パイパイパー
3.女神と少年(10)
「そろそろ来るわ、『讃歌卿』の加護が。 覚悟して」
「覚悟?」
ドドットは怪訝な顔でエミを見た。 彼女は、シスター服を身に着け、腕組みして直立している。 ドドットは、ただならぬ気配を
察し、手早く革鎧、短剣を身に着けた。 その時『氷蛇の谷』の入り口側、『讃歌卿』がいる方の森から何かが飛び立つのが
見えた。
「鳥? おおっ!?」
鳥は、後から後から飛び立ち、『何か』に怯えるかのように森の上で乱舞している。 そして、その『何か』こちらに向けて
迫ってきているようだ。
「来た……」
エミが呟き、続いてその口から異様な音が漏れだす。 キシキシキシキシ…… どうも、歯ぎしりの様だ。 しかし、ドドットには
それに構っている暇はなかった。
「うげぇ……な、なんだこれは」
言いようのない……『不快感』が体に纏わりついている。 例えるならば、虫が骨の上を這っているような感触だ。 痛みでも
苦痛でもなく、不快なのだ。
「くう、けえっ……」
意味不明の呻きを漏らし、ドドットは腕を掻きむしる。 不快な『虫』を払いのけようというのか。 しかし、『虫』がいるのは
骨の上、いくら掻いても、肉が邪魔をする。
「畜生!」
思わず短剣を抜き、腕につき立てようとした。 その手をエミが叩き、短剣を地に落とす。
「やめなさい、『虫』は実在しないわ。 そんな感じがするだけよ」
「知るか! この、このこの!」
ドドットは、手で足や腕を殴りつけた。 ジンジンした痛みが感じられるが、痛みのほうがまだましだ。
「体に力を込めて耐えなさい。 それで駄目なら、踊りでも踊って体を動かして」
「おおそうか!」
ドドットは、手や足を振り回し、何やら滑稽な踊りを踊り始めた。 エミはドドットから視線を逸らし、辺りを見回す。 すると、
地面や茂みから練の動物たちが次々に飛び出し、その辺りを走り回りだした。
(さて……:下僕達はどうかしら?)
ヒィー!!
イャァァァ!!
凄まじい悲鳴が上がった。 森の中から、羽女やウースィ女が飛び出し、狂ったように体を掻きむしっている。
ヒギィー!!
のたうちまわる白い女たちにエミは憐みの視線を投げかけ、彼女たちに語りかけた。
「不快でしょう。 パイパイパーは、貴方達から『痛み』や『苦痛』を取り去った……でも『不快感』だけは取り除けない。 なにしろ
『快感』を感じる所が生み出す、真逆の感覚だもの」
ヒィ!? ヒャァァァァ!
「さっさと立ち去りなさい。 パイパイパーの下僕は、お互いに意識が通じ合える分、不快感も倍増しているでしょ」
下僕たちはエミを睨みつけると、羽女達が空を飛べないウースィ女やスネーキィを抱えて飛び上がり、『氷蛇の谷』の山の方に
向けて逃げて行った。
「逃げた……」
「おい! この『加護』とやらはいつ止まるんだ!!」
ドドットが踊りながら叫ぶ。 彼の周りでは、森の動物たちが一緒になって踊っている。 どうも、踊っているのが一番楽だと
気が付いたようだ。
一日後、エミ、ドドットは斥候隊と共に村に帰還した。 エミとドドットは、斥候隊と別れて教会に向かう。 すると、教会の前に
村人が押し寄せ、ティ書記官やミトラ教会の関係者に詰め寄っていた。
『おい!説明しろ! あの音はなんなんだ!』
「音? 何のことだ」 ドドットが呟く。
「多分、『讃歌卿の歌声』の事よ……いけない、このままだと村の人が教会の中に入るわ」
何か聞きたそうなドドットを、エミは置き去りにし、村人を掻き分けて前に進むと、ティ書記官の隣に並んだ。
「皆さん、お静まり下さい。 なにを騒いでおられるのですか」
「シスター、あんた知っているんだな!? あのこの世の物とも思えぬ音の正体を」
「その音でしたら、おそらく『讃歌卿』が行った『加護の儀式』に伴って発せられたものでしょう」
エミは平然と答え、村人たちは顔を見合わせた。
「あれが!? あの……そう、地下の大魔王が腹を下し、便所で唸っている様な音が」
「……ええ、まぁ」
「あの音のお蔭で、うちのウースィは乳を出さなくなったんだ!」 「俺はあの音に驚いて屋根から落ちたぞ」
「皆さん、聞いてください。 あの『加護の儀式』だけが、パイパイパーに対抗できる唯一の方法です」
『なんだって!? これからも、魔物が押し寄せるたびに、あれをやるのか!?』
ドドットは前に出ず、村人の後方にとどまって話を聞いていた。 どうやら村人はあの『不快感』を感じなかったらしいが、『讃歌
卿の歌声』について苦情を申し立てているようだ。
(どんな声なんだ?……おっといかん、村人が教会になだれ込むぞ)
村人達が教会に入ろうとするのを、エミが押しとどめている。
「ミトラ教会の中でも、この儀式を執り行えるのは『ル・トール讃歌卿』だけです」
『だからなんだ!!』
「ですが『加護の儀式』を執り行う度に……『ル・トール讃歌卿』の寿命は短くなるのです……」
村人がどよめいた。 そしてそのどよめきは次第に静まっていく。
「……パイパイパーは、まだ去ったわけではありません。 再び谷を下り、攻め寄せてくるかも知れません。 その時に、『アレ』
が必要なのです」
「しかし……」
「『アレ』を何度か続ければ、何れパイパイパーはこの谷を下るのをあきらめるでしょう。 そう長いことではないはずです」
「……」
村人達は、まだ口々に不満を述べていたが『寿命が短くなる』の一言が聞いたようで、やがて引き上げていった。 エミは
村人がいなくなると、ティ書記官、ドドットと共に教会の中に入った。
「……村人を中にいれなかったわけだ」
ドドットはうんざりした表情で中を見回す。 運び込んだ酒樽は全て空になり、『ル・トール讃歌卿』と配下の者達は、大いびきを
上げて寝ている。
「酒かっくらって、宴会をやっていたようにしか見えんな」
「その通りよ」
エミの応えに、ドドットが振り向く。
「なんだと?」
「『ル・トール讃歌卿』の歌声は、およそ人間のものとは思えぬ凄まじさ。 神も悪魔も裸足で逃げ出すと言われているわ」
「おいおい」
「そして、酒を飲んで酔っ払うとその威力は最高潮に達し、あの『不快感』が生み出されるようになるのよ」
「……よく村人が我慢できたな」
「どうも『歌声』の届く範囲では『不快感』を感じないらしいのよ。 歌声が届かなくなる辺りから、あの『不快感』が発生して、
波のように広がっていく……判っているのはそれだけ」
ドドットは、思い切り渋い顔をしている。
「つまり、この『讃歌卿』が酒を飲んで歌っている時は、近いところでは『恐ろしい歌声』が、離れれば『不快感』が襲ってくると?
なんと迷惑な奴だ……」
「おかけでパイパイパーを撃退できたわけだけど」 エミはため息をついた。
「やれやれだな。 しかし、『歌』を使えば寿命が縮むと言うことは、何か呪いの力であるのか? この『讃歌卿の歌』には」
「酒かっくらって、これだけ長時間歌い続けりゃ、体にいいわけないでしょ」
エミの答えに、ドドットは額をぴしゃりと叩いた。
「そーいうことかよ」
エミは肩をすくめると、酒臭くなった教会の中を掃除し始めた。
その夜、天を見上げていたエミの耳に、パイパイパーの声が聞こえてきた。
”エーミちゃん、また邪魔するんだ”
「ええ、それが私の仕事だもの。 いいかげん、あきらめたらどうなの?」
”ふーんだ、いいもん。 あきらめないから。 ぜーったい、皆を幸せにしてみせるから”
「……」
ふっとパイパイパーの気配が途絶え、足音が聞こえてきた。
「だれと話していたんだ?」 ドドットが言った。
「別に……独り言よ」
ドドットは視線を外し、顎に手をやる。 そして視線を戻してエミに話しかける。
「しかし、あのパイパイパーと言うやつも随分と吹いたもんだな。 神を僭称するとは」
エミはドドットを見て、次に足元を見る。
「パイパイパーは、人を別の生き物に、魔物に変えるわ」
「うん? そうだが……そういう魔物もいるだろ。 『ワスプ』なんて、人間に取りついて仲間を増やすらしいし……」
「ええ、そうね。 でも『ワスプ』が取りついた人間は『ワスプ』にしかならない、『スネーキィ』や羽女に変わる事はないわ」
「それはそうだ。 ……まてよ、アンタの言いたいのは」
「パイパイパーは人を魔物に、それも種類の異なる魔物に変えた……人が神の作りたもうたものならば、人を別の生き物に
変える事ができるのは……」
「神」
ドドットは短く応え、エミを見た。
「そうなるわね」
二人は押し黙った。
しばしの沈黙の後、ドドットはエミに尋ねた。
「これからどうするんだ?」
「私の行動は、教会が決めるわ。 私は従うだけ……貴方こそどうするの?」
「さてな、雇われ護衛の俺だ。 それこそ、次の依頼が来れば、それに従うだけさ」
「そう……」
エミは視線を外し、ドドットに背を向けた。 ドドットはエミの背中に声をかける。
「ひとつ教えてくれ。 あんたは何て魔物だ? バッティか? 闇の鳥か?」
「私は……」 エミは小さく答え、その場を離れた。
「……」
ドドットは大きく首を振り、エミと反対の方に歩いて行った。
その後、数度にわたってパイパイパーの下僕達が谷を下ろうとしたが、『讃歌卿の歌』に阻まれことごとく失敗した。
季節が一巡するころになると、下僕達の襲撃が途絶え、谷に『讃歌卿の歌』が響く事もなくなった。
パイパイパーがいなくなった事が確かめられ、『讃歌卿』は大勢の人に見送られて谷を去った。
『パイパイパーが去った事を、大勢の人々が涙を流して喜んでくれた』と『讃歌卿』の日記には綴られていた。
<パイパイパー 終 2013/9/15>
【<<】
【解説】