王子とスーチャン

Part1-01


 「暑い……」

 (そりゃそうだ)

 川上礼二は、隣に突っ立っている女の呟きに、心の中で突っ込みを入れた。 なにしろその女は、黒いワンピースドレス、

黒いストッキング、黒いハイヒール、黒の長手袋、黒いつば広の帽子、黒いサングラスときて留めに黒い日傘をさしている。 

これで真珠のネックレスでもしていれば、どこの葬式に出しても不思議のない格好だった。 それでも真冬であれば、さほど

違和感ははないだろうが、ここはO県のI島、それも日当たりの良い港の一角、そして季節は春、普通の人間なら半袖で過ご

している。

 (そんなに黒ずくめにする必要もないだろうに。 太陽光線を吸収して何かに役立てる気なのかねぇ)

 「好きでこんな格好してるわけじゃないわよ」

 女は、礼二の心を読んだかのように言った。

 「日の光は苦手なの」

 (……そうなのか?)

 女はエミという名前だった。 彼女は初めて会った時、自分はサキュバスだと礼二に言った。  

 (しかし……)

 礼二は、サキュバスについて調べ……困惑した。 なぜならサキュバスは空想上の魔物だったからだ(実在の魔物が

いる訳ではないが)


 『谷やんよ、サキュバスの正体ってなんなんだ』

 『そうだね。 僕の知っている所だと、中世頃にヨーロッパで悪魔学と言うのが盛んになって、魔王や悪魔の分類が行われ、

その中で、リリスの配下の女悪魔として位置づけられたのがサキュバスということらしい』

 『すると悪魔なのか?』

 『その解釈だとそうなるね。 でも、キリスト教は長い歴史の中で、他の宗教の神様や土着の精霊信仰を、悪魔が人を騙した

と決め付け、悪魔のとして取り込んだらしいんだ』

 『じゃあ他の宗教の神なのか?』

 『いや、サキュバスはその辺があいまいなんだよ』

 『というと?』

 『サキュバスは、メソポタミア神話のイシュタルと言う性愛の女神が元だと言う説があるんだ。 ところがこの女神は先に言った

リリスの原型でもあるらしいんだな』

 『え?』

 『それに、イシュタルは魔王アスタロトの原型でもあるんだ』

 『ちょっと待てよ。 それはどういうことだ』

 『その原因は、イシュタルが想像上の存在だったという事なんだ』

 『そりゃ、神様ってのは全て人間の想像したものだろう』

 『そうだよ。 想像上の存在で正体がない。 つまり人間の想像こそが実体なんだ』

 『?』

 『例えばゴリラのような実在の動物を見て、猿に似た魔物だと思ったとしよう。 その場合、血と肉を備えた実体があるから、

ゴリラがどんなに恐ろしい魔物だと伝えられても、実体があるから間違いは修正できる』

 『……』

 『しかし想像が実体であればだ、想像が変われば実体そのものが変わってしまう。 同じ神様が、別々の存在として扱われる

事もありうるんだ』

 『うーん、そうなのか?』

 『それに、サキュバスは厄介な性質がある。 性的な悪さを仕掛ける悪魔だってことなんだな』

 『厄介なのか? そんなの別に珍しくはないだろう』

 『なぜ珍しくないと思う? 受けるんだよ、エロいのは』

 『あー』

 『いい例がドラキュラだね。 あれは、女に夜這いをかけるスケベ男のエロ話を魔物に置き換えた話なんだ。 昔はエロ芝居

なんて許されなかった、需要はあるのにね。 だから魔物の話の芝居にみせて、実は濡れ場がメインのお芝居だったんだ。 

だから大受けに受けた』

 『実も蓋もないな』

 『だからサキュバスって悪魔は、現れたと同時にあっという間に広まったんだと思う、しかもエロい要素がてんこ盛りに付け

足され……』

 『実在していたら苦情が来そうだな、サキュバスさんから』

 『まあそういう訳で、サキュバスについてはよく判らないんだよ。 イシュタル神がギリシャ神話のラミアを経てサキュバスになった

と言う説があるけど、形態が違いすぎるからそこがどうも……』


 「結局判らずじまい……」

 「来た!」

 沖を見ていたエミの呟きに、礼二は意識を現実に引き戻された。

 「来たのか……」

 港の入り口の向う、青い海の一角に船が見える。

 「あれなのか? 普通の船に見えるけど」

 「間違いない!」

 二人のいる港は、近隣の島と行き来する高速船が頻繁に出入りしており、都会であればバスターミナルのような場所だ。 

そして今日は、いつにもまして大勢の人が群れて、エミと同じ方向を見つめていた。

 「あれか」「すっげぇ」「へー」


 それから30分後、その船は港の沖に錨を下ろした。

 グレーの防水塗装に、大砲、セイルと呼ばれる低い艦橋。 それはUボートと呼ばれた古いドイツ潜水艦のレプリカであった。

但しこのレプリカは、実在したUボートとはちょっと違っていた。

 「なぁ、あの舳先についてるでっかい銛みたいなのはなんだ?」 礼二は尋ねた。

 「銛じゃなくて回転衝角」 

 礼二に答えたのはエミではなく、眼鏡をかけた若い男だった。

 「谷やん、その回転衝角ってなんだ?」

 「アレを回転させて敵艦に体当たり。 そのどてっ腹に穴を開けるのさ」

 眼鏡を持ち上げつつ、礼二の友人である『谷やん』は得意そうに応え、手に持っていた撮影の宣伝チラシを見せる。

 「『海底軍艦(改) 対 海底王国』……」

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