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7.花粉症の方はごめんなさい


早春というには風が冷たい山間を、黒い天使と化したエミが飛ぶ。 辺りの景色から徹底的に浮きまくっているが、この際気にしてもしょうがない。

(こんな日の高い内に飛ぶのは初めてね… まあ山の中だし、目撃される可能性は殆どないはず…)

仮に目撃されたとしても、翼の生えた人間が飛んでいると認識しないだろうとエミは考える。

(今日だけよ。)心の中で自分に言い聞かせた。


エミは目を細めて下界を眺める。

日が沈むにはまだ猶予があり、整った形の杉の木で埋め尽くされた山々は緑に光っている。

目的地はさほど遠くない、一直線に行ければだが。 

下を行けば曲がりくねった林道を行かねばならない。 

鶴組長達が車を飛ばしていても先に着けると踏んでいた。

(それに追われる身… スピード違反なんかして捕まるような事は避ける…わよね…)

さっき見かけた組長達が妙にはしゃいでいたのを思い出し、急に怒りが湧いてきた。

(まったく…少しは立場をわきまえなさい!…)

エミの顔が険しくなる。


トーン…

山間に響いた音がエミの意識を現実に引き戻した。

(!?)

目的地の方向に煙…いや小さいがきのこ雲が上がっている。

「爆発!?それとも工事?…あら?」

白いきのこ雲はすぐに形を崩していく。 その根元辺りから色合いの違う煙が上がり始めた。

山火事かと思ったが、火事の煙とは色合いが違うような気がする。

(…まさか…組長達が…)


どのみち目的地は煙の上がった場所のすぐ近くだ、エミは滑空して近づいて行く。

ツ…(…?…)

その時だった。 エミが二本の角に『何か』を感じたのは。

何かがいる…この先に…角がそう言っている。

「何…これ?…」 初めて感じたその感覚に戸惑うエミ。 このまま進んでいいものか躊躇する。 

だが、組長から『アレ』を取り返さないといけないという思いの方が強かった。

エミは意を決して、きのこ雲の上がった辺りに向けて緩やかに降下していく。


ケホッ…ケホッケホッ…「うー…また爆発したぁ。ミレーヌちゃんのバカァ…」

ミスティは立て続けに咳をしていた。 辺りは白い煙に覆われていたが、すぐに薄れていく。

そこは杉林の中にぽっかりと空いた空き地だった。 

間伐材で作ったらしいテーブルとベンチが置いてあり、ピクニックには絶好だろう、見晴らしがよければ。

あいにくその空き地は、三方を杉の木に囲まれ、残りの一方は細い林道に面し、その向こう側は山肌とそこに植わった杉ばかり。

杉の梢の上から覗く空しか見えない有様だった。

してみるとそこは展望台ではなく只の空き地で、テーブルとベンチは林業にいそしむ人たちが弁当を使う場所かもしれなかった。

今はミスティしかいないその場所で、彼女はテーブルの上にスポーツ新聞を広げ、そこに怪しげな薬品や缶を並べ、たった今まで実験(?)を行なって

いたらしかった。

「うーん、レモン味のとイチゴ味のを混ぜたのに…どーして爆発するのかなぁ…」

小首を傾げ、うっすらと白煙をたなびかせる缶(バ○サ○と書いてある)を見つめた。

サラ…サラサラサラ…

「あれ?雪?」と、ミスティは上から微かく白っぽい粉が降ってくるのに気がついた。

手で受けて舐めて見る。「んー…微かに精気を感じるけど?…」 首を傾げる。

上を見て、それが木から降ってくる事に気がついた。

額に手を当てて考え込む。

「んーと…つまり…木が精気を出しているわけだから…うん!媚薬の調合、大成功!!」

つまり、媚薬の煙で回りのスギの雄花が『いって』しまい盛大にスギ花粉を振りまいていると…こう言いたいらしい。

もっとも植物用の薬が動物や人間に効果があるかどうか…普通は効かないと思うが。

なおこの時発生した濃密なスギ花粉の雲は、翌日風下の町を襲い、まだ季節でないと油断していた大勢の花粉症患者に、凄まじい涙とくしゃみを

プレゼントする事になる…がそれはミスティの預かり知らぬ事であった。


ツ…(…?…) その時ミスティが二本の角に…エミが感じたのと同じように…『何か』を感じた。

「ん?…魔の気配?…」 

ミスティは以外に素早く首を振り、方向を探る。 そして空を見上げた。

「?」

杉の梢の向こうに、黒い鳥のようなものを見つけた。

「…超感覚…ミスティズーム・アイ!」と言いながら、ミスティは背中にしょったピンクのリュックサックから双眼鏡を取り出し目に当てる。

「!!」ミスティはこちらに向ってくるエミを見つけた。

「うそ、ハーピィ?」(飛行中のエミを正面から見るとエミの顔と翼しか見えない。)

ミスティは慌て出す。

「大変!悪い魔物が可愛いミスティちゃんを見つけて捕まえに来たんだ!わーどーしよ!わーどーしよ!」

無意味にパタパタと手を振り辺りを走り回るミスティ。

杉の木の背後に隠れてみるが、木が細くて体がはみ出してしまう。 焦るミスティ。

パニックに陥り、杉の木の下に膝まづくと手を合わせて祈り始めた。

「お願い杉の木さん。 良い子のミスティちゃんを助けて!」

サラサラサラ…ザザー きゃー!

突如として大量のスギ花粉がミスティに降り注ぎ始め、みるみるうちにミスティを埋めていく。

数秒のうちにミスティのいた所に、降り積もったスギ花粉で円錐形の小山が出来上がってしまった。

と、そこからぬっと三センチぐらいの太さの黒い筒が上に向けて突き出ると、ブホッと花粉の塊を吐き出した。

シュコー…シュコー…筒の先端からスギ花粉の薄い霧が出たり入ったりし始めた。

「ファファネッ…フヒノヒファンファ、ヒフヒィノフォヒフォリヒフォファフェヘフレタ」

(やったね…杉の木さんが、ミスティの祈りに応えてくれた。)

と自分に都合のいい解釈をするミスティの頭の上で、大量の花粉を放出した杉の木の葉がみるみる茶色に変色していく…


(この下…杉の木が枯れていく…刺激臭は感じないけど…)

エミは空き地の上を一旦通り過ぎ、螺旋を描きながら緩降下する。

地面の近くで、ニ、三度大きくはばたいて速度を殺しつつ、体を起こして着地姿勢を取る。

ブワッ…地面に降り積もったスギ花粉が白い霞となってエミを包み込む。

エミは着地と同時に翼をマントの様に体に巻きつけた。

瞬間、天から降りてきた黒い天使の姿が白い花粉の霧に包まれる。

僅かな風が白い霧を吹き払うのにあわせてエミは翼を広げた。


(わお!怪奇吸血コウモリ女だったのね!)

花粉の山の中で、ミスティがエミに勝手に命名する。

ちなみになぜミスティがエミを見ることができるかと言うと…花粉の山に何故か覗き穴が出来ていた。


エミはゆっくりと首を巡らした。

あたり一面スギ花粉まみれである。 テーブルの上には正体不明のビンや缶が並び、右手のほうには花粉の小山が出来ている。 そして左手の方

には…

「?」エミは首を傾げた。

2本の木の間に紐と木の枠で作られたものが吊ってある。

「ハンモック?」

エミは考え込んだ。 

ハイカーが休憩していたのだろうか…だがテーブルの上にある物は? そしてこの尋常でないスギ花粉…


エミは何の気なしに『ハンモック』に寄りかかる。

ヒュル…ヒュルルルルル…

「きゃっ!?」

『ハンモック』の紐が一斉にエミに絡みついた。 抵抗する間もなく紐が体を縛り上げ、あろう事か着ていたレオタード、ポーチ、そして靴まで脱がせて

しまう。

ドサッ。

あっという間にエミは素っ裸で縛り上げられ、地面に転がされてしまった。 それも亀甲縛りというやつである。

「な…なによ!これぇ!」

あっけに取られるエミ。


ドドーン!

ブッハッハッハッ!…ゲホッゲホッゲホッ!!

エミから見てテーブルの向こう側にあった花粉の小山から、シュノーケルと水中眼鏡をつけた人間らしきものが飛び出してきた。 

花粉まみれの怪人は、シュノーケルの先端から盛大にスギ花粉を噴出しながらエミに歩み寄る。

エミの目が点になる。 この状況が理解できない。


エミとミスティ。 これが初めての出会いだった。

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