ヌル

第四章 プロフェッサー(2)


 プロフェッサー・ホークは、新人助手を品定めするようにたっぷり一分間眺め、おもむろに手を差し出して握手を求めた。

 「彼の暮らしていた処に、握手の習慣はありません」

 エミに言われ、ホークは肩をすくめながら手を引っ込めた。

 「それで? どこの田舎から連れてきたの? ここが危機的状況なんて能天気な言葉を吐けるような呑気者を。 名前は?」

 馬鹿にしたようなホークの口調に、エミは眉をしかめながら答える。

 「自然主義で生きている人たちの集落から連れてきました。 名前はドドット。 性はありません」

 「ああ、電気はいらないから……それで、なにも知らないわけ」

 ホークが肩をすくめる。

 「そんなのを連れてきてどうしようと……ああ、貴方のお相手。 確かにたくましそうね」

 「そういうわけではありません。 すでに職員の半分が退職か失踪しました。 人手が足りないのです」

 そう言ったエミは、ホークに冷たい視線を投げつけた。

 「退職者や失踪者の大半は、プロフェッサーの部屋に呼ばれた後に姿を消したそうですが?」

 「あら、そう?」

 ホークは、ひらひらと手を振って背をむけた。 部屋から出かけて、二人に声をかける。

 「新人研修用のビデオ、見せてあげなさい。 状況も知らずに仕事を任せるわけにはいかないから」

 ホークは所長室を出ていった。


 エミはドドット助手を手近の椅子に座らせると、所長室の壁のスクリーンをONにした。 OSの起動画面を見たドドットが驚きの声を上げる。

 「な、なんだこれは!? 絵が動いているぞ」

 「過去の映像や、資料を映し出す『魔法の鏡』よ。 このぐらいで驚かないの」

 「お、驚いてなんかいないぞ。 質問しただけだ」

 ドドットは腕組みする。

 「そ、それでこれをどうするんだ?」

 「ここに働きに来た人に、これで仕事の内容を説明するの。 ま、半分もわからないだろうけど、しばらく見ていて」

 エミがリモコンを操作すると、年配の白衣の男性が画面に映され、しゃべりだした。 ドドットが何か言いかけたが、エミの視線に気がついて口を閉ざす。


 ”君たちに仕事をしてもらうにあたって、まず状況を整理しよう。 今現在、我々の世界にはざっと百億の人口を抱えている。 一方で食料の生産量は、年間

九十億に達するかどうかだというところだ。 食料を公平に分配できれば、この生産量でもなんとか全人類を生存させることはできる。 が、これは机上の計算

に過ぎないことは明らかだ。 遠からず、わが国でも餓死者が出るような事態になることは避けられないだろう。 加えた、最近何度も発生している大規模停

電の影響もあり、社会は極めて不安定な状況にある。 このままでは遠からず、文明社会を支えるシステムが深刻なダメージを受けるだろう。 我々の仕事は

、その原因となった二つの問題、食糧事情の悪化と大規模停電の発生に対して、対応策を示すことにある……"


 エミは、リモコンを押して画を止めた。

 「判りやすく言うとね、メシとマキが足りなくなったの」

 「食い物がなくなると大変なのはわかるが、マキねぇ……ここの建物なんか、よくできていて寒さをしのぐのには問題なさそうだが」

 「マキが必要に野は暖房だけじゃないの。 この画をみせる魔法の素もマキで作られているのよ。 ここに来るまでにいろいろと変わった仕掛けがあった

でしょう。 あれが全部マキで動いていたのよ」

 「なんとまぁ……」

 ドドットは感心と呆れたのが混ざったような表情を見せた。

 「じゃ、次を見せるわ」

 エミがリモコンを押すと、今度は複数の男が現れ、一人がしゃべっている。 どうやら会議の記録のらしい。

 
 ”……食料不足は 突発的、かつ広範囲に発生した植物の枯死が原因だ。 その現象について調査したところ、このマップに示されているよう、穀倉地帯を

中心にほとんどの植物の葉が黄変してしまっていた。 その後、一年生植物は大半が枯死したが、多年生の植物は新しい葉を生やしい、ほとんどが生き残っ

た。”

 ”その原因は何だ? 病気か?”

 ”全ての植物に同じような症状を起こす病気など考えられない。 ただ、実はもう一つ興味深い事実が判っている。 ソーラーセルの異常劣化と植物枯死の

範囲は完全に一致しているのだ"

 ”ソーラ・セルの劣化と植物枯死? 一体なんの関係があると……”

 ”ひょっとして、光が!?”

 ”どうもそうらしい。 正確には光ではなくて、ガンマ線の領域になるが……このグラフを見てほしい。 大規模停電が起こる直前に、ガンマ線観測衛星が

変わったガンマ線バーストを捉えていたのだ”

 ”ガンマ線バースト? そんなものが植物やソーラセルになぜ影響を与えるんだ!?”

 ”みたまえ、このガンマ線バーストは特定の波長で、するどいスパイクが見られる。 まるでレーザーだ。 実験室で、この波長のガンマ線を植物に照射した

ところ、一定の強さを超えた段階でクロロフィルが効力を失った。 そしてある種のソーラ・セルも……”

 ”……ちょっと待ってくれ、そのソーラ・セルというのは”

 ”そう、数年前に発明され、世界的に普及した夢の高効率太陽電池だよ”

 ”……そんなことが”

 ”考えてみたまえ。 植物のクロロフィルは安定して太陽光をエネルギーに転換する。 そして高効率ソーラ・セルも安定して動作するよう改良されてきた。 

結果、二つとも同じ領域の可視光をエネルギーに変える物質が残った。 だから、片方を破壊するガンマ線があれば……”

 ”もう片方にも作用すると!? そんなばかな!?”

 ”崩壊のメカニズム、ガンマ線バーストのレーザー、いずれもまだ確証を得たと言える状況ではないがね”

 ”もっと研究が必要だ……”

 ”そんな余裕があるのか!? 明日にも食料と水とエネルギーをめぐって戦争が起きかねないんだぞ!?”


 エミがリモコンを押すと、画面が消えた。 訳が分からないと言った顔のドドットに話を要約する。 

 「メシとマキが駄目になった原因は分かったけど、どうしようもないことがはっきりしたのよ」

 「……身も蓋もないな。 だが最初の男は、その対策を立てるのがここの仕事だと言っていたぜ」

 「そう、それで次」


 ”我々には成すすべがない、今は。 時間さえあれば道を探すこともできるのだが…… 我々には、できる限りの知識を残し、いつかいまの文明が復活する

ことを願うことしかできない…… いや、もう一つあった。 できる限り多くの人が生き残れることを、せめて子孫を残せるように道をつくるこだ。 幸いというか、

不幸にしてというべきか……私は、人類の歴史の影に隠れてひっそりと『悪魔』が生きていた証拠をつかんだ。 世が世なら、私は異常者扱いされるだろうが

……その『悪魔』と眷属たち、彼らの持っている知識と力があれば……ある程度の我々の目的は達せられるはずだ……具体的な方法は今は言わない……そ

れこそ悪魔との取引なのだから……神よ、私を許したまえ……”


 エミが画を止め、ドドットがため息をついた。

 「わけのわからんことを延々と聞かされたが……要するにだ、破産しそうになったから、財産を守るために悪魔と取引することにした。 そういう事か?」

 「おおむねその通りかな。 最後の方なんて、深刻ぶっていたけど、身勝手な理屈を述べていただけだし」

 「ふむ、でその具体的な方法って?」

 「一つはさっき見たでしょう。 あの『スライムタンズ』に知識を覚えこませていたみたいに、彼らの言う『悪魔』に知識を預けて、将来使えるようにしておこうと

したのよ」

 「なんでだ? 本にするか、さっきの丸い鏡みたいなのに記録できるんじゃなかったのか?」

 「丸い鏡から記録を取り出すのには、ややこしい魔法の機械が必要で、それを作る技術が維持できなくなってきているのよ。 本は焼けてしまえばそれ

までで、人が覚えるにしても、その人が生き延びられるかが怪しくなってきているし」

 「んで、あの緑色のねーちゃん達にせっせと覚えさせているって? なんだかなぁ…… んでもう一つの。できるだけ大勢が生き残る方法ってのは?」

 「それは……」

 エミが答える前に、けたたましいサイレンが鳴り始め、続いて銃声が響く。 ドドットとエミは反射的に立ち上がり外へと駆け出した。

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