ヌル

第五章 ドドット(13)


 「よーし、全軍停止!!」

 重々しい音を立てて歩んでいた兵士たちが、ヌル伯爵邸の前庭で一斉に止まった。 重武装した兵士たちの持つ槍の穂先が、朝日にきらめく。

 「槍兵は、前に出て待機しろ。 歩兵はババ車の油樽の用意!」

 ゴテゴテと装飾をつけた甲冑を着込んだ討伐隊の隊長が、偉そうに指示を飛ばしていると、品の良い服を来たヌル伯爵家の執事セバスチョンが駆け寄って

きた。

 「お待ちください。 まずは中にいる伯爵様と奥様の安否を確かめないと」

 「セバスチョン殿。 気持ちは判らんでもないが、あの館は洞窟でも監獄でもない。 無事なものがいればとっくに逃げ出しているに違いない。 私が受けた

命令は、館ごと中に巣くっている化け物を退治し、後顧の憂いをなくしてから生存者と化け物の生き残りを捜索せよ、というものだ」


 ”イウモノダ……ト、ユートリマス。 ドーゾ”

 「端から生存者を救う気はないわね、討伐隊は」

 スライムタンズ・リーダの報告を受け取ったエミは、苦い顔をして呟くいた。 望遠鏡を取り上げて湖の向こう岸から館の様子を伺うが、討伐隊のいるのは

館の向こう側になるので全く動きが見えない。

 「先手必勝。 スライムタンズ! ナウ・イッツ・ショータイム!」

 ”オーケィ!”


 「油樽の栓を抜いて、火縄を入れろ! 火をつけたら車を館に……な、なんだ!?」

 木が裂けるような音がした、と思ったら、突然ヌル邸の正面が崩れ始めた。 唖然としていた討伐隊長は、慌てて部下たちに後退を命じる。

 「50歩下がれ! 歩兵は弓と火矢の準備!」

 「あああ、お屋敷が」

 うろたえる討伐隊長とセバスチョンの前で、ヌル邸の前半分が崩れ落ちる……と、そのなかから青竹色をした大きな円筒がせり上がってきた。 その直径は

人が手を広げた長さの5倍はありそうだ。

 「な、なんだあれは? あれが館を占拠した化け物かぁ?」 呟く討伐隊長。

 「わ、私どもが館に帰り着いた時に見たのは、ナメクジの様な姿に変わり果てたメイド達でしたが……あれは違うような……」 いぶかしむセバスチョン。

 二人が首をひねっている間に、青竹色の円筒は二階建ての高さほどに達して停止した。 と、今度は円筒の節が離れてさらに伸びていく。

 「むむ、でかい竹の筒の中に何かいるぞ!?」

 「ナメクジ・メイドが集まって、中で動かしているのでは?」

 皆が首をひねっている間に、竹筒は分離、伸長を繰り返し、ヌル伯爵邸の高さに匹敵する巨人の姿になった。

 『おお? おおおおーっ!』

 どよめく一同の前で、竹巨人がガッツポーズを取り、唸り声を上げる。

 ”あああああああ……あっがいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!”


 「ふむ、腕が竹筒の伸長式になっているから『〇ッガイ』か。 しかし二頭身半の体格だと『〇らエモン』に近いわね」 湖の向こう側で、エミが呟いた。


 ”……”

 唸りを上げた竹巨人は、ゆっくりと腕をおろし、討伐隊を睨みつけるように頭を傾けた。 と、その背に何か背負っているのに討伐隊長が気が付いた。

 「むむ。 背中に何か隠しておる! 火矢だ! 火矢を放て!」

 討伐隊長の号令に、慌てて歩兵たちが矢をつがえ、矢の先端まいたぼろに火をつける。 しかし、彼らが準備を終えるより先に、竹巨人が背中の獲物を

抜いて正面に構えた。

 『おおっ!?』

 獲物を構えた竹巨人に、討伐隊一同がどよめいた。

 『……ブフッ……ワハハハハハハ!!』

 一瞬の静寂の後、大爆笑が起こる。 無理もなかった。 竹巨人が手にしたのは、なんと超巨大な竹ぼうきで、その竹ぼうきを掃除でも始めるかのように

構えていたのだから。

 「わはは……確かにメイドらしい。 掃除をしようというか? がはははははは」 

 大笑いする討伐隊長。 しかし、笑っていられたのもそこまでだった。

 ”オオオオオオオオオ!! オオソージ!!”

 ザッ、ザッ、ザッ、ザザザザッ

 竹巨人が、超巨大な竹ほうきで地面をは沸きながら前進してきた。 一振りで地面がはぎとられ、一抱えもある庭石が小石の様に飛んでいく。  それを

見た兵たちは流石に笑うのを止め、蒼白になった。

 「……隊長……」

 「……全員……突撃ぃぃぃ!!」

 討伐隊長の号令一過、徒の槍兵が槍を抱えたまま突撃する!

 ”オオソージ!!”

 ザッ、ザッ、ザッ、ザッザッザッザッザッザッザッザッザッ!!

 竹巨人が竹ほうきをふりまわして突進してきた。 それを見た槍兵はくるりと向きを変える。

 『突撃ぃ!』

 槍を担いで、反対方向に全速力で逃げ出した。

 「こら、方向が逆……」

 討伐隊長に最後まで言わせず、槍兵が彼を突き飛ばして逃げていく。 それを見た歩兵たちも、武器や油樽を放り出して逃げ出した。

 『それ、突撃だぁ』

 「突撃の方向までは指示がでてないぞっと……」

 ”オオソージ!!”

 逃げていく討伐隊。 その後を竹巨人が地面を掃きながら追いかける。 その先には、シスター・エミのクルーザーが停泊している港町があった……


 −同日の夕刻−

 港の沖に、シスター・エミが乗ったミトラ教会のクルーザーが停泊していた。 ほかに大型の帆船が三隻止まっている。

 「ここで待つのか?」

 甲板にはドドットとライム姉妹、スーチャン、そしてライムタンズの一部がいた。

 「ええ」

 短く答え、エミは赤く染まった港町へ望遠鏡を向ける。 丸く切り取られた視界の中に、ノロ男爵邸が燃えているのが見えた。


 討伐隊に加わっていた兵士は途中で散り散りになりってしまった。 竹巨人ことスライムタンズ・サウザンドは、討伐隊長以下のノロ男爵直属の部下のみを

執拗に追いかけ、ついに港町暴れこんで討伐隊長が逃げ込んだノロ男爵邸を倒壊させてしまったのだった。


 「そこまでは予定通りだったんだけどね」


 ノロ男爵へのお仕置きを終えたスライムタンズは、竹ぼうきを捨て港へ向かった。 海に入ってから、水中で外装の巨大青竹をパージし、スライムタンズは

海中を潜行してクルーザーと帆船に分乗、そのまま外洋に逃れる…… これでヌル邸を占拠したナメクジ・メイド達は海中に没したことになる……はずだった

のだが。


 「あの親父がぁぁぁ!」

 ボェー♪♪♪♪♪♪♪

 港の灯台の辺りから、悪夢に苦しむリヴァイサンのいびきか、腹を下しベヘモスの呻きの様な不気味な音が響いてくる。 港町に暴れこんだ竹巨人を

撃退するために、ル・トール教務卿が『歌って』いるのだ。

 ”キシャァァァァァァァァ!!”

 海の中で、悲痛な叫びをあげて竹巨人がもがいている。 無理もないだろう。 はるかに離れたところにいるはずのエミたちですら、ひっきりなしに襲って

くる悪寒と蟻走感に苦しんでいるのだ。 直撃を受けているスライムタンズの苦しみや、想像を絶するものがある。

 「なんつう声だ。 あの親父の地獄の歌声は」 ドドットが、歯を食いしばりながら呻くという器用な技を見せる。

 「あれは『声』なんてもんじゃないわ……今日は踊らないの?」

 エミは、前にドドットがこの声にさらされたとき、奇妙なダンスを踊って耐えていたのを思い出した。

 「踊れると思うのか……」

 ドドットは、クルーザーの甲板に這いつくばっていた。 ザ・ライム・ドドットとして活躍するために、ライム姉妹に精気を根こそぎ奪われ、いまや指一本

動かせない状態だったのだ。

 「打ち止めにならなかったんだから、いいじゃないの」

 「それで済ます気か?」

 「まぁまぁ……おっと来たわね」

 舷側から海の中を見ていたシスター・エミは、水の中をでかいクラゲの様なものが次々にやってくるのを見つけた。 竹巨人の中に納まっていたスライム

タンズ・サウザンドのメンバーが脱出し、ここまで泳いできたのだ。 と、ひときわ大きな黒々とした影が水の中を横切り、船が揺れた。

 「なんだ?」

 「ウミヘビ娘達よ。 港湾局との話をつけた後で、後始末に協力してもらうために残ってもらってたの」

 「ウミヘビ娘……そいつはあの時の、あの娘の子孫なのか?」

 ドドットは、仮想現実の中で見た女テロリストがウミヘビ娘へと変えられた事を思い出しながら聞いた。

 「そうかも知れない。 もっとも下にいる娘たちはそんなことは知らないでしょうけど……おっと、ご苦労様」

 エミは、舷側を這い上がってきた赤いスライムタンズ・リーダをねぎらい、彼女が船に乗るのを手助けする。

 「迫真の演技だったわよ」

 ”エンギチガウ!! アレ、ハナシガチガウ!!”

 上がってきたスライムタンズが口々にエミに文句を言うのを、エミは手を振って受け流す。

 「全員揃ったら、船をだすわよ」

 「どこに行くんだ」

 「南よ。 そこに、スライムタンズ・サウザンドが居住できる新しい『森』を確保したわ」

 「そうか……」

 ドドットは這いつくばったまま、闇の中に視線を向けた。

 「そしてあの森では……ヌル伯爵夫人たちは眠り続ける……」

 「命が尽きるか、誰かが起こすまでね」

 エミは呟いた。

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