ヌル

第五章 ドドット(11)


 ザ・ライム・ドドットは朝の光の中で大きく伸びをすると、銀色のボードに乗ったまま、足くより少し速い程度の速さでヌル邸の裏庭を下り始めた。 この裏庭は

緩やかな下り斜面になっており、二千歩ほど先で湖の岸辺に出る。

 「このまま湖の端まで行って、右に折れて」

 ”岸を回って森まで誘導するのね? かなり時間がかかるけど大丈夫かしら?”

 「あの人たちを、館から連れ出せれば大丈夫よ。 討伐隊はまず館に攻め込んで来て伯爵夫人たちを探し回るはずだわ。 それに、スライムタンズ・サウ

ザンドが足止めしてくれるはずだし」

 ”そっちの手はずは聞いていないけど、大丈夫かしらね、あの子たちで?”

 ザ・ライム・ドドットはクイっとボードの向きを変え、湖とヌル邸の中間辺りで停止した。 

 「……そうね。 ちょっと不安かも」

 丁度その時、ヌル邸の裏口からヌル・メイド達と、ヌル伯爵夫人が出てきた。 湯殿では裸だったが、今はちゃんと服を着ている。 彼女たちは裏庭の

中ほどに佇むザ・ライム・ドドットを見つけると、ペタペタと小走りで追ってきた。

 「姉さん?」

 ”大丈夫よ。 あまり離れない程度で逃げましょう”

 ザ・ライム・ドドットは身をひるがえし、再びボードで逃走にうつった。


 --仮装現実−

 「おいおい、こんなにゆっくり逃げて大丈夫か?」 ドトットが心配げに言った。

 「大丈夫ですよ」 とアルテミスが応じる。

 「その気になれば、私は疾走するババ車の数倍の速度が出せます。 男の方のパワーが必要ですけど」

 「これ以上は、俺の身が持たねぇよ……」

 
 --現実世界−

 「やれやれ、こんな速度だと森に着くのは昼前になっちゃうかも」

 ”もうちょっと、頑張ってほしいものですわね。 あの人たちが命懸けで守るべきものを、盗んできたのですから”

 アルテミスの呟きが聞こえた訳ではないだろうが、ヌル・メイド達は必死の形相でザ・ライム・ドドットの後を追い、少し遅れてメイド長のセリアに守られた

伯爵夫人がそれに続く。

 「セリア。 このままでは追いつきません」

 「も、申し訳ありません奥様……」

 「一度追跡を中断させて、皆を集めなさい。 緊急事態です、あの技を使いましょう」

 ヌル伯爵夫人がセリアにな何事か命じ、セリアが声を上げて先行するヌル・メイド達に声をかけた。 セリアの声に気が付いたヌル・メイド達は、その場に

立ち止まって、メイド長と伯爵夫人を待つ格好になる。


 「姉さん、スピードダウン! あの人たちまた止まったわ」

 ”あらあら、困ったこと。 真剣みにかけますね”

 ヌルメイド達が立ち止まったことに気がいたザ・ライム・ドドットは、彼女たちに合わせるようにスピードを緩め、ちらちらとそちらをうかがう。

 「あれ? なんか伯爵夫人を担ぎ上げて……」

 ”なにやら一塊になりましたね……奥様が歩けなくなったのでしょうか?”

 「あー……元は貴族の奥方様だものねぇ……あれ?」


 伯爵夫人を担ぎ上げたヌル・メイド達は、メイド服を脱ぎ捨てた。 何をしているのかと、ザ・ライム・ドドットが首をかしげていると、突然一塊になったヌル

伯爵夫人とヌル・メイド達が猛然と突進してきた。 その速さは今までの比ではなく、疾走するババ車のなど簡単に抜き去るほどの勢いがあった。


 「どぇぇぇぇぇ!?」

 ”ナ、ナメクジさん達が突進してくる!?”

 ザ・ライム・ドドットは大慌てで全力逃走にうつった。 ザ・ライム・ドドットを乗せた銀色のボードが、文字通り飛ぶような勢いで滑走する。 しかし。

 「えええ、差が詰まってくるぅぅぅぅ!?」

 ”どうなってるんですか、これはぁ!?”


 「あ、言うの忘れてた」

 湖の向こうから望遠鏡で覗いていたシスター・エミが、ポンと手を打った。

 「『ヌル』は粘液の性質を変えて、地面との摩擦を極端に減らして滑走することで、高速移動する反則技があるからから気をつけて……ていまからじゃ間に

合わないわねぇ」

 頭をかくシスター・エミ。

 「まぁ、アルテミスさんの足なら逃げ切れるかな? ドドットの頑張り次第だけど」


 --仮装現実−

 「という訳です、ドドットさん」

 「何が、どういう訳だ」

 憮然とした表情で、ドドットは床に寝そべるアルテミスりの前にしゃがみこんだ。

 「おれの役割は終わったんじゃなかったのか?」

 「いまはまだ、ヌル・メイド達に追い付かれない速度を出せていますが、これを維持するためには貴方の力……精気が必要なんです」

 「……」

 「追い付かれて捕まったら、振りほどくのにまた、プロティーナやライムに精気を与えないといけなくなります。 それより、今私に精気を頂ければ……」

 「判った、判った」

 ドドットはお手上げというように。両手を上げて見せた。

 「乗りかかった船だ。 最後まで付き合おうじゃないか」

 そう言って手を下ろしたドドットが一瞬で裸になる。

 「ふん、その気になるだけで衣服が消える。 この『仮装現実』って奴も、慣れれば面白いもんだな」

 そう言いながら、ドドットは銀の女神像の様なアルテミスの脇に膝まづいた。

 「それで? 好みの体位とかあるのか?」

 「え? 好みですか? 私の?」

 驚いたように言うアルテミスに、ドドットはにっこりと笑って見せた。

 「ああ、どうせなら気分が乗りやすいように、お好みのスタイルでやってやるぜ……ってなんだ?」

 ドドットの背後で、ライムとスカーレットが慌てた様に手を振ってる。 怪訝な顔でそちらを見たドドットが口を聞く前に、アルテミスが『自分の希望』を口に

した。

 「では……私が上になってよろしいでしょうか?」

 「上に? ああ、別に構わないぜ」

 そう言って、ドドットはアルテミスの背中に手を回しながら、彼女の隣に横たわった。

 「あんたは、立てないんだったな。 このまま、俺の上にのっかりなよ」

 にこやかに言ったドドットに、アルテミスは顔を微かに赤くした。

 「では、失礼します」

 銀色の肢体が、滑るような動きでドドットのたくましい体の上へと覆いかぶさった。

 「……むうっ?」

 ドドットの笑顔が強張った。 喉の奥で妙な音を出し、それから手足を妙な風にじたばたと動かす。

 「どうしました?」

 にこやかに笑うアルテミス。 銀の女神像のようなその体は……銀でできているかのように重かった。 ずっしりとした重みがドドットの体を押さえつけ、

床にめり込んでいくようだ。

 「あーいや……あのアルテミスさん?」

 「はい?」

 「失礼ながら……その、体じ……」

 ドドットの言葉が途切れる。 自分に覆いかぶさっているアルテミスから、紛れもない殺気が伝わってきたのだ。

 「……いま……何かおっしゃいました?」

 ぶんぶんぷんっとドドットは首を横に振った。 そして、アルテミスの背後にいるライムに指を使って尋ねる。 

 ”ひょっとして、この子、凄く重い?”

 コクコクとライムが頷く。

 ”重いの、気にしている?”

 コクコクとライムが頷く。

 ”この子の重、俺の、何倍?”

 ライムがゆっくりと指を立てていく、一本、二本……十本の指を立て、ライムがずいと手を突き出した。

 「……うう」

 ドドットは、この仕事にかかってから最大の危機が、自分に『圧し掛かって』きたことを悟った。
 
【<<】【>>】


【ヌル:目次】

【小説の部屋:トップ】