ヌル

第三章 ルウ(5)


 ”来た……”

 ”来ました……”

 ”皆、静かになさい……”


 ドドットとルウが扉をくぐると、そこに階段があった。 足元に注意しつつ階段を下ると、湯気の立ち込める空間に出た。 地下なのに随分と明るい。

 「明るいな……ここはなんだい?」 ドドットが傍らのルウに尋ねる。

 「判りません。 館の地下にこんなところがあったなんて……」 困惑した様子でルウが応えた。

 ピチャーン……ピチャーン……

 四方から水音がし、それが響いているところからして、相当広い空間だとドドットは判断した。

 「地下にこんな広い場所があるとは……あのプレートから考えると、ミトラ教会の古い施設だろうか……」

 ドドットのつぶやきを耳にしたルウがドドットのほうを見て首をかしげた。

 「教会の古い施設?……なんですか、それは?」

 「思い当たるものがあるわけではないが……地下の共同墓地とか」

 「墓地にしては立派すぎます。 見てくださいこの床」

 ルウがしゃがんで床を撫でてみせた。

 「ここ、タイル張りですよ」

 ドドットが目を剥いた。

 「た、タイル張り!?」

 ドドットも屈んで床を撫で、ルウの言ったとおりであることを確かめた。

 「タイルなんて都の教会ぐらいでしかお目にかかったことはないぞ。 なんで地方領主の館の地下に、そんな豪華な設備があるんだ?」

 「僕に聞かれても……ただ、ここは墓地ではなさそうですね」

 ルウの言葉にドドットは頷いた。

 「そうだな……じゃぁここは……」

 ”ここは、『ヌルの湯殿』ですよ……”

 湯気の向こうから、女の声が響いてきた。 ドドットは素早く立ち上がって腰の短剣に手をかける。

 「ドドットさん!?」

 ルウがドドットの腕をつかんだ。

 「今の声は……」

 「奥様……ですね」

 声のした方を見つめるドドットとルウ。 その視線が払ったかのように湯気が渦を巻いて晴れていく。

 「な!」

 「こいつは……」

 湯気の晴れた先は巨大な湯殿があり、ルウとドドット以外の館の全員がそこにいた。 一糸まとわぬ姿で湯殿に体を浸し、思い思いの姿勢で互いの体を

絡ませ、一つの生き物であるかのようにゆったりと動きながら。


 湯殿の中央にいる伯爵夫人が、二人に微笑みかけた。

 ”ようこそ、ミスター・ドドット……”

 ”よくきたわ、ルウ……”

 声がこもって聞こえるのは、熱い湯気と反響のせいだろう。 ドドットは伯爵夫人と周りのメイドたちを注意深く観察しながら問いかける。

 「伯爵夫人様、お楽しみのところ、礼を失した旨をお詫びいたします。 非礼を招致で申し上げますが、少々お楽しみがすぎているご様子ですが?」

 ドドットの視線は、伯爵夫人を抱いている……というより夫人に抱かれているヌル伯爵に向けられている。 ドドットの視線を追ったルウは、伯爵の姿に

慄然とした。

 「は、伯爵様?」

 伯爵はげっそりとやせこけ……を通り越し、骨と皮だけの、ほとんど発掘したてのミイラの様な姿になっていた。 到底生きているとは思えぬ伯爵だが、

伯爵夫人の豊満な肉体にしがみついて、ゆっくりと動いている。

 「ドドットさん、伯爵様はどうしたんですか」

 「どうかしたのは伯爵様ではなくて奥様の方だろう。 それにどうやらメイドさん達も同じことになっているようですが」

 鋭い視線を投げつけるドドットに、伯爵夫人はただ微笑んむのみ。

 「魔物に取りつかれたか、魔物が化けているのかわからないが、あそこにいるのは人の精を絞りつくす化け物だ」

 「そ、そんな……じゃあダニーとボブは? あそこには二人の姿がないんですけど」

 「早々と……そうだな」

 怒りを込めたドドットの視線を微笑みで受け流した伯爵夫人は、左手の方を指し示した。 ドドットとルウは伯爵夫人の示したほうへと視線を移し、そこに

館の住人以外の姿を見つけた。

 「ルウくん、あそこで絡み合っている若い女の子達はメイドさんか? 顔を見た記憶がないが」

 「いえ、僕もみた事が……でもどこかで見たような気も……」

 困惑する二人に、伯爵夫人が正解を教えてくれる。

 ”あれがダニーとボブ……可愛くなったでしょう……”

 『……!?』

 ドドットとルウは揃って目を見開き、続いて伯爵夫人に向き直った。

 「あれがダニーとボブだと!」

 「ふ、二人を女の子に!?」

 伯爵夫人は、微笑みを絶やさぬまま頷いた。 その微笑みにドドットは背筋が寒くなり、ルウは思わずドドットにつがみついた。

 ”あらあら……怖がらせてしまいましたか……それは本意ではないのですが……”

 「な、なにをぬかしやがる!」

 ここに至って、ドドットの怒りは頂点に達していた。

 「旦那の精を吸い尽くし、子供の体を弄びやがって、てめえはどこの魔物だ! 伯爵夫人に取りついたのか? 化けているのか? 応えろ!」

 ”私たちは殿方の精を吸い尽くすわけでも、男の子を弄ぶわけでもありませんよ……”

 ”奥様のおっしゃるとおりです……”

 ”私達は……”

 ”私達は……”

 ”『ヌル』なのです……”

 「『ヌル』?」

 「『ヌル』……ドドットさん、『ヌル』ってなんです?」

 ルウがドドットに尋ねたが、あいにくドドットも答えを持っていない。

 「……知らん」

 「……では、魔物の名前を聞いても意味がなかったですね」

 「……すまん」

 ドドットはルウに応えながら、じりじりと後ずさりし始めた。 

 (館の人間は……そうでないやつも含めてあそこに全員いる……俺とルウくんだけでは伯爵を救い出すのは無理だ……ここはルウくんを連れて逃げる

しかない)

 足先でルウの足をつついて合図し、気づかれないように下がっていくドドットとルウ。 しかし……

 モワッ……

 突然、目に見えない熱気……というより生暖かい風が二人を包み込んだ。

 「むっ?」

 「えっ?」

 ルウとドドットの体が重くなり、二人はそのばにがっくりと膝をついた。

 ”そんなに慌てなくても……じっくりとお話をしましょう……ね……”

 艶然と微笑む伯爵夫人の周りで、メイドたちがお湯を滴らせながらゆっくりと立ち上がり、こちらを見た。

 「ひ!」

 メイドたちは微笑んでいた、伯爵夫人と同じように艶然と。 

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