読んで、あの壁の渦巻の文様……本当はなんだかわかりませんが……それを動かして見せるまで互いに『会話』する術も知らなかった

というのに”

 三人は困惑しているようだったが、実のところ教授もそれは同じだった。 さっきまで、教授と『天の使者』達は会話することはできなかった。 それが突然、

壁の渦の文様が互いの心を結びつけ、会話できるようにしてしまったのだ。

 ”訳が判らんのは私も同じなのだが……”

 ”私たちが『本』を読んで、いろいろと学ばなければならないことは判りました。 しかし、その学び方すら私たちは知らないのです”

 ”教授、私たちを助けてください”

 ”うーむ……その学び方をいろいろとかんがえるのも勉強のうちだが……判った。 もう少しここの調査を手伝うとしよう……おや?”

 さっきまで彼らの視線を引き寄せていた壁の渦巻の文様、その力急速に失せていく。 夢を見ていたような感覚が失われ、代わって辺りに現実感が戻っ

てきた。 教授と『天の使者』たちは、壁の文様の変化に驚き、立ち尽くしていた。

  
 「……なんだか夢から覚めたような気がする」 

 「ええ」

 「私も……」

 教授はキキ達を振り返った。

 「私の言葉は判るかね?」

 「はい」

 「……不思議です、ついさっきまで教授の声は、サルの鳴き声にしか聞こえなかったのに……」

 「サル?」

 「あ、すみません」

 教授は憮然とした表情になったが、やがてなにやら考える風になった。

 「さっきまで会話が出来なかった者同士が、こんなに短時間で会話ができるようになる……うーむ……なんとすごい技術だ……しかしまてよ……」

 「教授?」

 「『サル』という単語でたとえることが出来るという事は……私と彼女たちの間に『サル』という共通概念が……むむむ!……」

 「あの……教授?」

 「し、しまったぁ! なんということだ!」

 突然叫び声をあげた教授に、三人は驚いて尻もちをついた。

 「教授? あの……どうしたんですが?」

 「す、すまん。 知らなかったとはいえ、私は何という事を……」

 「教授? いったいどうしたのですか……」

 「説明してください」

 「そう、それだ! 説明する。 いや、説明できるという事が問題なのだ!」

 『はぁ?』

 あっけにとられる三人に教授は両手を広げてまくしたてる。

 「いいかね! 君たちと私はつ、簡単な言葉で会話をしている。 これはだ、単に単語の意味を君たちが理解できるているだけでなく、私と君たちは、多く

の物、概念について共通の認識があるという事なのだ!」

 「はぁ……」

 「あの渦巻は、言葉を覚えた君たちと私の間に生まれた共通概念を手掛かりにして、君たちの頭脳に私との共通認識を『インストール』したんだ!」

 「……ははぁ」

 「……強制教育、いや『刷り込み』という訳ですか?」

 「おお、なんとすばらしい認識力……あー、いや感心している場合ではない。 つまり、あの渦は君たちに私たち人間の言葉だけでなく、考え方まで教え

込んでしまったのだ! これでは君たちは、羽が生えているだけで、中身は人間と変わらないことになってしまうではないか! ああ、なんという事だ」

 あっけにとられる三人の前で、教授はひたすらに嘆いている。 言葉が判るようになった三人だが、教授が何を嘆いているのかさっぱり理解できなかった。

 「教授……よくわからないんですが……それってよくない事なのですが?」

 キキに言われて、ようやく教授は嘆くのをやめた。

 「……いや、君たちにとっては必ずしも悪いことではない……これは、私の問題なのだ……」

 教授は頭を振り、三人に向き直った。

 「嘆いても始まらん。 考えてみれば、君たちが独力でこれらの『本』を利用できなかった以上、こうなることは避けられなかったろう。 それより、君たちが

これらを利用できるように、できる限りのことをせねばならんな」

 教授は息を吐くと、床に座り込み三人にも座る様に促した。


 「これから先の事を話し合わねばならん。 まで君達が抱えている問題だ」

 「問題……」

 「そう問題だ。 君たちは私をここに連れてきた。 それは自分たちが何をすればいいのか……いやどうすればいいのか判らなかったからではないか?」

 「何をすればって……お腹が減れば食事をとって……」

 「眠くなれば寝る……」

 教授は大きく頷いて、三人に尋ねた。

 「君達と、ただそれを繰り返して過ごしていた。 しかし、それに不安を覚えてしたのではないか?」

 「不安……」

 「キキは卵を産んだね? あれがなんなのか判っているのかな」

 「卵……ええ」

 「時々、お腹が痛くなるものがいて……」

 「そう、あれを……『産む』」

 「産めないと……苦しんで……動かなくなる……」

 教授は沈痛な面持ちで、訥々と呟く彼女たちを見ている。

 「我々人間も同じだ、食べて寝る。 時々お腹を痛めて、『子供』を成す」

 「子供……小さい同胞……」

 教授は頷いた。

 「そうだ、整理しよう。 君たちも我々も、生まれて、死ぬ。 死んだ者は消えてしまう。 そして我々は次第に数を減らし、やがていなくなる」

 三人がぶるっと震え、不安そうに教授を見た。

 「しかし、死ぬ前に子を残し、それが育って次の子をなせば……我々がいなくなることはない」

 ああ、と三人が頷いた。

 「一人が、二人以上の子をなせば、我々は増えていく。 子をなさずに死ねば、減っていく」

 キキが尋ねる。

 「そのことは、私達も考えた。 しかし、卵を産むのはすごく苦しいし。 卵から子供が出てこないことも多い。 どうすればいいのか、不安に思っても、答え

が判らない」

 クィーが子作りの『本』を広げた。

 「この本の絵では、二人が何かして、子が産まれることになっている。 私たちもやってみたが、変わらなかった。 これがないからか?」

 クィーが教授の股間を羽で示す。

 「……まぁそうだ……ひょっとして、それで遺体を?」

 「……教授の仲間たちの群れまで行って、そこが出ているのを捕まえて『して』みようとしたら……」

 「……見つかって追い払われた」

 「……それで、動かなくなった奴を試してみた」

 「……一人で卵をなすと気とは違う感じがしたから、それでもいいのかと思ったのだが」

 「……」

 教授はそっとため息をついた。

 「性教育が難しいのは、どこも同じか……しかし」

 教授はぐるりと辺りを見回した。

 「これは、歴史に残る大発見のはずなのだがなぁ……」

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