ヌル

第五章 ドドット(1)


 ”アザースッ”

 ”オツカレーッ”

 意味不明の声を掛け合いながら、緑色のスライム娘『スタライタンズ・サウザンド』がてきぱきと研究室の壁を外し、床をめくって片付けていく。 そして、

取り外された壁や床、機械に至るまで、形が崩れてスライム娘に変わっていくのだから、ドドットしては目をむいて絶句しているほかはない。

 「『仮装現実』って……こういうことかよ……」 

 辺りを見渡せば、そこはエミに連れて来られてスタライタンズ・サウザンドに引き合わされたあの森の中だ。

 「そういうことよ」

 はっとして振り返れば、エミと『スーチャン』呼ばれた子供サイズのスライム娘がこちらを見ていた。

 「全部、お芝居かよ? また、凝ったマネを……」

 「芝居じゃないわ。 全部あの子たちが見た事実、それを再現して見せたのよ」

 「ソーソー」

 頷いて見せる『スーチャン』とエミを交互に見やり、ドトットは腕組を組んだ。 そこで彼は、自分の服が白衣からいつも着ている厚手の皮鎧に戻っている

ことに気がつき、呆れたように首を振った。

 「わかったわかった。 あれは全て昔現実に起こったこと、それは判ったがな。 なんであんな大掛かりな真似をして、俺にそれを見せたんだ?」

 「それは……」

 エミが言葉を続けようとしたとき、周りにいたスタライタンズ・サウザンドがざざっと顔を上げた。

 ”ソージューキ!! ヤカタニ人がキタ!”

 「え!? もう!」

 エミはシスター服(彼女ももう白衣はきていなかった)を脱ぎ捨てて、黒一色の薄布一枚になる。 そして、背中から被膜上の翼を広げ、宙へと飛び上がった。

 (……久しぶりに見たな、あの姿を)

 エミは人ではない。 頭に角が、背中には翼があり、空を飛べる。 普段は隠しているのだが、どういう仕掛けで見えなくなるのか、ドドットにはさっぱり判ら

なかった。 当人(?)に聞いてみた事もあったが、聞かれたエミは額を抑えてぶつぶつと呟きだし、部屋をぐるぐると歩き回りながら”……物理的にあり得

ない……”、”視覚に……”など意味不明の独り言を夜通し繰り返した。 それ以来、ドドットは彼女にその話題を振るのを避けるようになった。

 (何が起きたんだ?……)

 不吉なものを感じなが、ドドットはエミが飛び去った方角をじっと見つめた。


 ドドットがほっとしたことに、エミはさほど時を待たずに戻ってきた。 もっとも、その表情は険しく、良くない事が起きたのは間違いなさそうだったが。

 「ヌル伯爵邸にセバスチョンが帰ってきてしまったわ」

 ドドットの顔が青ざめた。

 「彼は無事か?」

 エミは頷いた。

 「港の役人と一緒に戻ってきたし、警護士も一緒だったわ。 館に入って伯爵夫人たちと遭遇したらしいけど……全員無事に逃げ出した」

 「そうか……それはよかった」

 「でも、これでヌル伯爵邸で何が起こったか、港の管理責任者に伝わってしまうわ」

 「確か、ヌル子爵……いや伯爵家の傍系の……ノロ男爵だったかな」

 「そう……そして、伯爵の命を狙った黒幕でもあるわ」

 エミの言葉に、ドドットは顔を上げた。

 「確かか?」

 「確固たる証拠はないけど、状況証拠は揃ってきていたの。 十中八九間違いないわ」

 ドドットは難しい顔になり、自体がどう動くかを考えた。

 「……となると、ノロ男爵は伯爵の館に男爵家の警備隊を送るな……」

 「いえ、伯爵の館が魔物に占拠されたとなれば、公的な討伐隊を送ることが出来るわ」

 「討伐隊?」

 「港の警備隊を動かせるし、教会の助力も……とこれはないか」

 「ん? なぜだ?」

 「ノロ男爵の狙いは、伯爵家の持っている領地と権限を手に入れること。 そのために伯爵の命を狙ったのよ」

 「だけど、失敗した」

 エミが頷く。

 「ところが、伯爵の館に異変が起こった。 執事が帰ってみると伯爵夫人が魔物になっていて、伯爵は行方知れず」

 「行方知れずって……彼はもう伯爵夫人に……話したよな?」

 「でも、セバスチョン、それに一緒に来たノロ男爵家の者にはそこまでは判らない。 わかったのは伯爵夫人が魔物になったことだけ」

 「そうだな」 ドドッが頷いた。

 「伯爵の死亡がはっきりしていれば、教会としては館を占拠した魔物を退治する方向で動くでしょう? でも、伯爵が生死不明であれば……」

 「伯爵の生死が確認できるまで、館を封鎖するか」

 「ええ、でもノロ男爵としては伯爵夫人が魔物になったいまは絶好のチャンス。 館ごと伯爵夫人を葬れば、まず間違いなく伯爵も一緒に葬れる。 それを、

公然と実行できるのよ」

 「となると、教会へは協力を求めず、自分たちだけで……」

 「それも、教会が介入する前に」

 「となると……明日には手持ちの兵隊をかき集めて攻めて来るな」

 エミが頷き、ドドットは手を顎に当てて考え込む。


 「そうか……魔物になっちまった伯爵夫人やルウ坊たちには気の毒だが……どのみちそうなるか」

 ドドットがあきらめたように呟くと、エミが不思議な笑みを口の端に浮かべ、彼に話しかける。

 「そう、どのみちそうなってしまうわ。 だから、その前に……」

 「ん?」

 「あたしたちで、伯爵夫人たちを助けだすの」

 「……は?」

 ドドットはエミを見て、次に上を見た。 それから耳の穴をほじってみとエミに聞き直す。

 「今なんて言った?」

 「あたしたちで、伯爵夫人たちを助けだすのよ」

 ドドットは、エミの顔をまじまじとみつめ、尋ねた。

 「何故?」

 「それを判ってもらうために、『仮装現実』ですべてを見せたのよ」

 エミは、真剣な顔でドドットを見返す。

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