ヌル

第四章 プロフェッサー(15)


 ガリッ! ギッ・ギッ・ギッ・ギッ……

 ドドットが目をむいた。 この部屋の扉は、ドドットが見た事もないほど分厚い金属の塊だった。 ドドットと同じくらい屈強な男が10人がかりでも開かない

だろう。 それが今、凄まじい軋みを立てながら、じわじわと開いていく。

 「な、なんだ!? 何が起こっている!?」

 「だから正義の味方が到着したのよ」

 肩をすくめて見せるエミに、ドドットは胡散臭げな視線を向ける。

 「あのなぁ、『正義の味方』なんて自称する奴に碌な奴はいたためしがないんだが」

 「奇遇ね。 私も同意見だわ」

 白衣の男女がショート・コントのようなやり取りをしている間にも、金属の扉はじわじわと動き、ついに人が一人通れるほどの隙間が開いてしまった。

 「開いたぁ!」

 「先に行く!」

 「ちょっと、姉様!」

 扉の向こうから若い女−というより女の子の声がした。 ドドットがいぶかしむ間もなくカラフルな服装の女の子が二人、扉の隙間をすり抜けるようにして

飛び込んできた。

 「なんだ? こいつら」

 ドドットは思わずつぶやいたが、それも無理はないだろう。 一人目の女の子は、赤一色の服……ではなくて頭のてっぺんからつま先まで赤一色のいで

立ちで、首元に着けている黄色のリボン以外、髪の毛や顔まで赤い色をしている。 そして、二人目の女の子は、緑一色の体の上にピンク色のブレスト・

アーマーの様なプロテクタをつけ、銀色のズボンを履いている。

 「派手な奴らだなぁ」

 半ばあきれていると、ドドットとエミに気が付いた二人は、ドドット達を指さして大声を出した。

 「ややっ!女幹部と白戦闘員がいる!」

 「ライム! そいつらは任せる。 あたしは十文字を!」

 ライムと呼ばれた緑色の女の子は、ドドット達に正対して拳を固めた。

 「えーと……敵視されているようだけど、応戦した方がいいかな?」

 「止めた方がいいと思うわ。 だって……」

 エミが呟くと同時に『ライム』が滑るように近づいてきて、拳を一閃する。 慌てて避けたドドットだったが、白衣の裾が拳に絡まる。

 「うわぁ!?」

 ものすごい力で白衣が引っ張られ、ドドットはライムの方に引きずり倒された。

 「……その子は十人力だから」とエミが走って逃げながら言った。

 「早く言え!」

 ライムのパンチとキックを避けながら、ドドットは起き上がりエミの後を追った。


 「起きろ、プロフェッサー・ホーク」

 ベッドに横たわっていたプロフェッサー・ホークは気だるげに目を開けた。 ベッドの脇に赤い娘が立ち、自分に手刀を突き付けている。

 「十文字はどこだ?」

 「遅かったわね、 彼はもう私のもの……ここにいるわ」

 プロフェッサーは疲れたように笑うと、自分の下腹を指さした。 彼女が指さした辺りが、異様に膨らみごそりと動く。

 「なに?」

 「彼はドロドロに蕩けて、歓喜の声を上げて私のものになった。 毛一筋残さずに……」

 ドクターの言葉に、赤い娘の体から殺気が迸り、プロエッサーに突き付けた手刀がゆっくりと伸びて『刀』の形へと変わる。

 「貴様……殺してやる」

 「残念ね、どのみち私ももうじき死ぬの」

 「その前に、私がお前を殺す」

 赤い娘が『刀』を振りかざす。

 「それでもかまわないけど……いいの? 彼の血が未来に残る可能性を閉ざしても……」

 「何?」

 プロフェッサーの下腹の動きは、そこから胸へと広がりつつあった。 それにつれて、彼女の腕や足が徐々に細くなっていく。

 「お前……いったい何が……」

 「私の体を使って……男たちの血を……未来に残す……種を産む……」

 ゆるく開いていたプロフェッサーの足の間から、透明な液体が流れ出した。 そして、その流れに乗るような動きで人の太腿ほどもある巨大なナメクジが、

プロフェッサーの胎内から姿を現す。

 「なんだ……これは……」

 「それが『ヌル・スラッグ』……男たちの血を未来に残す……ドクター・クロスの血も……そこに託した……」

 プロフェッサーの言葉か途切れ、静かに目を閉じる。 彼女の胎内からは、次々に『ヌル・スラッグ』が姿を現してくるが、プロフェッサー自身の命は尽きた

らしかった。

 「……」

 赤い娘は『刀』を腕に戻し、静かに首を垂れた。


 「待てー!」

 「……と言われて待つ奴がいるか! なのに、なぜみんなそう叫ぶ!?」

 「自分が追跡中であることを、周りに宣言する為でしょう。 そうすれば、通行人の協力も得られるかもしれないし」

 「どこに通行人がいるんだよ!」

 エミとドドットは、ライムに追われて広い病室の中を逃げ回っていた。 と言っても、ライムはやたらに足が速く。 まっすぐ走っているとたちまち追い付かれ

てしまう。 エミとドドットは、あちこちに置いてある機材を飛び越え、戸棚を回り込み、机の下を潜り抜けと障害物競走の様な追跡劇を演じていた。

 「捕まえたぁ!」

 とうとうドドットとエミは襟首を捕まえられる。 と信じがたいことに、二人はそのまま宙に持ち上げられてしまった。 

 「ぐわぁ」

 「痛ぁい」

 白衣に体重がかかり脇に食い込む。 ライムは二人を持ち上げたまま、プロフェッサーの脇に佇む赤い娘の処に戻ってきた。

 「姉さん、女幹部と白戦闘員は捕まえたはよ。 十文字さんは?」

 赤い娘はだまって首を横に振り、静かにプロフェッサーの亡骸を示した。 もう人の形をとどめていないそれが、最後の『ヌル・スラッグ』を産み落とすところ

だった。

 「……これは?」

 「……プロフェッサーに喰われた男たちのなれの果て……この中に、男たちの『血』を残すものが収められているらしい……」

 ライムは、じたばたとあばれるエミとドドットを床におろし「逃げたらおしおきするから」と言い含め、赤い娘の横にたって静かに『ヌル・スラッグ』に向けて

首をたれた。


 (この子ら……あのドクター・クロスの知り合いだったのか)

 ドドットは痛む脇を摩りながら、ならんで首をたれる二人の娘の背中に、深い悲しみを感じた。


 「ジャー……」

 ライムが何か言いかけたのを、赤い娘が制した。

 「その名で私を呼ぶな」

 「?」

 「長きにわたり、その名でわがパートナーと戦い続けてきた。 が、そのパートナーは敵の手に落ち、この様な姿に……」

 「いや、それはドクターそのものでなく……ゲフッ!」

 後ろで何か言いかけたドドットの頭に、赤い娘が後ろ手に投げた機械が命中する。

 「私は、何も報いることはできない。 せめてその名はお前と共に封印し、わたしは母より頂いた『スカーレット』にもどろう」

 「……姉さん」

 そのことに、何の意味があるのかな……とライムは思ったが、懸命にもそれを口に出すことはせず、ただ姉が『ヌル・スラッグ』達に敬意を表するのを見つ

めていた。

 「……」

 産み落とされた『ヌル・スラッグ』達は、床の上をのたのと這いずり、時折触手の様なものを出して辺りを探っている。 と、ベッドわきの机の引き出しを

探っていた一匹が、ドクターの私物だったらしい扇子を引っ張り出した。 

 「?」

 『ヌル・スラッグ』は触手の先で器用に扇子を広げると、それはいわゆる『日の丸』扇子で、でかでかと『日本一』と書かれていた。 『ヌル・スラッグ』は

扇子が気に入ったのか、触手の先でそれをパタパタと振っている。 偶然なのだろうが、扇子を振る『ヌル・スラッグ』にスカーレットが敬礼する格好になり、

はたから見ているとなんとも間抜けに見えた。

 プッ

 ククッ

 背後でエミとドドットが笑うのが聞こえ、スカーレットの赤みが増したように見えた。 額に青筋……いや赤筋が立ちこめかみがピクピクと震える。

 「……わがパートナーがこのようなあさましき姿になってしまった以上……ゆはり、私が引導を渡すのが情けというものか……」

 スカーレットの手が『刀』へと変じ、凄まじい殺気が全身から溢れ出す。

 「姉上、気を確かに!」

 「お、落ち着いて」

 「悪気があったわけではないでしょう」

 『刀』を振り回すスカーレットに、『ヌル・スラッグ』た達があたふたと逃げ回る。 慌ててライムが止めに入り、エミ、ドドットもライムに加勢してスカーレットを

制する羽目になった。

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