ヌル

間章 ドドット(3)


 (……)

 ”ほら、のんきに寝ていないで目を開けなさい、ドドット”

 ドドットは耳元で囁かれて目を開けた。 エミが、彼の顔を覗き込んでいた。

 ’わわっ’

 ドドットは慌てて後ずさる。 水の中にいるように体が重い。

 ’なんだ・ 妙に体が重いが……’

 立ち上がったドドットは、エミがシスター服を着ておらず、体にぴったりとした薄い布をまとっているのに気が付いた。 それだけではない、背中に翼があり、

頭には角が生えている。

 ’……いいのか? そんな恰好、人に見られたらまずいんじゃないのか’

 ”大丈夫よ、周りをよく見て”

 言われるままにドドットは周りを見回した。 場所はさっきまでと同じ森の中だが、辺りを埋め尽くしていたスライムタンズがどこにもいない。 だがそれ以外

にも、何か違和感がある。

 ’……色がない? 灰色だ……’

 ドドットの言った通り、森から一切の色が消え、すべてが白と黒のモノトーンで書かれた絵の様だった。

 ”ここは現実ではないわ。 私たちは、スライムタンズの記憶で構成された世界にいるの”

 ’……何? それはいったいどこだ?’

 ”まぁ、見ていれば判るわ。 さて、場所を変えましょうか”

 エミは水平に手を伸ばし。一点を指さした。 すると、周りの景色がエミのさしたのと逆の方に流れ始めた。 あたかも、ドドットとエミがそちらに進んでいるか

のように。

 ’おおお!?……’

 ”森から出るわよ”

 あっけにとられるドドットを尻目に灰色の景色が流れる速度が増し、二人は森の外へと飛び出した。 そして道のところまで来ると、今度は道に沿ってババ

車を走らすより速い速度で動いていく。 ドドットもエミも足を動かしていないのにである。

 ’こ、これは!?……’

 ”この辺りでいいわね”

 エミが腕を下ろすと、景色が止まった。 どこに連れてこられたのか気が付いたドドットは、思わず声を上げる。

 ’お、あれはヌル伯爵の館じゃないか!’

 ドドットの指さした方にヌル伯爵の館が見えた。 そこまでは500歩ほどしか離れていない。

 ”ええ……じゃぁここから過去に向かうわね”

 ’過去? おおお!?’

 エミが手で足元を指さすと、突然辺りの景色が変わり始めた。 ヌル伯爵邸はそのままだが、近くの灌木や足元の草が猛烈な勢いで動いている。 ドドット

は思わず後ずさった。

 ’なんだどうした!?’

 ”よくみ見てみなさい、木を”

 エミに言われたドドットは、近くの木をじっと見つめた。 木はブルブルと震えながら、すごい勢いで葉を生やしたり、落としたりしている。

 ’違う? 木が縮んでいる? 小さくなっていくぞ!?’

 ”そうよ。 今あなたが見ている風景は、すごい勢いで過去に向かっているのよ。 理解したところでピードアップするわ”

 ’まて、理解なんかしていない……’

 ドドットに構わず、エミが手を下に向けてつき下ろした。 途端に木が小さくなる速度が増した。 木だけではない、丘や辺りの地面までが波打つように動い

ている。 そして突然ヌル伯爵邸が解体し始めた。

 ’……’

 ドドットは言葉を失い、ただ変わっていく風景を見送っていた。 と、突然風景の動きが止まった。

 ’……おおおお? ここは、どこだ!?’

 ドドットが叫んだのも無理はない。 ヌル伯爵邸は緑に覆われた草原の中、湖のほとりに立っており、彼とエミはその近くに立っていたはずなのだ。 それ

かがどうだ。 いまや辺りには、灰色の石造りの、それも見上げるように大きい建物が整然と並び、足元の地面は黒い石か何かで覆われ、灌木が茂ってい

た林、草地が跡形もなくなっている。 湖も森も見えない。

 ”見通しがきかなくなったからわからないでしょうけど、場所は変わっていないわ”

 ’……ということは? ここし、ヌル伯爵邸のそばで、しかも昔の様子だと言うのか!?’

 ”そう。 物分かりがいいじゃないの”

 ’ばかを言うな! 都でもこんなでかい建物みた事がないぞ!’

 エミは肩をすくめて見せた。

 ”今はね。 昔はあったのよ”

 そう言うと、エミは灰色の町の中を歩きだした。

 ’おい?’

 ”いっしょに来て。 あ、あとここからは歩いた方がいいから”

 ドドットは一瞬ためらった後、エミの後に続いて歩き始めた。


 ’ここは……’

 ”判る?”

 少し歩いた二人は、塀に囲まれた建物の前まで来ていた。 石造りなのほかの建物と同じだが、高さはそれほどでもない。 丁度ヌル伯爵邸と同じぐらいだ

ろうか。 塀の一角に門があり、今は門が開いていた。 エミが先に立ってそこを通り抜け、続いてドトットがそこを通る。 その時、ドドットは門にプレートが付

いているのを見つけた。

 ’これは……伯爵邸の地下の入り口にあった『ミトラ』のプレート……’

 エミが立ち止まり、背中を向けたまま呟く。

 ”『MITLA』……『マジステール工科大学inLA』の略称……”

 ’え? なにか言ったか?’

 ”何でもないわ……そう、ここが『MITLA』発祥の地という訳よ……”

 エミはもう一度呟くと、すたすたと建物の中に入っていった。


 ’ここは?’

 ”『更衣室』。 着替えの為の部屋よ”

 エミはドドットを更衣室に案内すると、ロッカーから白衣を取り出し、彼にそれを着るように言って、自分もそれを羽織った。

 ’すごいな。 金属の薄板でクローゼットが作ってある……なんだこれは? 僧衣の一種か?’

 ドドットは白衣に腕を通し、袖を引っ張ったり、襟元を直したりしている。 糊のきいた白衣の着心地に戸惑っているようだ。

 ”ま、そんなところね”

 エミはドドットを連れて更衣室を出た。

 ”これから、貴方に『ヌル』誕生の瞬間に立ち会ってもらうわ”

 ’何? それはいったいどういうことだ?’

 ”黙って見ていれば判るわよ。 じゃぁ始めるわ”

 エミはポンと手を叩く。 すると灰色だった辺りに、うっすらと色が付き始めた。 そして色々な音が聞こえ始める。

 ’お、お?’

 ”ここからスライムタンズの記憶に基づいて、過去の出来事を再現するわ”

 エミが説明している間に、辺りにはすっかり色が戻りっていた。 と、二人が出てきたばかりの更衣室の扉が開き、白衣を着た女性がゾロゾロと出てきて、

二人の脇を通り過ぎて行った。

 ’お、おい? 部屋の中にはあんなのいなかったぞ’

 ”ここは『カソウゲンジツ』で、あれはまぁ『登場人物』みたいなものね”

 ’へぇ?’

 感心したように応えたドドットは、背後の更衣室のドアを開け、中を覗き込んだ。 中には緑色で半透明の裸体のスライムタンズが数人いて、白衣に腕を

通しているところだった。 ドドットとスライムタンズの目が合い、双方が一瞬固まる。

 ”すけべ!” ”覗クナ!”

 スライムタンズに白衣や靴を投げつけられ、ドドットは慌てて更衣室のドアを閉める。 すぐにドアが開き、今度は白衣姿の男女がぞろぞろと出てきて、舌を

出しながらドドットの脇を抜けていった。

 ’えーと……あれ?’

 ドドットが指さした男女見て、エミが頷いた。

 ”そ、『仮装現実』”

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