ヌル

間章 ドドット(2)


 「手間をかけさせないで、ドドット」

 「ふ、ふざけるな! なんだこいつらは!!」

 逃げ出したドドットは、緑色のツタに絡めとられてエミとスータチャンの前に引き戻された。

 「だから、ミトラの知識の源の一つよ」

 「そんなことを聞いているんじゃない! なんでこんな人里近い場所に魔物が群れているんだ!」

 「いろいろと理由があるのよ。 あ、危険はないから安心して。 この子たちは、植物から精気を吸って生きているから、人は襲わないわ」

 エミが話している間に、ドドットはツタから解放されていた。 このツタもスライムタンズの一部らしい。

 「本当だろうな? しかし……」

 ドドットはあたりをぐるりと見渡し、不安そうに首をすくめた。 何しろ見渡す限りの森の木に、緑色をした粘体がへばりつき、その表面にレリーフの様に

女体が浮き出ている。

 「何体いるんだ? そのスライムタンズは」

 「一人……いえ、スーチャンとスライムタンズで合わせて二人よ」

 「何?」

 「スライムタンズは複数の魔物に見えるけど、実はスライムタンズ・リーダーを中心にした一人のスライム・レディ。 大勢いるように見えても一人と勘定

するのが正しいのよ」

 「一人……し、しかし、いっぱいいるように見えるぞ。 あれを別々に勘定したら、何体いるんだ?」

 「およそ1,000人……かしら」

 ドドットは黙ったまま、もう一度あたりを見回した。 透明で緑色の無数の女体がじっとこちらを見ている様は背筋が寒くなるものがあった。


 「こいつらが害はないとしてだ。 知識の源というのはどういうことだ? 森の賢者と言っていたが……」 ドドットは、赤いマントのスライム少女に視線を

向ける。

 「この子たちはね、ミトラ教が生まれる前から生きているのよ」

 「へぇ。 ずいぶん長生きなんだぁ。 じゃあ『ヌル』のことは、こいつらから聞いたのか」

 「……いいえ。 私はヌルの事は知っていたのよ。 そしてこの子たちは、ヌルの番をしていたの」

 「何? なんだって?」

 「ヌルはね、あそこにいたのよ……ヌル伯爵邸の地下にね」

 ドドットは驚いた様子でエミを見る。 愁いを帯びた切れ長の目が、悲しそうにドドットを見返していた、

 「なに? そんな危険な場所に伯爵邸が建って……まて、あんたは知っていたと、番をしていたと言ったなヌルのことを」

 ドドットの表情が驚きから怒りへと変わっていく。

 「どういうことだ? あんたは知っていたながら、ヌルを放置していたのか!」

 エミは黙っている。 ドドットは地面を乱暴に蹴って、その場にしゃがみこんだ。

 「それで、どうやってヌルを退治するんだ?」

 「退治はしないわ……いいえそうじゃなくて……ヌルを助けないと」

 ドドットは目をむいて立ち上がる。

 「なんだって?」

 「ヌルを助けるのよ。 お願い、手を貸して」

 ドドットは驚愕と憤りのごちゃ混ぜになった表情で固まってしまった。 エミはかまわず続ける。

 「セバスチョンが館に戻って伯爵夫人たちと遭遇すれば、すぐにヌルの事は村や港、教会の知る処になる。 そうなれば、教会主導で討伐隊が派遣され、

ヌルは退治されてしまう」

 ドドットは黙ったままゆっくりと立ち上がる。 彼の顔を見つめたままエミは続けた。

 「ヌルにはたいした力はないのよ。 館に火でもかけられたらひとたまりもないのよ」

 ドドットは腕組みをしてエミを見ている。

 「伯爵夫人も、ルウもみんな殺される。 それを止めないと」

 「……気の毒だが、やむを得ないだろう。 それとも人に戻す方法を知っているのか?」

 エミは首を横に振った。

 「……では仕方がない。 ほっておけば新しい犠牲者が出るだけだ」

 「魔物は人ではないから殺してかまわないと言うの? 共存している魔物もいるでしょう」

 「あんたが言ったな、ヌルは男を溶かして吸い尽くすと。 そんな魔物と共存しろと?」

 ドドットはエミに背を向けた。

 「命を救ってくれたことには礼を言う。 しかし、あんたがヌルの事を明らかにしていれば、伯爵夫人たちがヌルになってしまうことはなかったんだ」

 ドドットはその場を離れようと足を踏み出した。

 「待って、ドドット。 ヌルを殺すことは、大勢の人間を殺すのと同じ事になるのよ」

 「なんだって?」 ドドットは振り返った。

 「どういう意味だ?」

 「簡単には説明できないわ……仕方がない、一緒に来て。 見てもらいたいものがあるわ」

 「……どこへ?」

 「場所はここでいいの」

 「は?」


 ドドットが首をかしげていると、エミは何やらスーチャンに話をしている。 スーチャンは大きくうなずくと、その場に座り込んだ。 すると彼女の赤いマントが

薄い光を放ちだした。 光は襟元からマントの裾へと波の様に広がり、マントの裾から伸びるツタへと伝わり、さらに森へと広がっていく。

 「……お、おい!?」

 突然、木々に張り付いていた緑色の粘体が地面に向けて流れ落ち始めた。 あちこちの木から流れ落ちた粘体がも地上で次々につながり、大きな塊と

なって押し寄せてくる。

 「心配しないで、私も行くから」

 ドドットにエミが歩み寄った。 そのころには、塊となったスライムタンズがあたりを取り巻き、もはや逃げるすべはなくなっていた。

 「い、行くってどこへだ?」

 「過去へ」

 エミの言葉を理解する前に、スライムタンズが二人のもとへと押し寄せてきた。 一塊になった様に見えだが、近くまで来ると表面には女の顔や、乳房、

腕などが無数に蠢いている。

 「……行先はあの世じゃないだろうな」

 呟くドドットの眼前に、スライムタンズの顔が迫るり、いくつもの腕が彼を優しく捕まえ、乳房があたりを埋め尽くす。

 (……ヌルに喰われた連中もこんな思いをしたのか)

 視界を緑色の粘体が埋め尽くす。 ドドットは、横目でエミが自分と同じようにスライムタンズに捕まえられるのを見た。 そして次の瞬間、彼は緑色の

女体の中に沈んでいく様な錯覚を覚え、意識を失った。

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