ヌル

第三章 ルウ(3)


 ルウとドドットは従者の居室を後にし、足を忍ばせて館の廊下を進んだ。

 「ドドットさん……」 小声でルウが背後のドドットに声をかけた。

 「なんだ」

 「僕たち……怪しくないですか」

 言われたドドットは自分たちの姿を想像してみた。 人が寝静まった領主の館を、少年と大人が辺りを伺いながら

忍び足で歩いている。 怪しいと言うか、可笑しいというか、あまり人には見せられない光景だろう。

 「そうだな。 人に見られないようにしよう」

 「ええ……あ、ここからがメイドさん達の部屋です」

 「そうか」

 「空き部屋もあったはずですから、そこにいると思います」

 ドドットは頷くと、ルウに従ってそろそろと進む。 さほど進まぬうちに、ルウが立ち止まった。

 「確か……ここからは空き部屋のはずです」

 「よし」

 ドドットは、扉の向こうを伺いながら、そっとドアを開いた。


 「いなかったな」

 「はい……」

 どの空き部屋にも人はおらず、使われた形跡もなかった。 しょげかえるルウをドドットは励ます。

 「気にするな。 他の部屋にいるんだろう」

 「でも、他に心当たりがありません」

 広い館に少年が二人だ。 隠すつもりならいくらでも隠しようがあるだろう。 しかし病で寝かせているとなると、

部屋は限られるはずだ。

 「どこか館の外に……」

 「それなら、俺たち護衛が知らないはずはない」

 黙り込んだドドットを見て、ルウが不安そうに聞いた。

 「あの……なぜセリアさんに尋ねてはいけないのでしょうか?」

 ドドットは首を横に振った。

 「はっきりした事はわからんが……こう、引っかかるんだいろいろと

 「?」

 「しばらく館を留守にしていたのは、伯爵閣下、執事のセバスチョン、そして君たち三人の少年従者だ」

 「貴方たち護衛の方々は?」

 「俺たちは館の住人じゃない。 しかし、一緒に館に来たという点では同じだ」

 「ええ」

 「そのうち様子がおかしくなったのは、伯爵閣下と護衛の仲間達。 姿を消したのは君の同僚二人、用事を言い

つけられて館を離れた執事セバスチョン。 残っているのは君と俺だけだ」

 「……」

 ルウは困惑していた。 ドドットが何を言いたいのかよくわからないが、そうして並べられてみると、何やら不安に

なってくる。

 「あの……それって……」

 「つまるところ、館の女たちが何かしているんじゃないかと……」

 「そんな!! 奥様も、セリアさんたちもそんなことをする人たちじゃありません!!」

 「声が大きい」

 ルウを制しながら。ドドットは続ける。

 「伯爵が狙われていたから、俺たちが護衛についたわけだが……たとえばだなぁ……館で留守番をしていた

奥様やメイドさん達が……脅されているとか。 メイドさん達には家族もいるんだろう?」

 「近くの村や街にいます」

 「その人たちを人質取られて……」

 「奥様達のご様子からはその様な感じはしませんが……第一、奥様が急に歩ける様になった事との関連性が

ないじゃないですか」

 「うーん……」

 今度はドドットが唸っている。 怪しい点はいくつもあるのだが、ルウの言う通り筋の通った説明が思いつかない。

 「判りました。 僕がセリアさんにダニーとボブの居場所を確認します」 

 「お、おい……それで彼女に警戒されたら」

 「されるわけがありません。 僕は同僚の身を案じて、お見舞いするだけです。 当たり前のことだと思いますが」

 ドドットはぐうの音も出なかった。 その間にルウはすたすたと廊下を歩いて行き、セリアの居室をノックした。

 「夜分にすみません、セリアさん。 どうしてもボブ達のことが気がかりで……セリアさん?」

 「どうした?」

 「部屋にいないようです……この時間なら、もう部屋に戻っていると思ったのですが」

 「他の人に尋ねてみるか」

 ドドットとルウは手分けしてメイドたちの居室を回り、全員が部屋にいないことを確認することになった。

 「変です……この時間なら何人かは部屋で休んでいるはずで……」

 「ああ、それだけじゃない」

 ドドットが険しい顔で耳を澄ませている。

 「どうにも館の中が静かすぎる……」

 言われてルウも耳を澄ませた。 耳が痛くなるような静寂が館の仲を満たしている。


 ァ……


 「?」

 「む?」

 ルウとドドットが揃って耳に手を当てた。 そのまま首をめぐらして、闇の向こうを伺う。


 ァ……


 「声……か?」

 「階下の様です」

 二人は頷きあうと、足音を忍ばせて下に降りた。 そして、耳を澄ませて『声』の出所を探った。


 「ここか?」

 「ここですね」

 二人がたどり着いたのは、地下室の入り口だった。


 ァ……


 恐ろしく微かな声が、下からしている。

 「館の中が静かでなけりゃ、とても聞こえなかったな」

 二人は地下室へと降りていった。


 「これは……」

 「なんだこれは?」

 地下室へ降りた二人は、すぐにボブが見つけた『ないはずの扉』に気が付いた。 ドドットが目でルウに問い

かけたが、ルウは黙って首を横に振る。

 「ふむ……」

 ドドットは扉の表面を手で撫でてみた。 扉の端まで撫でたとき、その壁に汚れたプレートの様な物が張り付け

てあるのに気が付いた。 何の気なしにプレートの汚れを払ってみると、文字らしきものが書いてある。

 「古字だな……まどのみち俺には読めんが」

 「僕は少しなら……ミ……テ?……いや、ミ……ト……ラ?」

 「え?」

 「『ミトラ』……そう読めます」

 『ミトラ』、それはドドットにこの仕事を命じたシスター・エミが所属する教会の名前だった。

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