ヌル

第三章 ルウ(1)


 「夕べも何事もなし……か?」

 ドドットは夜番に聞こえないように呟いた。 他の護衛たちもそうだが、夜番の二人はやつれているように見えるが、血色はいい。

 「うーむ」

 彼らがヌル伯爵家の警備についてから、かれこれ七日は過ぎている。 囮を務めたシスター・エミ達のクルーザーはまだ港に

ついていないらしい。 いくらなんでも遅すぎる。

 「まさか……『海賊』に?」

 『海賊』に見せかけた襲撃者が、帰途についたヌル伯爵を襲うと予想し、シスター・エミが囮の船で出航したのだ。 襲撃に対

する防備はしていたはずだが、襲撃の規模が予想以上であれば反対にやられることもあり得た。

 「無事でいてくれよ」

 浮かない顔で屋敷の内外を見回っていたドドットは、廊下で少年従者のルウとぶつかりかけ、慌てて謝る。

 「おっと、すまない」

 「いえ、僕のほうこそすみません……」

 少年は暗い顔で頭を下げると、ドドットと反対方向に歩いて行く。 ドドットは彼の表情が気になり、後を追って声をかけた。

 「どうした? 心配事か?」

 「いえ……あ、はい」

 ルウは顔を上げて、ドドット正面から見た。 金髪に緑色の瞳がドドットを見据える。

 「実は、僕の同僚……伯爵閣下に従事する者が二名、病で伏せっているんです」

 「そいつは心配だな。 重いのか?」

 ルウは首を横に振った。

 「セリアさん……いえ、メイド長は心配するような病気ではないと。 ただ、うつるといけないので奥の部屋で休ませていると」

 「そうか……まそれなら仕方がないか」

 ドドットはルウの肩を叩いて慰めた。 すると、ルウは深刻な顔でドドットを見返した。

 「ええ、ただ別の事が気になって」

 「なに?」

 ドトットが首をかしげると、ルウは左右を見て人が居ないのを確かめる。

 「後で、僕たちの部屋に来てください」

 それだけ言うと、ルウは足早に去っていった。 ドドットは、やや呆気にとられて彼を見送ったが、僅かに首を振り、見回りの

仕事に戻った。


 「やーっと……港についた……」

 『おー……』

 その頃、シスター・エミ一行を乗せたクルーザーは、ようやく港が見える位置までやってきた。 しかし……

 ドーン!!

 港の出入り口に設営されている防塁から、なんと砲弾が飛んでくるではないか。

 「わわわ!!」

 「帆を下ろせ!! フラッグを上げて、敵意のないことを示せ!!」

 船長の指示で、クルーザーは防塁の射程外で停止し、マストに信号用の旗を掲げる。

 「どーして砲撃されるんだ」

 「あれじゃねぇのか」

 「あれか?」

 「やっぱあれだろう」

 船員たちがクルーザーの後ろを見る。 そこには彼らが鹵獲した海賊船が、クルーザに曳航されている。 それだけではない。

彼らが戦ったウミヘビ娘たちが甲板の上にとぐろを巻いていたり、船べりから海に飛び込んだりしている。 これを見た港の防塁が

海賊とウミヘビ娘がクルーザーを占拠し、攻めてきたと思ったらしい。

 「海賊はともかく、こいつらを連れてきたのはまずかったんじゃ?」

 「いろいろと誤解があったらしいから、港の管理者と話し合いの為に連れて行くってシスターのお達しだそうで」

 「先に港に連絡すればよかったんじゃねえのか?」

 「どーやって、文を運ぶ『鳥』は全部飛ばしちまったらしいし……お、砲撃がやんだぞ」

 砲撃と入れ替わりに港の警備兵を乗せた船が三隻、クルーザーに近づいてきた。 それを見た船長が碇を下ろすように指示を

出す。

 「シスターとル・トール卿を甲板にお呼びしろ」

 船長が言うのと同時に、シスター・エミが甲板に上がってきた。

 「船長?」

 「取りあえず攻撃はやみました。 まもなく港の警備責任者が本船に乗船し、私は後ろの船と、同乗しているお嬢さんたちの

説明をしなければなりません。 ご同席願えますか」

 「喜んで」

 エミはげっそりした顔で応じた。

 「ありがとうございます……ル・トール卿は如何されました?」

 「船酔いだそうです」

 そうエミえが言うと、船内への乗降口から唸り声とも呪いの叫びともつかない恐ろし気な声が聞こえてきた。

 「ははあ……」

 船長は憮然とした顔で頷いた。


 「『船が到着、但し港外で臨検が行われる為、入港予定は未定』……どういうことだ?」

 「私に聞かれても……」

 港のセバスチョンからの連絡は、村の教会の使用人によってヌル伯爵の館に伝えられた。 館の事務を行う従者や執事の手が

足りなくなっていたので、護衛が訪問者の取次ぎを行う事になり、クルーザー到着の報はドドットが受け取ることになった。

 (まぁいい、とにかく船が港に着いたんだ。 ここを引き払う準備をはじめた方がいいだろう)

 ドドットは、他の護衛に玄関の詰め所をまかせると、館の中の執務室に入った。 そこではルウが一人で書き物をしていた。

 「おう、君か」

 ノックをして入ってきたドドットにルウが頭を下げる。 ドドットはルウにセバスチョンからの報告を伝えた。

 「船は無事ついたんですね」

 「一応無事らしいがな、臨検される理由がわからねぇが。 ま、そういうことだから、俺たちも直にここを引き払うことになる」

 「そうですか……」

 ルウが寂しそうな顔になったので、ドドットは笑顔を見せて、彼の肩を叩く。

 「あと三日ぐらいはいると思う。 その間なら相談事は受けるさ。 後でな」

 ドドットはそう言うと、執務室を後にした。 ドドットが去ると、ルウはセバスチョンの報告を添えて、ヌル伯爵に船の到着を知らせ

に行った。


 ”三日……”

 ”では急がないと……” 

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