ヌル

第ニ章 伯爵(6)


 「んーよく寝た……」

 翌朝、ドドットはすがすがしい目覚めを迎えた。 うまい食事の後、久々のベッドでたっぷり寝て最高の気分で目覚めたのだ

から、他に言うことはない。

 「さて、名残惜しいがお暇の用意をしないとな……」

 一言呟くと、さしてない荷物をまとめにかかった。


 「お前らなぁ……」

 ドドットの顔に、呆れと怒りが交互に走る。 夜が明けてみたら、彼以外の護衛五人の三人が、昨夜の『一戦』で腰が立たなく

なっていると言うのだ。

 「いやもう……」

 「あんなすごいのは……」

 「……」

 二人は息も絶え絶えで、残る一人は魂でも抜かれたかのように呆けている。

 「一晩だけでか……」 ドドットは唸り声を上げた。

 「護衛だの用心棒だのは体力だけが取り柄だろうが。 それを、お上品なメイドさんにお相手願って腰が抜けただと!? 情け

ない……」

 額を抑えたドドットは、残る二人に顔を向けた。 

 「そっちは元気なんだな?」

 「ああ、もっとも疲れすぎてな、ベッドに入ったらもう瞼が重くって」

 「メイドさんに添い寝だけしてもらったんだが」

 ドドットは首を振って天を仰いだ。

 「自分たちで夜伽を頼んでいて、その体たらくか……」

 肩を落としたドドットは、へたり込んでいる仲間に手を貸して、朝食をとるために食堂に向かった。


 「伯爵閣下?」

 「……」

 「伯爵閣下?

 「……あ、ああすまん。 少し疲れが出たようだ」

 異例のことだが、ここまで同行してくれた護衛をねぎらいたいと、伯爵は護衛達を朝食の席に同席させていた。 恐縮したドド

ットだったが、食事をとるうちに伯爵が疲れた様子なのに気がついた。

 「大丈夫ですか? 昨日はそれほど疲れているようには見えませんでしたが」

 「いや、お気遣いありがとう」

 伯爵は笑顔を見せてグラスを掲げ、改めて護衛達への礼を述べた。

 「ところで君たちこそ大丈夫かね。 そちらの彼は具合が良くないようだが」

 伯爵の視線の先には呆けたようなティンガがいた。 ドドットは、腹の中でティンガをどつきまわしながら伯爵に応える。

 「お気遣いなく、ここまで気を張ってきたのが一気に緩んでしまっただけです、お恥ずかしい限りですが」

 「とんでもない。 君たちにそこまでしてもらった私の方が礼を言うべきだろう」

 伯爵がドドットに言うと、横に座っていた伯爵夫人が、夫に何やら耳打ちした。 伯爵は少し考えていたが、小さく頷いてベルを

鳴らした。 わずかの間をおいて、セバスチョンが食堂に入ってくる。

 「お呼びですか」

 「うむ、すまないが港のミトラ教会まで用を頼まれてくれるか? 私たちが乗るはずだった船の到着を確かめてほしいのだ」

 伯爵の指示を聞いて、ドドットは口を挟みかけたが、伯爵は笑顔で彼を制するとセバスチョンに細かな指示を与え、退席させた。

 「伯爵閣下? 先ほどの要件ならば、我々が港に行くついでに引き受けましたものを」

 セバスチョンが出ていくと、ドドットが伯爵に言った。

 「そのことだが、君たちが港に行っても船が到着していなければ、次の仕事はないのではないかね」

 「それはそうですが」

 ドドット達の伯爵護衛とエミ達の航海は、教会の書類上は同じ仕事になっていた。 ドドット達が港についてもエミ達が到着して

いなければ、彼らは港で待機しなければならない。

 「であればだ、船が到着してから港に向かうことにして、それまでここに滞在してはどうかね。 港までは歩いて一日半かかるが

船の方も到着して、すぐ次の目的地に出航とはならないだろうし」

 「それはそうかもしれませんが」

 「それに館に着いたからと言って、護衛の必要性がなくなったわけではない。 都にいる間に館の警備を手配したが、到着する

まで少々日数がかかりそうなのだ。 近くの村から人を雇ってもいいが、それよりは君たちの方が頼りになりそうだ。 船が付く

までここにいてくれないかね」

 ドドットは、伯爵の提案について思案する。 伯爵が無事館に着いたところで仕事は終わりのはずだが、船の一行と合流する

まで次の仕事はないはずだ。 港で待ってもいいが、その場合は教会関係の施設に寝泊まりすることになるだろう。 無料で宿

泊できるが、その分粗末な場所だし、待機中の護衛や用心棒にとっては居心地のいい場所ではない。

 「そうですか、申し訳ない気もしますが。 ここはお言葉に甘えさせていただきます」

 『お世話になり……いえ、お世話を務めさせていただきます』

 他の護衛たちは本音を言いそうになってドドットに睨まれ、慌てて言葉を修正した。

 「それではよろしく頼む」

 伯爵が言うと、夫人がメイドを呼んで何か言いつけた。 メイドはにこやかにほほ笑むと、ドドット達に一礼して退室する。

 「よう、ドドット。 あの子あんたに気があるんじゃねぇか」

 無遠慮な言葉にドドットは冷徹な睨みで応じて、伯爵に視線を戻す。

 (?)

 伯爵は深々と椅子に腰かけ、夫人が夫にスープを食べさせている。

 (なんだか……妙だな?)

 じーっと二人を見ていると、先ほどのメイドがドドットの脇に来て、おかわりを尋ねた。

 「あ、いやもう結構です」

 彼がメイドに返事をしている間に食事を終えた伯爵は、夫人とともに退室していた。

 ドドットは主のいなくなった椅子を見ていたが、やがてメイドに礼を言うと立ち上がった。

 「よう、どこに行くんだ」

 「仕事だ。 館を一回りしてくる」

 「……お、おれも」

 「足腰が立たない奴が何を言う、お前らはできるだけ早く体を治せ」

 無情に言い放ち、ドドットは席を立つ。

 「ご案内します」

 食堂を出ようとするドドットに先ほどのメイドが近寄ってきた。

 「私、ネリスと言います」

 「ありがたいが、仕事があるのでは?」

 「お客様の案内をするのも、私どもの仕事です」

 「そ、そうですか」

 断る理由もないので、ドドットはネリスに案内してもらうことにした。 食堂から出ていくドドットに、ネリスがぴったりと寄り添う。

 「も、もう少し離れた方が」

 「あら? 女性はお嫌いですか?」

 「そうではありませんが……」

 「うふ、頼りにしていますよ」

 笑いながらドドットを案内する少女に、ドドットは何か引っかかるもの感じていた。

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