ライム物語

第六話 水曜日に月の姉が…?(1)


火曜日の深夜、間もなく日が変わろうかと言う時刻。

「…という訳で、残念ながら少年との勝負は引き分けに終わりました」ちっとも残念そうでない様子でスカーレットが報告を終えた。

マダム・ブラックはその黒い指先でこめかみを抑えながら言った。

「スカーレット…」

「あ、お母様すみません。私の事は以後『ジャーマネン』とおよび下さい」

「は?…母の付けた名前が気に入らなくなったのか…」穏やかならぬ口調でマダム・ブラックが言う。

「いえ…その…芸名と言う事で」

「…まぁ良い…それよりライムはどうなりました?」

「あ…」しまったと言う顔になる『ジャーマネン』(芸名)

「『勝負』に夢中になって忘れたのですね…」今度は額を押さえながらマダム・ブラック。

「はい…」立派になった体を小さくして『ジャーマネン』が応えた。

マダム・ブラックとその娘達を奇妙な沈黙が覆う。


”お母様…私に外出のお許しを頂けませんか”玲瓏な声が部屋に響いた。

「アルテミス?」

”…かの人間が何故ライムをかくまうのか…私がその真意を確かめに参ります”

「ですがお姉様にはお母様を守るという大事な役割が…」アクエリアが口を挟む。

「アクエリア」マダム・ブラックはアクエリアを制した「一夜ぐらいなら大事あるまい…今夜は、あの『請負』人間達に代わりをさせましょう」

「…」アクエリアは黙って頷き、隣の部屋に控えている鶴元組長&『鶴組員ズ』を呼び入れた。


「困るねぇ」と鶴元組長「徹夜の警備とは…」

「今夜だけです。貴方達も給金を払ってくれるところが無くなると困るのでは?」

「むっ…仕方ない、今夜だけですぜ。手当て、はずんでもらわないと」

アクエリアと鶴元組長が警備内容を詰めている間に時計の針が12時を回る。

「今宵は満月…」マダム・ブラックは呟くと、立て付けの良くない窓を開けた。

冴えた月光が古ぼけた畳に陰影を作り、鶴元組長&『鶴組員ズ』は何となしにそこに目をやる。

「?」

光が何かを照らし出した。 

白い霞が緩やかに舞踊り、優美な曲線を形作る…

が、それは一瞬の事。 目を凝らせば、依然としてそこには何も無い。


”ではお母様、行って来ます”

涼やかな声が響いて一同が我に返った。

「アルテミス…気をつけて行きなさい」マダム・ブラックが声を掛けると、部屋の扉が軋みながら開く…誰も手を触れていないのに。

「おおっ?」目を剥く鶴元組長&『鶴組員ズ』。 そして…

ギギギギッ… ギギギギッ…

凄まじい音を立てて廊下が、いや、アパート『コーポ・コポ』全体が軋む。

「な?なんだぁぁ!?」

騒いでいるのは鶴元組長&『鶴組員ズ』…そしてプロティーナ。

「なんかすごいのー… そう言えばアルテミスお姉様ってプロティーナも見たことが無いのー…」

ギシギシギシと階段が軋む。 見えない何かが階段を降りて行くかのように…


カラカラ… 明かりの消えた『コーポ・コポ』の扉が開く。

ギシギシと敷居が軋み、そして扉が閉まった。

”さて…参りましょう…” アルテミスの声が闇に流れ、そして『コーポ・コポ』は静寂を取り戻した…いや。

ボッボッボッボッボッ… 

アルテミスと入れ替わるようにして、一台のバンが、いかにも中古でございと言わんばかりのエンジン音を立てて『コーポ・コポ』の前やっ

て来た。

ヘッドライトが消えると同時に助手席が開き、白衣の老人…緑川教授が出てきた。

「教授…本当にやるんですか?」不安げな声で、バンの中から爺七郎が声を掛けた。

「無論。これが人類の…そしてかの生き物達の為でもある…わしはそう信じておる」 確信を持って応える緑川教授。

爺七郎は運転席から降り、辺りをきょろきょろと見やると、バンの後部ドアを開いた。

そして中に入って何やらホースの様なものをつなぎ始めた。

一方教授は、バン側面の扉を開くと一歩下がり、ハンディ・ターミナルを取り出して操作する。

ガチャッ… ほっそりした金属の足が二組、舗装面に固い音を響かせる。

…ソージィ… 

…ソダイゴミー… 

「…メイドロン一号、二号…人類の命運はお前達にかかっておる…頼んだぞ!」

「掃除用とゴミ出し用のメイドロボットに託されるようじゃ、どっちにしてもろくな命運じゃないような…」爺七郎は嘆息した。


−−マジステール大学 学生寮 金雄の部屋−−

ライムは床の上で足を組み、金雄に背を向けていた。

一方、金雄は椅子の背に顎をのせ、こちらもライムに背を向けて、コーヒーをマグカップで啜っている。

ミー! (ふん!)

「なにが『ふん!』だ!『ジャーマネン』さんと僕が…ナニをしたからってライムが怒る事ないだろう!」


どうやら、昼間の事で喧嘩になっているらしい。


ミー、ミミミミミミミミッ!!(あー、開き直った!)

「開き直って何が悪い!大体、今までだってプロティーナちゃんやアクエリアさんと…なんで『ジャーマネン』さん」

ミミミッ…ミミミッ…ミミミミミミミッ!(今まではライムの居ない所で無理やり…でも昼間はライムの目の前で…このスライムたらし!)

「だ…だからって何だよ!」

「ああ…二人とも冷静に」止めに入る十文字「寮に帰って来るまでは喧嘩してなかったのに…どうしてこうなったんだよ?」

ミー!ミミミッ…ミミミッ…ミミミッ… (そんな事どうだっていい!金雄は…ライムなんか…どうせ…)

声のトーンが悲しげな響きを帯びてきた。

背を向けていた金雄は大きく息を吐くと、くるりと椅子を回した。

ライムがしょんぼりと小さくなっている。

「ライム…」何か言いかけたが言葉が続かない。 金雄は苛立たしげに頭を掻く。

気まずい空気が部屋の中に溢れかえる。


キー… 微かな音と共に部屋の扉が開いた。

其方に目をやる三人。 しかし誰も居ない。

ミッ?(あれ?) 

「風?」

「…はっ!きたっ!」マイクを取り出す十文字!

『きたきたきたきた!きたー!』

「深夜だぞ」ぼそっと金雄に言われ、慌ててマイクのボリュームを落とす十文字。

『月のアルテミス!スライム五人姉妹の長姉にして、最も美しき、そして最も重き定めを持ったスライム!その力は…』

”命がいらないようですね…”

その声に部屋の空気が凍りつき、十文字の声がピタリとやんだ。

金雄と十文字の背筋に冷たい物が走る。 

武道の心得がない二人にもはっきりと判る程の…殺気。


「うわあっ!」 突然十文字が倒れた。

「十文字!?」

十文字は床の上で立ち上がろうとし、再びひっくり返ると、不自然な格好で部屋の外に飛び出した…誰かに放り出されたみたいに。

「な…なんだ!?」 金雄は驚いた、十文字が誰かに何かをされたらしい…その誰かが見えない

バタン! 音を立てて扉が閉まる。 しかし扉を閉めた者はいない。

「だ、誰だ!?」

”私はアルテミス…ライムの姉です” 姿の見えないアルテミスの声が部屋に響く。

「…ア…アルテミスさん?…何の用で…」 金雄の声が震えた。

”…” アルテミスは応えない。

「…」金雄は額に汗がにじみ、足が震えるのを感じた。


パチリ… 明かりが消え部屋が暗くなった。

驚いた金雄は椅子ごとひっくり返った。

ミミミッ!(金雄!)

「だ、大丈夫…えっ?」

閉めていた窓が音もなく開く。

月光が部屋の中に溢れ帰り、そしてぼんやりとした物を描き出す。

「…あ…貴方が?…」

少しずつ輪郭が明確になっていくそれは、透明な人型…豊かな曲線を持つ女の形。

その中に月光が注ぎ込まれ、淡い光を放ち始める。

”見なさい…私を” 

言われるまでもなく、金雄はその月光の女…『ムーンライト・レディ』から目が離せない。

”私に…ありのままの貴方を” 女が命じる。

「手が…」 

金雄は驚愕した。 己の体が自由にならない。

手が勝手に動くと、上着を脱がし、ズボンを下ろさせ、シャツを剥ぎ取って、パンツを…

ミミミッ!ミミミミミミミッ(金雄!なにやってんのよ!)

ライムが金雄を止めようと飛び掛…ろうとして、コロンとこけた。

ミヤヤヤッ!?ミミミミミッ?(なに今の!?お姉ちゃんなの?)

”ライム…今この男の本心を…みせてあげましょう…”

光の女は舞を舞う様な優美な動きで、素っ裸になった金雄にゆっくりと近づいて来る。

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