パイパイパー
2.女神の洗礼(1)
「出発するぞ」
『……』
村人たちは、足取りも重く歩き出した。 時折振り返ってはため息をつく。
村人たちは村を離れ、下流の教会直轄地に向かう。
ドドットがタ・カークの伝言を伝えてから三日、教会と領主の動きは早かった。 村人全員の落ち着き先を用意し、護衛の
戦士を送ってきた。
村人の動揺は大きかったが、村長が井戸が使えなくなった事を伝えると、不承不承ながら全員が村を離れることに同意した。
ゴトゴトゴト……
ババや、ウースィのひく荷車が、最低限の荷と足腰の弱いものを載せて先行し、村人、護衛の順に行列が続く。
「筏は無理だったか」 ドドットがつぶやく。
「無理いうでねぇ。 樵の筏は木をくくって流すだけのもんだ。 俺たち樵組でも乗れねぇぞ」
ドドットは頷き、背後のティ書記官を振り返る。
「3日の行程と聞いていますが?」
「ええ、半日で『氷蛇の谷』に入り、谷の中央で野宿します。 翌日、谷を抜け後は平地を1日半の行程ですね」
「ずっと川沿いの道だね」 樵が話に加わった。 「荷車もあるし。 山越えは無理だね」
ドドットは頷く。
「『氷蛇の谷』か……」
「幅が広くて谷底が湾曲している……南にはない地形ですね」
半日後、一行は予定通り『氷蛇の谷』に差し掛かっていた。 それぞれの集団が昼餉の支度をしている。
「えーと、ドドットのおにいさん」
村の子供がドドットに話しかけてきた。
「世辞を言うとは可愛くないな」 ドドットは苦笑した。 「なんだい、坊主」
「『氷蛇』って見たことあるの?」
「ない」 ドドットは即答した。 「俺だけじゃない。 『氷蛇』を見たことがあるやつはいないぞ、俺の知る限り」
子供は首をかしげた。
「この谷は『氷蛇』が這った跡じゃないの?」
「谷の形から、でっかい蛇が這った跡だと言われてるのさ。 まぁ、他の言い伝えでは氷の河が流れていたらしいがな」
「氷の河?」 子供は目を丸くした。
「ああ。 もっとも、そっちも見たことがないがな。 蛇が這ったの、氷の河だのがいっしょくたになって『氷蛇の谷』と
呼ぶようになったと」
「へぇ」
”ルウーッ! 飯だぞ”
「あ、呼んでる」
「おお、しっかり食っとけよ」
ドドットは立ち上がり、『ルウ』と呼ばれた少年の頭を撫でた。
昼を終えた一行は、隊列を組んで谷に入った。 歩みを進めるにつれ、谷が深くなっていく。
「うーむ、聞いてはいたが、変わった谷だなぁ」
「南のほうの谷は、底に向けて細くなっているのに、この谷は谷底が谷の上と同じ幅で、谷底が丸くなってますから」
「そうですねぇ」 ドドットは口調を改めた。 「ところで……護衛の追加が必要だったんですか?」
ティ書記官が、微かに表情を動かした。
「巨人……『パイパイパー』が追ってくるかもしれませんが……村人が戻らないようにという方が」
「でしょうなぁ」
二人がそんな話をしていた時、背後から風が吹き始めた。
「おや?」
「天気が変わるのか?」
さほど強い風ではなく、長槍の房をはためかせる程度だ。 しかし、続いて聞こえてきた音に一行の顔色が変わる。
パイパイパー〜♪
「わっ!?」
「で、でたか!?」
戦士達がざわめき、村人達にも動揺が広がる。
ドドットは村のほうを見つめた。 が、動く物はいない。
「姿がない……声だけを風に乗せているのか?」
「そ、そうなんですか?」
ティ書記官は、ババにしがみついている。
パイパイパー〜♪
「うーむ、声はすれども姿は見えず……」
「……ならば先を急いだほうが良いのでは」
「そうですね。 おーい、デュラン」
ドドットは教会から来た護衛の長を呼んだ。
「これが例の巨人の声か?」
「ああ、先を急いだ方がいいだろう。 念のため、一人か二人を先行させてくれ」
「『先見』だな。 判った……お、おい?」
パイパイパー〜♪ パイパイパー〜♪ パイパイパイパイパー〜♪
「数が増えた!?」
「ど、どこからだ?」
じっと耳を澄ます一行。
「やっばり村のほうだな」
「……連れ去られた連中が歌っているんじゃ」
「む…… お、おい!?」
相談していた一行の間を、村の子供が通り抜けて行った。 あっけにとられていると、一人、また一人と子供が、女が、
そして村人たちが通り抜けて村のほうに戻っていく。
「どこへ行く! お、ルウ!」
ドドットは、ルウを見つけて肩を捕まえた。 目の焦点が合っていない。
「おい、ルウ」
揺さぶると、ルウがはっと気が付いた。
「あ、あれ?」
「どうした、しっかりしろ」
「どうしたって?」
「お前、村の方に歩いて行こうとしていたんだ」
「村に?……」
パイパイパー〜♪ パイパイパー〜♪ パイパイパイパイパー〜♪
「あ、そうだ、どこから聞こえてくるのかなーって……思ったら……ふわーっと……」
話しているうちに、ルウの目が虚ろになっていく。
「おい、しっかりしろ! いかん、おい、村の連中を止めろ!」
「無理いうな、数が多すぎる!」
「ちっ、仕方ない。 捕まえて縛りあげろ」
デュラン、ドドットの指示で、戦士たちは手近を通る村人を捕まえ、縛り上げた。 だが、数が違いすぎる。 半数以上が
彼らの手を抜けて村のほうに戻ってしまった。
パイパイパー〜♪ パイパイパー〜♪ パイパイパイパイパー〜♪
「くそう、まだ歌ってやがる」
「逃げた村の連中を追うか?」
「縛った奴らをこのままにはできん、第一……」
ドドットはあたりを見回した。 デュランも、他の護衛たちも疲労困憊している。
「もう日が落ちる」
「やむを得ん、ここで野宿しよう」
一行は、縛った村人たちを見張り一夜を明かす事にした。 しかし、数が多すぎた。
「……」
夜の間に村人のさらに半数がいなくなった。 ルウもその中に含まれている。
「きっと井戸水に、パイパイパーの乳が混ぜられていたのでしょう」
「だからか村人だけが? だが、なぜ今になって」
ドドットは苛立たしげに地面を蹴った。
「『歌い手』が増えたためかもしれませんが…… それよりドドットさん、この人数では彼らを連れ戻すのは無理です。
残った村人だけでも避難させましょう……」
「判っている……いや、いますよ」
ドドットとデュラン、ティ書記官は項垂れながら、残った村人たちをまとめ、谷底を進んでいった。
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