ヌル

第ニ章 伯爵(13)


 朝が来た。 ルウ達、少年従者はメイドと役割が違うが、朝が早いのは変わらない。

 「ルウ……朝……」

 「うん……ボブ……ボブ?」

 ルウはベッドから起き上がってボブのベッドに目をやる。 空だ。

 「ダニー、ボブがいない」

 「ええー?」

 ダニーがびっくりした顔で飛び起きて、ボブのベッドを見る。 ボブが寝ていたはずのベッドは、毛布がきちんとたたまれて整え

られている。

 「もう起きたのか?」

 「何か御用を言いつかっていたのかなぁ?」

 ルウとダニーは顔を見合わせた。 伯爵の御用を言いつかっていれば、先に起きて出かけることも不思議ではない。

 「セリアさんに聞いてみよう」

 「うん」

 少年従者のルウとダニーは寝台から飛び起きると身支度を整え、台所に向かう。

 『おはようございます』

 二人は挨拶をして台所に入った。 湯気の香り立つ台所で、料理番のメイド達が忙しく働いている。

 『おはよう』

 日が昇る直前の時間だが、メイド達は元気に働いている。

 「あの、セリアさんはどちらに?」 ルウが台所の中を見渡した。

 「んー?……ああ、ボブのことね」

 近くでスープの味を確かめていたミリが、ルウの疑問を先取りする。

 「知っているんですか? 今朝起きたらボブがベッドにいなくて……」

 「ええ、知ってるわ。 昨夜ボブが熱を出したのよ」

 ミリが背中を見せたまま答える。

 『ええー!』

 ルウとダニーが驚きの声を上げ、台所にきれいに揃ったボーイソプラノが響く。

 「夜中に気分が悪くなって廊下に出たたところで、セリアさんが気が付いて介抱していたのよ」

 「だ、大丈夫なんですか?」

 「大丈夫らしいけど、うつる病気だといけないから空き部屋に寝かせているの」

 「え?……ああそうか。 セバスチョンさんがいないから」

 執事のセバスチョンは、子爵家付のドクターでもある。 伯爵の都訪問に同道したのは、夫人の具合が良好だったからだ。

 「そう、だからお見舞いに行っちゃだめよ」

 『はい』

 二人は台所を抜けて、奥の扉から使用人用の食堂に入った。

 「ふ……」

 二人を見送ったミリは、スープの小皿を舐めながら薄く笑った。

 「おいしそう……」


 「ふぁぁっと……」

 使用人用の食堂には、夜番を終えたドドットが朝食をとっていた。 そこにルウ達が入って来て、ドドットに礼儀正しく挨拶した。

 『おはようございます』

 「おうおはよう」

 ドドットは片手をあげて応える。

 「早いんですね」

 「いや、夜番だったんだ。 これから昼過ぎまで寝るよ」

 そう言うとドドットは、ぐいっとミルクのジョッキを開ける。

 「夜番……ご苦労様です。 そうだ、昨夜ボブが気分が悪くなって、廊下に出たらしいんですけど」

 「なに? そうなのか」

 「はい、セリアさんが見つけて介抱してくれたらしいんですが」

 「そうか……俺たちは、二人で玄関脇の詰所に居て、時々中を見回ったが気が付かなかったなぁ」

 「そうですか、見回りの合間だったんですね」

 「そうかもしれんが……まずいな」

 「?」

 「いや、屋敷の中の出来事に気が付かないようでは、夜番失格だな。 今夜の夜番に申し送って、十分注意するようにしよう」

 「そうですか……大変なんですね」

 「仕事だからな。 君らもそうだろう?」

 「はい」

 ルウ達の変事に笑顔を返すと、ドドットは食器を片づけて台所に持っていった。


 昼過ぎになって、セバスチョンからの文を使いの者が届けに来た。

 『教会のクルーザーは、岩礁に棲みついた魔物との交戦が続き、入港が遅れる見込みとなりました。 クルーザーの入港を

知らせるように手配し、私は館に戻りたいと存じますが如何いたしましょうか』

 セバスチョンの文を改めた伯爵は、使いの者をしばし待たせて返事をしたためる。

 『もう一つの件があるので、君は引き続きクルーザーの入港を待ち、結果を確認して欲しい』

 文を封蝋で閉じると、使いの者に渡し、セバスチョンに届けるように依頼した。

 「執事のじーさんを港に張り付けるのはなんでだ?」 護衛の一人が疑問を口に出した。

 「『海賊』の件がある」 ドドットは声を落として応える 「身内の名前が出てくるかもしれないから、関係者以外を関わらせたく

ないんだろう」

 「そういうもんかね」

 ドドット以外の護衛は、その事には興味がないようだ。

 「まあいいか。 こんな仕事ならいつまでだって大歓迎だ」

 あご、やね、あったかいねどこ付で、賃金は教会の保証付となればこれ以上ない待遇だ。 しかしドドットは、金払いがいい

仕事は、責任もリスクも高いことを知っている。

 「油断するなよ。 『海賊』のスポンサーは伯爵襲撃が不発に終わったのをもう知っているし、クルーザーが港に着いて取り

調べを受ければ、今度は自分の身が危うくなる事もわかっているはずだ」

 「ということは?」

 「その前に伯爵様の命を狙う可能性があるということだ。 その身分を手に入れれば、少々不利な証拠があってもどうとでも

なると考える輩は多いからな」

 「ふーん」

 「しかしよう、移動中ならともかく、館にこもった伯爵様の命を狙うとなれば簡単にはいかないんじゃねえか? ここを襲うとし

たら、10人、いや20人は必要だろうよ」

 「うーむ」

 ドドットは考え込んだ。 伯爵に館の護衛を頼まれたので、外部からの侵入ばかり警戒していたが、襲う方の立場になって

考えてみると別の手を模索するかもしれない。

 「襲撃以外の手段で、伯爵様を害する方法があるか?」

 「そうだな。 大勢じゃなくて一人で忍び込むとか」

 「寝所の前に護衛がいるぞ」

 「直接狙わなくても、食糧や酒に毒を入れるとか」

 「毒見ぐらいメイドがするだろうし、伯爵が何を食べるかわかるまい」

 「そのメイドが毒を入れたら?」

 「何?」

 ドドットがぎょっとする。

 「雇われているということは、給金をもらって働くということだろう。 大金を積まれたら、毒を入れるぐらいやるんじゃねぇか? 

まあ思い付きだがよ」

 「うーん」

 ドドットは額に汗を浮かべて唸った。 地方の領主は、そこの住民から使用人を雇うことが多いので、身元ははっきりしている。 

しかし、絶対信用できるかとなると保証の限りではない。

 「その誰かさんは、新しい領主になれる人間なんだろ。 だったらこのあたりの人間にも顔が利くんじゃねえか」

 もっともな話だ。 しかし、館内部の人間を疑い出すときりがないし、館の生活に支障をきたす。 そして何より

 「……その考えで行くと、館の中で一番疑わしいのは俺たちだぞ」

 「……それもそうだな」

 ドドットと護衛たちは、顔を見合わせて苦笑する。

 「仕方がない、外に対しては今までどおりの警備として、内についてはメイド達に今まで以上に注意しよう」

 「うむ」

 「寝物語にいろいろ聞いてみるか」

 「しかし聞く余裕があるか?」

 「ああ、すごいからなぁ。 途中から意識が飛んでるみたいだ」

 「おまえらなぁ……」

 ドドットは深い溜息を吐いた。 

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