ヌル

第一章 伯爵夫人(2)


 その夜、留守宅を預かる子爵婦人は早々に床についた。 メイドたちも仕事を終えると、自分たちの部屋に戻って寝台に

潜り込み、わずかな自由時間を楽しんでいた。

 「ミリ、あんた昼間、何を持ってきたのよ」

 ミリと同室のエリナが、隣のミリに話しかけた。

 「昼間?……ああ、あれ」 ミリはエリナの方を見て答える。

 「わかんない。 蓋つきのお鍋みたいだったけど」

 「お鍋? そんなものどうしたのよ」

 「湖の岸辺で拾ったのよ」

 ミリとエリナはしばらく謎の拾い物の話をしていたが、拾ったものが宝石とかアクセサリーならともかく、正体不明の『鍋』では

話が盛り上がらない。 話題は屋敷の主人の伯爵への格上げへと移り、やがて話疲れた二人は夜具の中にもぐりこんだ。


 「んー……」

 夜半にミリは目を覚まし、ブルッと震えて起き上がった。

 「……もぅ」

 寝ぼけ眼のまま寝台から足を出し、内履きを履いて廊下に出た。 廊下は墨を流したように暗いが、勝手知ったるお屋敷の中

明かりがなくても不自由なく歩ける。 手と足の感覚を頼りに廊下の端にある目的の場所へ向かった。

 ……

 「ふぅ」

 用をたしたミリは、部屋へ戻ろうと廊下に出て首をひねった。 廊下に並んだ扉の一つ、その下から青白いかすかな光が

漏れているのが見えたのだ。

 「?」

 ミリがいるあたりはメイド部屋、食料庫、倉庫が並んでいて、夜中に明かりが灯ることはない。 ミリはなんとなく足を忍ばせ

光が漏れている扉の前まで行った。 そこは、厨房で使用する道具や食材が収められている倉庫だった。 扉の前で耳を澄ませ

てみたが、何も聞こえない。

 「んー……」

 逡巡したが好奇心に負け、ミリは扉をそっと開いた。 

 「……?」

 扉を開くと青白い横一筋の光が見えたが、闇に慣れた目には光の源がよくわからない。 ミリは目を細めて、何が光っているか

見定めようと一歩中に入った。

 「?」

 ミリが中に入ると、光の筋がすーっと太くなって部屋の中を照らし出し、それで光の源が見えるようになった。 それは、彼女が

拾ってきた『鍋』だった。 『鍋』が貝の様に開いた、中の何かが光を出しているらしかった。

 「あら……」

 中を見定めようと、ミリはさらに一歩踏み出した。 とそのとき、『鍋』の中から細い紐のようなものが飛びだし、床に落ちた。

『紐』は床の上で、ピチピチと数回はねた後、ミリめがけて飛んできた。

 「きゃ……」

 悲鳴を上げかけたミリの足首に『紐』が絡みついた。 その途端、ミリの動きが止まった。 手を上げ、口を開いた姿勢のまま

凍り付いたように動かなくなってしまったのだ。

 ピチピチ……

 ミリの足に絡みついた『紐』が、床の上で跳ねている。 『紐』の端は『鍋』の中に消えており、動かなくなったミリと『鍋』を繋ぐ

形になっている。

 ズリ……

 微かな音とともに、『鍋』の中から奇妙なものが這い出てきた。 表面がヌメヌメと濡れた、太めのナメクジの様な物体だ。 ただ

ナメクジにしては少々大きく、人の太ももほどもある。 もっとも『鍋』が貝だとすれば、その中身がナメクジでも不思議ではなかっ

たろうが。

 トス……

 軽い音を立てて、ミリが床に腰を下ろした。 倒れたのではなく、自分から床に座ったのだ。 しかし、その瞳は宙を見たままで

腰を下ろした後は身動き一つしない。 その間に『鍋』から這い出た『ナメクジ』は、『紐』を手繰り寄せるようにしてミリに近づいて

行き、それにつれて『紐』が短くなっていく。

 ……ピト

 ミリの足に『ナメクジ』が触れ、その瞬間ミリの体がピクリと震えた。 

 ヌルリ……ヌルリ……

 『ナメクジ』はミリの足を伝い、なおも彼女の体に這い進んでくる。 するとミリは体をぎくしゃくと動かし、わずかに足を広げた

宙を見つめたまま……


 ヌルリ……ヌルリ……

 彼女の足にヌルヌルとした痕跡を残した『ナメクジ』は、ついに彼女の神秘に手の届くところまで来た。 『ナメクジ』は辺りを

うかがうように先端をくるりと回し、女の神秘を守る聖なる布地の下にその先端をゆっくりとさし入れる。 同時に、仮面の様に

無表情だったミリの口が僅かに動いた。

 「……あ」

 微かに漏れた声には、紛れもない女の喘ぎの響きがあった。

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