ヌル

第四章 プロフェッサー(3)


 警報の鳴り響く廊下へと駆け出した二人は、廊下の先に人影を見つけた。 他の職員と違って白衣を着ておらず、汚れた原色のシャツにジーパン姿、そして

その手には黒っぽい銃を構えている。

 「戻って」

 エミに背中を押されるようにして、ドドットは元の部屋に戻り、エミが中に入ると扉を閉めた。

 「賊か?」

 「そんなところ。 警備はと……」

 慌てる様子も見せず、エミが卓上の電話機から受話器を取り上げた。 その時、ドアの方で破壊音がし、ドアが蹴りあけられた。

 「動くな!! 電話から手を離せ!!」

 さっきの男がドア入り口に立ち、銃をエミとドドットに交互に向ける。 エミは肩をすくめて受話器を机に置いた。

 「聞け! 俺は神に代わって貴様らの罪を暴きに来た!」

 「聞いてあげるから、思うところを簡潔に述べなさい」

 落ち着き払ったエミの態度が気に入らないのか、男は顔を真っ赤にして喚きたてる。

 「お前たちは政府と結託し、民衆に分け与えられるべき食料と電気を搾取している! 我々は民衆のため、奪われたものを取り返すために立ち上がった!!

 おとなしく奪ったものを差し出せ!!」

 「ここは研究施設で倉庫ではないわ。 職員用の食料はあるけど人数分しかないわよ。 エネルギーの方は非常用発電機の燃料が、精々一日分しかない

けど、それでいいのね?」

 男はエミの物言いに激高し、意味不明の悪口雑言を喚き散らす。

 「……騙されんぞ!! この悪魔め!! 正体を現せ!!」

 エミは再び肩をすくめると、するりと白衣を脱ぎ落として黒いツーピースのスーツ姿になって腕を組んだ。 そして……突然その背中から二枚の黒い翼が

生えた。

 「……」

 男は目を丸くして硬直する。 それを見たドドットが、体を低くして男に掴みかかった。

 「ぐ!」

 抵抗する間もなく男はドドットに組み伏せられた。 エミは、机の引き出しの中からケーブル・タイを引っ張り出し、ドドットに放る。 ドドットはケーブルタイを

見て首をかしげていたが、それを輪にして男の手首と足首を縛り上げた。 その間ずっと男は目補見開いたまま、翼を生やしたエミを見ていた。

 「正体を見せろというからご希望に応えてあげたのに、随分な態度ね」

 「希望が通ったんで、感激しているんじゃないのか?」

 そういいながら、ドドットは銃を拾い上げて、慎重に改める。

 「武器だな? 使い方は知らんが」

 「そうよ。 知らない割には随分警戒してたようだけど?」

 「いつも何をしてくるか分らんやつばかり相手にしているからな。 ところでこいつは何をしに来たんだ?」

 「腹が減ったから食い物をよこせと言ってたわ」

 「やっぱり賊か? おい、お前は一人か?」

 ドドットに声をかけられ、男はようやく我に返った。

 「だ、だまれ。 悪魔と話す言葉など持っていない!!」

 「さんざんしゃべっておいて、勝手な奴だな」

 そう言うと、ドドットは銃を取り上げると、見よう見まねでそれを男に向ける。

 「おい、なにをする!! し、知らんのか! 俺には黙秘権と……」

 「知らん。 ついでに言うとこの武器の使い方も判らん。 とりあえず脅しに使ってみようと思うが……これって痛いのか?」

 ドドットの言葉に青くなった男は、今度はエミの方を向いて怒鳴る。

 「こ、この悪魔……」

 「さて、私はその悪魔らしいけど。 どうする? 権利とやらを並べるより、質問に答えた方が有意義じゃないかなと、お姉さんは思ったりするんだけど……

ちょっとドドット、あまりその辺りをいじらない方が……」

 「いや、どうもここを握るとこの辺りに指が……ははぁ、これを引けばいいのかな」

 「引くなぁぁぁぁ! 判った! 俺以外に男が三人、女が一人いる! ここの責任者とか言う、黒髪の女を探しているはずだ。

 それを聞いたドドットは、顔色を変えてエミを見た。 しかし、エミは頬杖をついて、机に腰かけてこっちを見ており、動こうとしない。

 「おい……さっきのホークとか言う女の事じゃないのか?」

 「でしょうね」

 「知らせるなりなんなり、しなくていいのか?」

 「さっき警報が鳴ったでしょ。 警備が動いているはずよ。 もっとも、こんなのが入り込んでくるようだと、当てにはできないけど」

 そう言うと、エミは男の顔を覗き込んだ。 何をしたのか、男が意識を失って床に倒れる。 

 「おい?」

 いぶかしむドドットにはかまわず、エミはさっきドドットに見せていたスクリーンをONにした……何も映らない。

 「もう」

 エミはスクリーンに歩み寄ると、スクリーンに何か話しかけている。

 「……そう、その辺りから……そうそう」

 すーっとスクリーンが明るくなり、別の部屋が映し出せされた。 窓がなくさほど広くない部屋で、そこにはプロフェッサー・ホークと向かい合う四人の男女が

映し出されていた。

 「……まずい状況じゃないか? これって」


 スクリーンの中では、四人の男女が口々に激しい言葉をプロフェッサーに浴びせているが、彼女は冷たい笑いを浮かべたまま、聞き流しているようだ。

 『貴様を、地獄に送ってぇ……!!』

 男が一人、銃をプロフェッサーに向けた。 激しい連続音が聞こえ、彼女の白衣が激しくはためいた。

 『……?』

 音がやむと、プロフェッサーの着ている服がひどく敗れているが見えた。 だがそれだけで、プロフェッサーは笑みを浮かべたまま佇んでいる。

 『……この悪魔め!! 正体を現せ!!』

 独創性のかけらもないセリフを男が口にすると、彼女は笑みを浮かべたまま白衣をするりと脱ぎ捨てた。 エミと同じ仕草だったが、こちらは白衣の下に

何も来ていなかった。

 『ククッ……』

 彼女はのどの奥で笑うと、ゆっくりと顔を上げて一歩前に出た。 

 ピチャリ……

 水音がした。

 ピチャリ……

 彼女が歩を進めるたびに、水音がする。

 『濡れてる……?』

 スクリーンの中の男の一人が呟く。 そう、プロフェッサーの体は、シャワーを浴びた後の様にびっしょりと濡れていた。 水音は、彼女の体から水か滴る

音らしかった。

 『ひっ!?』

 スクリーンの中で銃を持った女が息を呑み、プロフェッサーを凝視している。 彼女の皮膚に青い筋が浮かび上がってきたのだ。

 『お、お前は!?』

 濡れた体に長い黒髪がへばりつき、その下から覗く皮膚を走る無数の青い筋……それほど姿が変わった訳ではないが、プロフェッサー・ホークは人とは

思えぬ異様な存在へと変貌していた。

 『ご希望に応えてあげたのよ? もっと喜んでほしいわね……』

 そう言ってプロフェッサー・ホークは不気味に笑った。

 
 「まさか……あいつが『ヌル』だったのか?」

 「オリジナル『ヌル』。 私の国の言葉で言うなら、『アオスジナメクジ女』かしら?」

 そう言い放ったエミの言葉は、ドドットにはひどく冷たく聞こえた。

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