ヌル

第四章 プロフェッサー(12)


 エミはドドットを従えて廊下に出ると、すぐに右に曲がって階段を下りていく。

 「地下室か……」

 二階層分下ると、先を遮る分厚い金属の扉があった。

 「……この扉、どこかで見たような?」

 ドドットが呟いている間に、エミが扉の脇のパネルを何やら操作した。 扉が音もたてずに開くと、エミが中に入り、ドドットがそれに続く。

 「なんだ……ここは?」

 薄暗い照明に照らされた部屋は、地下にあるとは思えないほど天井が高く広い。 部屋の中央付近には、幾つかの金属の箱が置かれ、色とりどりの紐や

透明なチューブで箱どうし繋がれている。 そして、箱に囲まれるようにして、一つのベッドが置かれていた。

 「……」

 エミは無言でベッドに歩み寄ると、箱の上に置かれたモニターの数字を読み取った。

 「……エミさんか……」

 しわがれた声がし、ベッドに横たわっていた人が起き上がろうとする。 かなりの老人で、声はしっかりしているが、エミに伸ばした手は枯れ木の様にやせ

細っている。

 「寝ていてください、ドクター」

 エミは起き上がろうとする老人を制すると、機械のパネルを何やら操作している。

 「そのじいさんがドクタークロスか」

 近寄ってきたドドットが確認するように言った。 辺りの匂いを嗅いで、かすかに顔をしかめる。

 「何の匂いだ?」

 「『病院の匂い』よ……貴方は知らないでしょうけど」

 ドドットは肩をすくめ、ベッドに横たわる老人を無遠慮に眺めた。 やせ細った体に、薄い水色の着物をまとっていて、その腕に機械から伸びたチューブが

繋がっている。

 「これはなんだ?」

 ドドットが機械に触れようとすると、エミが制止する。

 「触らないで、その機械の力でこの人は命を繋いでいるんだから」

 エミに止められたドドットは、二歩下がった。

 「命を繋ぐ? よくないのか?」

 「年が年だけど、それだけじゃない。 腫瘍が全身に広がっていてね。 とっくに息絶えていても、不思議じゃないんだけど……」

 エミが言葉を切り、静寂が戻る。

 シュー、シュー……

 ピッ……ピッ……ピッ……

 機械が小さな音を立てていることに、ドドットは気が付いた。

 (このじいさんはここに寝かされて、ずっとこの音を聞いていたのか……)

 ドドットは、彼に哀れみにも似た感情を覚えた。


 ”回診です”

 不意に女の声がし、ドドットは振り返った。

 「誰だ? 何処にいる」

 「来訪を告げる『自動音声』よ。 あの扉を誰かが開けると、中の人に誰が来たか知らせるのよ。 もっとも、今の来たのは医者じゃないんだけれど……」

 エミが見ている方へ視線を向けると、さっきドドットとエミが入ってきた扉のが開き、四角い光の中に人のシルエットが浮かび上がっている。

 「……ドクター……クロス……」

 人影が中に入ってきた。

 ズシャッ……ズシャッ……

 濡れた足音を立てながら人影が、プロフェッサー・ホークが中に入ってきた。 プロフェッサーは『変身』を解いておらず、ナメクジの様な裸身をさらしたまま、

足を引きずるようにして近づいてくる。

 「お下がりなさい、エミ」

 「ドクターは、もう……」

 「判っているわ……だから……ここに来たの」

 エミが身振りでドドットに下がる様に示し、自分もベッドから離れた。 ドドットは、気が進まぬ様子であったがエミに従い、ベッドからさらに離れた。

 ズシャッ……ズシャッ。

 プロフェッサー・ホークがベッドの脇で足を止めた。


 「ドクター……」

 プロフェッサーは、粘液にまみれた手を伸ばし、横たわる老人の顔に触れた。 その途端。

 「きたきたきたきたきたっ!!」

 カッと目を見開いた老人が跳ね起き、別人のように元気な声で叫び出したので、ドドットは驚いて目を丸くした。

 「な、なんだ!? こ、これも『魔女の力』なのか!?」

 「違うわよ。 これこそがドクターが生かされている理由、『生体スペック解析能力』、別名『ご都合主義的−解説』パワーよ」

 「はぁ?」

 面食らうドドットをよそに、老人はあたりの空気を吹き飛ばす勢いで叫び続ける。

 「この女の能力! それは妖ソープランド『紫陽花』の女達の持つ力そのものである! 魔性の快楽で男を虜にし、毛一本残さずに精液へと変え、自分の

ものとしてしまう! 体を包む粘液は、男を虜にする力があると同時に、女の体を守る盾にともなる攻防一体の恐るべき武器! そしてその巨大な胸は! 

視覚的に男を引き付けると同時に、様々な幻覚剤、誘引液、そして魔薬を分泌し、男を思いのままに操り、捕らえる力を持つという! その恐るべき女妖怪

の力を、なぜか人間の女が備えている!!……ぜいぜい」

 一気にしゃべったせいで、息が切れたらしい。 と、荒い呼吸が聞こえなくなったと思った途端、老人がぱたりとベッドに倒れた。

 ピッピッピッ……ピーッ!!

 ”ご臨終です。 当患者は延命措置は希望しないと意思表示されています……ですが、上位管理者によって『死んでもこき使え』モードが設定されており

ますので、強制蘇生を開始します”

 バシッ!

 火花が飛んで老人が跳ね起きた。

 「ひぇぇ!!」


 「あ、生き返った」

 「自動看護機械のはずなんだけど、こうしてみると拷問機械iにしか見えないわねぇ」


 跳ね起きた老人をプロフェッサーは、自分の胸で抱き留めた。 柔らかく白い胸から、甘酸っぱいにおいが立ち上り、ドクターの顔が緩む。

 「むむむむ!!……この女の持つ力はもう一つある!! それは精液に変えた男の精を、己が卵子に受精させ、その状態のまま体の中に保存する力

だ!!」

 「そう……その通りよ……」

 甘い声で囁きながら、妖艶なナメクジ女と化したプロフェッサーは、今にも朽ち果てそうな老人、ドクター・クロスを自分の胸の中に抱きとめて離さない。

 「しかし、この女の体には、受精卵を胎児として育て人の子供として生む力がない。 つまりこのままでは、吸収されたた男たちの血が残ることはない……

しかし……」

 「しかし……なぁに……」

 プロフェッサーの胸が、マシュマロの様に柔らかくドクターの頭を包み込んだ。 喋りまくるドクターの言葉が、白い乳房をフルフルと震わせる。

 「……この女の受精卵を、人の女の体に定着されるか、人工子宮の様な装置で育てれば、立派に育つ!! つまりこの女は、吸収した男たちの血を

未来へと繋ぐ可能性を残している……ああっそしてっ!」

 いっこうにしゃべるのを止めないドクターに焦れてきたのか、プロフェッサーはベッドに横たわるドクターの体から着衣をはぎとり、しなやかな女体を重ね

始めた。

 「……この女は、自分の分身ともいうべき『ヌル・スラッグ』を……受精卵を託した『ヌル・スラッグ』を……産むことができる……」

 「ドクター……」

 プロフェッサーの赤い唇が、カサカサに乾ききった老人の口を塞いだ。 ドクターはモゴモゴとなおも喚いているがほとんど聞こえず、かろうじて次の言葉

だけが聞き取れた。

 「……自分の命と引き換えに……」 

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