ヌル

第ニ章 伯爵(3)


 エミが船出をしてから10と5日の後、ヌル伯爵一行はすでに伯爵領内を旅しており、明日には館に着くところまで

来ていた。

バッコ、バッコ、バッコ……

 バ車を引くババの足音を後に残しつつ、一行は『のどか』の一言を絵にしたような旅を続けている。

 「伯爵様、急げば宵の口には館に着くでしょう。 歩を早めますか?」

 手綱を操っている護衛が、御者席から聞いた。 一行はバ車三台で移動しており、徒歩の者はいない。 

 「いや、着くのは明日と館に伝えてある。 無理に急いでも、館の者が慌てるだけだろう」

 「なるほど。 そういうものですか」

 護衛は正面に向き直り、バ車の操縦に専念する。

 「時に、君……えーとなんと言ったかね」

 「ドドットです、閣下」

 ドドットと名乗った護衛の背はたくましく、御者台が狭く見えるほどだった。 その背を見ながら伯爵はさらに声を

かけた。

 「君達は私の護衛が終わったらどうするのだ? 都に戻るのかね」

 「そいつは……まだはっきりと決まっていませんが……港に行って例の『歌で船を惑わす魔物』を退治に行った

教会の討伐隊と合流することになるかと」

 「そうかね。 君らさえよければ、しばらく館に滞在して警護を頼めないかと思ってね」

 「館の警護ですか?」

 「うむ、役目が重くなったので、館に護衛しを雇う必要がでてきたのだが、雇うあてがない。 急ぎ手配するつもり

だが、それまでの間どうだろうか?」

 「そうですね、同道の者と相談してみます」

 ドドットは短く答えてバ車の操縦に戻った。

 一行はその後日が落ちる頃まで旅を進め、街道沿いの旅亭に宿をとった。


 「と言うわけで、伯爵様からの依頼があったんだがどうだ?」

 ドドットはテーブルについているほかの護衛5人を見ながら話した。

 「そのまま雇ってくれるなら鞍替えもいいが、繋ぎだろう?」

 「そうそう、長く雇ってくれないと判っているところじゃなぁ」

 「まぁ、船の方が付くまでの間なら、小遣い稼ぎに雇われてやってもいいかな」

 言いながら、ほかの護衛たちはジョッキで酒をあおっている。

 「そうか、気乗りはしないと言うことだな。 まぁ、返事はあすの朝でいいらしいから、それまでにどうするか決めて

くれ」

 そう言ってドドットは腰を上げた。

 「おい、どこへ行く? ああ、これか」

 一人が下卑た声笑いながら指を立てて見せた。

 「寝るんだよ。 明日も仕事だぞ」

 「明日の昼には到着だろ、大丈夫だ」

 ドドット以外の者は、ジョッキを重ねている。 それを見てドドットは眉をひそめたが、何も言わずに自分の寝場所

に引き上げた。

 (正規の護衛じゃないとは言え、まったく……)

 伯爵一行に同道している護衛は、都の紹介所で集められた者達だったが、ドドット以外は護衛の経験がなかった。

 (最後までやり終えての仕事だろうに)

 心の中でつぶやいてドドットは寝台に転がった。

 
 翌朝、一行はややゆっくりと支度を整えると館へ向けて出発した。

 バッコ、バッコ、バッコ……

 ウーウーウー……

 「ドドット君、気のせいかな、変な唸り声が聞こえる様な」

 「は、はは」

 ひきつった声でごまかしたドドットは後ろを振り返る。 バ車の後ろや御者台の上で、にわか護衛達が青い顔で

唸っていた。

 「あいつら……」

 
 森を抜け、湖の端を回った一行は、ようやくヌル伯爵の館にたどり着いた。

 『伯爵閣下、お帰りなさいまし』

 ずらりと並んだメイド達が頭を下げ、バ車から降りたヌル伯爵、セバスチョン、ルウと二人の少年従者を迎える。

 「セリア、出迎えご苦労様。 ドドット君、みな長旅で疲れたろう。 君たちにも都合をあるかもしれないが、今日は

館で休んで行くといい」

 「ありがとうございます伯爵閣下……」

 礼を言ってからドドットは背後のにわか護衛たちをチラリと見た。 なんとか立っているが、フラフラしていて今にも

ひっくり返りそうだ。 そのくせ、顔がやに下がっているのは、セリア以下のメイド達が色っぽいせいだろうか。 渋い

顔でそっちを見ていたドドットも、メイド達を見ているうちに、その色気に気が付いた。

 (うーむ……これはまた……) 

 ヌル伯爵との荷物を片付けているメイド達は、都の高級な店にいる女たちと遜色がないほど色っぽい。

 (伯爵の趣味かな……間違いがなければいいが)

 もう一度にわか護衛の方を見ると、こちらは都の路地裏にたむろしているチンピラと遜色かせ無いほどだらしない。

 (今夜はメイドさんたちの護衛のためにもう一働きか……やれやれ)

 そっとため息をつくドドットの傍らで、セリアが伯爵に何か告げている。

 「実は奥様が」

 「マドレーヌが? まさか!」

 顔色を変えた伯爵が、館の方を向くのと、館から品の良い夫人が現れるのが同時だった。

 「マドレーヌ!?」

 「貴方、お帰りなさいまし」

 ドレスの端をつまみ、状態をかかがめて優雅に一礼した夫人を、ヌル伯爵が喜びの声を上げて抱きしめた。

 「これは……奇跡だ!」

 「まぁ、貴方。 そんなにお喜びになって」

 子供のように喜ぶ伯爵に、ドドット以下の護衛たちは訳が分からないまま、祝福の礼をとった。 そして、その夜は

伯爵の誘いを受けて館に泊まる事となった。

 「いやぁ、めでたいめでたい」

 「いや全く」

 「お前らなぁ」

 祝いのご馳走に喜ぶ連中の後ろで顔をしかめながらも、つい表情を緩めるドドットだった。


 その頃、海に出たエミたちは……

 「ぐわはははは!! わしの歌を聞けいぃぃぃぃ!!」

 「ギャー、ヤメレェ!! 耳ガクサル!!」

 「近所メーワクダァ!! ヨソヘイケェ!!」

 「エィ、石ブツケチャレ!」

 「あいた!無粋で乱暴な魔物ども! それ者ども、応戦だぁ!」

 「あんたの歌で、全員泡吹いて失神しているわよ」

 「ならば!! 聖なる酒にて心を清め……おぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 「こら、やめい。 酒を飲むんじゃない……ひぃぃぃぃぃ」

 『ギャーァァァァァァァ!!』

 誘惑の歌を武器とする海魔、ウミヘビ娘達と死闘を繰り広げていた。

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