ヌル

第四章 プロフェッサー(16)


 激高したスカーレットを何とか宥めたライムは、床を這いまわるヌル・スラッグを集め、近くにあった袋(ボディ・バッグだった)に放り込んでチャックを閉めた。

 「さて……」

 振り向くと、白衣姿のエミとトドットが壁際に立たされて、スカーレットに文字通りの『手刀』を突き付けられている。

 「姉さん……その人達は……」

 ライムが声をかけると、スカーレットはちらりとそちらに視線を向けた。

 「そっちは終わったわね……悪の女幹部と構成員。 このままにはできないわ」

 すっとスカレーットの目が細くなり、同時にドドットは彼女の殺気を感じた。

 (冗談じゃない! 誤解だ!)

 腹の中では焦っていたが、それを態度に見せない。 ドドットもそれなりに修羅場をくぐってきた男だ。 かくなる上は逃げるしかないとすきを窺っていると、

近寄ってきたライムがエミを見て首をかしげている。

 「貴方は……ひょっとして『ジョーカー』さん?」

 怪訝な顔をしていエミに顔に、驚きと微笑みが浮かぶ。

 「懐かしい名前ね。 その名を名乗ったのは『敬』と『蛍』の二人だけだったと思うけど。 あの二人に会ったの?」

 「ええ」「ああ」「うん」「はい」

 なぜか、ライムが4人の声で答えた。 

 「え?」

 エミがいぶかしむと同時に、『ライム』の姿が歪む。

 ビユ……ルン!

 一瞬のうちに緑色の少女の姿が消え、3人の男女へと姿を変える。

 「ええーっ!」

 驚きの声を上げたのはドドットだった。 さっきまで緑色の少女が立っていたところには、初老の男性が立っていた。 その右には健康そうなピンク色の

童女というか幼女が立ち、左側には影の薄い……いや、半透明の美女が立っている。 そしてなぜか、初老の男性の肩には身長20cmほどの緑色の少女

の人形がのっかっている。 そして、どういう訳だか全員裸だった。

 「ふーん、それが貴方の、いや貴方たちの正体という訳ね」 エミが興味深そうに言った。

 「まぁそうだ。 私は須他金雄。 君たちが、ドクタークロスと呼んでいた男は、私の友人で十文字と言うのが本名だ」 と初老の男性が自己紹介をした。

 「わたしはプロティーナだよ〜」 とピンク色の幼女。

 ”私はアルテミス” と半透明の美女。 なぜか声は足元から聞こえてくるような気がする。

 「そして、私はライム」

 最後に口を聞いたのは、なんと須他老人の肩に立っている緑色の人形だった。

 『五人の力を一つに集め、正義の為に力を振るう! 我ら、ザ・ライム・スター!!』

 先の4人に、スカーレットが加わってポーズを決めた……すっぽんぽんのままで。

 (外で出会ったらあれだな……目を合わさずに通り過ぎるのが正解な奴だな……)

 ドドットは腹の中で呟き、須他老人を見て思う。

 (なんだかなぁ……)


 「リモコン?」

 スカーレットが首をかしげる。

 「ええ、その引き出しにでも入っていないかしら?」 エミが尋ねた。

 「これ?」

 引き出しを探っていたプロティーナが、黒いプラスチックの箱を見つけて持ってきた。 いくつものボタンが付いている。

 「これ押すの?」

 「ちょ、ちょっと待って!」 プロティーナが、ボタンを押そうとするとエミが慌てて止め、リモコンをひったくる。

 「むー」

 プロティーナがむくれて見せたが、エミは意に介さない様子でリモコンを慎重な手つきで調べている。

 「これね」

 エミがリモコンを操作すると、どういう訳だかエミのつけていた黒いチョーカーが外れた。

 「?」

 ドドットがチョーカーを拾い上げると、エミはそれを投げるように身振りで示した。 ドドットがその通りにし、チョーカを放り投げるとエミがリモコンを操作する。

 ズン!

 小さな爆発音がしてチョーカーが破裂した。

 「え……」

 「脅されてたのか、あれで」

 呟く須他老人に、エミが意外な答えを返す。

 「脅されてたのは事実よ。 でもプロフェッサーへの協力は、私自身の意思でもあったわ」

 「何?」

 「自分の意思……だと?」

 驚きと怒りの声が、ライムたちから上がる。 特にスカレーットは再び殺気を漲らせて、『手刀』を構えようとしていた。

 「ええ」

 エミは、ロッカーの中から丸い金属製の容器を取り出しながら答えた。


 「プロフェッサー・ホークは、この惨状のなかで人間を生き延びらせ為の、それも確実な方法を考えだし、実行に移していたわ」

 「あれがか! 奴は人を獣人化させ、山や海に放っていたんだぞ! しかも、他の人間の命を犠牲にしてだ!」 須他老人が憤懣やるかたない様子で言った

 「彼女が手にかけたのは、研究所に侵入してきたテロリストだけよ。 それはまぁ、いずれは志願者を募る予定だったらしいけど」

 「そうだとしても、あまりに非人道的なやり方だ。 認めることはできん」 須他老人が固い声で応じた。

 「人道なんて口にしている余裕があるうちはね」

 しゃべりながらエミはボディバッグに詰めこまれたヌル・スラッグを取り出しては、金属容器に詰め込んで、蓋をしている。

 「……どういう意味よ」 とスカーレットが聞く。

 「言葉通りの意味よ。 知っているでしょう、エネルギー源が大打撃を受けてこの方、町は失業者であふれ、暴動は日常茶飯事、餓死者すら珍しくない

現状を」

 「……」

 「正義の味方が、警察から暴動の容疑者を解放した。 で、その後は? その人達が、また新たな暴動を起こした。 違う? 当然よね、暴動の発生原因

はなくなっていないのだから」

 「暴動の……原因……それは、政治の腐敗が……」

 「私腹を肥やす……役人が……」

 「悪い奴が……」

 「違う」

 エミはピシリと言った。

 「真の原因は、人の数が多すぎること。 世界が支え切れる以上の人間があふれていること。 それをエネルギーの乱費という手段で糊塗し、みんなの

目を欺いていたの、この世界は」

 パチリと音を立てて、容器を封じたエミは、首を横に振った。

 「いや違うわね。 みんな知っていた。 知っていて目を背け何もしてこなかった。 だから、それが現実になった時、ただ慌てることしかできなかった。 

そして、一斉に生き延びる手立てを探しはじめた……その結果が今の世界の惨状」

 次の容器を開き、別のヌル・スラッグを容器に封じ込める。

 「悪人なんていないのよ。 みんな、生きのびたい、それだけなのよ。 でも、この世界にはもうそれだけの人を生かし続ける余力はない……だから」

 「だから……なによ」 スカレーットが聞いた。 答えは判っていたが。

 「あぶれた人は……この世界から退場していく……それだけのこと」

 淡々と語るエミの口調の底には、あきらめと、無力感と、そして深い悲しみがあった。 怒りに拳を握りしめていた須他老人だったが、突然がっくりと膝を

ついた。

 「金雄!?」

 「ライム……どうやら私もここまでの様だ……」

 「ちよっちょっと、しっかりして!」

 「心配するな。 まだ死なんよ。 しかし、もう変身は無理なようだ……」

 『金雄!』

 ”金雄!”

 ”カネォォォォォォォ……”

 (おおおっ? なんだ?)

 世界が灰色に、そして緑一色へと変わっていく。 すべてのものが形を失い、そして別の何かに変わっていく。


 「こ、これは?」

 ”これがこの地で起こったこと……ヌル誕生の全て……”

 エミの声が遠くらから聞こえてきた。

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