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2.悪魔のおやつ


鶴組長がエミのバッグを持ち逃げした(故意ではないが)その翌朝。

組長は逮捕された爺七朗以外の構成員を集め逃走を図っていた。

黒塗りのベンツと白いバンに分乗しているのはたったの7名。


「いいか。この前、借金のかたに押さえた丸太小屋があったろう、あそこに向え」「親分、ログハウスといってくだせぇ」

「やかましい!」鶴組長が隣のチンピラをどつく。

と、運転していたチンピラが交差点の先の都市高速入り口の辺りに赤い光の点滅を見つけた。

「親分…検問ですぜ」

「わかってる!英、そこのファミレスの横を曲がれ」

「抜けられますかぁ」

「GPSがついてるだろうが」

ごとごとという感じで、ベンツが歩道を横切ってファミレスの駐車場を通り抜け、バンがそれに続く。

街中ではいつどこで警官に出会うか判らない。

逃走中とは言え目立ちたくないのでスピードは控え目にしているが、全員気が焦っている。

角を曲がったところで大型バイクの尻についていく形となった。

住宅街の生活道路、追い抜く隙間などない

「トロトロ走りやがって!」運転している英が苛立ってクラクションを盛大に鳴らす。

するとバイクが止まり、ライダーが降りてこちらに歩いてきた。 黒いライダースーツの胸が大きく膨らんでいる。

「ちっ、スケ(女)のくせにかっこつけやがって…」英はウィンドを開けて女を怒鳴ろうとした。

「てっ…でっ?」言葉が途中で止まった。

大きい。 英が車の運転席に座っているとは言え、その頭のさらに上に女の胸がひさしを作っている。

ライダスーツはグラマラスな体を包みきれず、今にもはじけそうだ。

女は英を見下ろしてヘルメットを取った。

「!!…」 肌が黒い、顔立ちは明らかにアフリカ系だ。 だが、英が驚いたのはそんな事ではなかった。 持っている雰囲気が異様だったのだ。

表情がまるでない、怒っているようでも、戸惑っているようでもない。 人形に見つめられているようだ。

「ナニカヨウカ」女が口を開き、抑揚のない声で尋ねる。

「えー…あ…I can't speak 英語…は、は、は…」

英は愛想笑いをして車をバックさせた。 後ろのバンにぶつかりそうになり、慌ててバンもバックする。

女は気にした様子もなくヘルメットを被り、バイクに跨った。


−−「アパート・コーポ・コポ2F」−−

ボッボッボッ…先程の黒人ライダーは安アパートの前にバイクを止めた。

そこにはもう一台の大型バイク…サイドカーのついたアメリカンバイクが、”でん”と止まっている。

女はヘルメットを取り、タンデム・シートにくくりつけていた安っぽいボール紙の箱、それに木の棒と縄の塊を持つと、ギシギシ軋む階段を上がって、2Fの一室のドアをノックした。

「はーい♪ど〜ぞ〜」やたらに明るい返事が返って来て、女はドアを開けて中に入った。


「あそ〜れ♪混っぜるほっど♪混っぜるほど♪腰がでる〜♪腰がでる〜♪」

調子っ外れの歌を歌っているのは15、6ぐらいの女の子だった。

アパートの玄関から続く台所にタライを置いて、黒っぽいドロドロしたものを太い木の棒でかき回している。

あたりには紙袋や紙箱、空き瓶が散らばっている。

その様子をみて女が僅かに眉をひそめた。 そう、この部屋に入った途端、女に表情が現れたのだ。

「ボンバー」台所に続く居間(と呼べるなら)にもう一人女が座っていて黒人女を手招きする。

ボンバーと呼ばれた女は、ブーツを脱いで台所に上がり…天井に頭を擦りながら…居間に入って、座っていた女の隣に座る。 途端に部屋が狭くなった。

無理もない、元から座っていた女もグラマラスな体格で、殆どボンバーと同じであった…白人であるという点以外は。


女子プロレスラーのような二人は狭いアパートの一室に座って…いや「詰まっている」と言うほうが適切だが…女の子の作業を見学する形となった。

この二人に比べれば、台所の女の子ははるかに「普通」だった。 肌が鮮やかなピンク色でも、耳が妙に尖っていても、頭に角が合っても、背中に小さな翼があっても、尻尾がひょこひょこ動いていても…

「混っぜるほっど♪混っぜるほど♪粘りがでる♪粘りがでる♪」

女の子は汗だくでタライの中身をかき回す。 白いエプロンをつけているが、他は何もつけていない。

「悪魔の裸エプロンと言うわけか…」ボンバーが言う。

このピンクの肌の少女は、自称「小悪魔ミスティ」。 只者でない事は間違いないが本当に悪魔なのかは定かではない。

そして、居間に座っているのがボンバーとブロンディ。 黒人がボンバーで白人がブロンディである。

この二人、その並外れた体格の為ミスティよりはるかに人間離れして見える。

対してミスティは、角や翼、尻尾といった「小悪魔アイテム」は揃っているが、せいぜいコスプレしている女子高生ぐらいにしか見えない。


「で、なにをやっているんだって?日本食の『蕎麦』でもうっているのか?」とボンバー。

「おやつの『コーヒーゼリー』だと」ブロンディが答える。

言われてみると、転がっている空き瓶はみなインスタント・コーヒーだし、紙箱には「クッキングゼリー」と書いてあるのだが…

「…あれも材料か?…」ボンバーが指差した袋には「粉末こんにゃく」…セメント袋と見まごう程の袋が無造作に置いてある。

「あいつは何事も大雑把だからな。 水だゼリーだコーヒーだと目分量で混ぜていたら…」

「で不足分をおぎなったと…」

背後の二人の会話も気にとめず、ミスティは一生懸命『コーヒーゼリー』をかき回す。

吹き出た汗がポタポタとタライの中に落ち、ドロドロに練りこまれて…

ブク…ブクブクブク…ゼリーが妙に泡立ち始めた…


「おっと、ミスティ。ミレーヌからこれとこれを預かってきたぞ」

ボンバーはミスティに先程の紙箱ともうひとつの正体不明の物体を示した。

「えっ!なになに♪」

そう言いながら、ミスティはボンバーの方を向くが手は止めない。 手探りで近くにあったビニール袋の中身をタライ開ける。

ボ…コッ…ミスティは気がつかないが、今度はどんぶりほどの泡ができ、粘っこい音を立てて潰れた。

「お前が頼んでた物だと言っていたぞ…確か『媚薬調合セット』だとか」

ボンバーは紙箱の文字を読もうとしていたが、日本語が読めないようで首を傾げている。


ボンバーの言葉を聞いたミスティは、木の棒(麺うち棒だったようだ)を放り出して、居間に飛び込んできた。

「きゃー♪」嬉しげな声を上げると、紙箱の蓋を開ける。

中には、プラスチックの小さなビンが幾つも入っていて、その中には様々な毒々しい色の液体が入っている。

ブロンディは紙箱の蓋の方を取り上げ、表の文字を見ていた。

「『良い子の昆虫採集セット』…」そして箱の中から注射器を取り上げてしみじみと眺める。「大丈夫か?…」

ミスティは鼻歌交じりに早速小ビンを取り出し始めた。 が、ブロンディが止めた。

「待て、ミスティ。ここに『部屋の中で調合しないでね。特にミスティちゃんは。ミレーヌ』と書いてあるぞ」

ブロンディは箱の裏側を示した。

「えー?」ミスティはなんだか不満そうな声を上げた。

「外でやるの?面倒くさいょ…」「うむ。それに近所はまずいかもしれない…」

ブロンディとミスティは何やら相談し始めた。

そして…台所ではボコボコとタライの中で泡が出ては潰れを繰り返し、ボンバーが引きつった顔でそれを見ていた。


「…だから人があまり来ない所がいいだろう。山の中で適当な場所を知っている。『所有』がはっきりしていないからミスティも問題なく行ける」

「山…わーい♪ピクニックだ♪」

「ピクニック…だが私とボンバーはミレーヌに手伝いを頼まれているぞ」

「えー」不満そうなミスティ。

「送ってやる。私達はその後ミレーヌの所に行く。帰る時は電話をくれ。迎に行くから」そう言って携帯電話を示すブロンディ。

「しょうがないなぁ…じゃあ送って♪」

そう言うとミスティはニコニコして支度を始めた。


少しして、アパートの扉が開き、白いセータにGパン姿のミスティが膨らんだリュックサックを背負って出て来て、元気に階段を下りていった。

続いてボンバーが出てきた。 彼女は『媚薬調合セット』と正体不明の縄の塊を持っている。

そしてブロンディは…タライに話しかけていた。

「おい…喰われるのが嫌なら、今のうちに逃げ出したほうがいいぞ」

タライの中でコールタールのような塊が動いていたが、それはプロンディの声に反応するようにブルンと震えた。

玄関から出たブロンディにボンバーが声を掛ける。

「いいのか?逃がして?」「ミスティは喰い意地が張っているからな…帰って来たらきっと食べようとするぞ」

ボンバーは無言で頷き、ブロンディと共に階段を降りる。

やがて、重々しい音が響いて3人はアパートを後にする。


無人となった部屋の中で『コーヒー・ゼリー』が不気味に脈動していた。

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