8:翼…そして再び鏡


−マンション・マジステール 13F−

恵美が帰ってきた、空から。
スーっ音もなくベランダに降り立つ、
13Fの為、よくベランダ側の鍵をかけ忘れたものだが、今夜はそれが幸いした。

カラリとベランダの扉を開けて室内に戻る。
”コート…”
コートをなくした事が気になって、他のことに気が回らない。
自分のコートだとわかるかもしれない。もし、警察沙汰になったらどう言い訳すべきか。
ベッドに腰掛け、前の鏡をみる。
またサキュバスが現れている。
”あらまた…え?…!”

サキュバスが映っているのではない、自分の姿であった。
頭が冷たくなる、絶望感が広がる、さっきまで心にかかっていた妖しい霧が晴れていく。
「イヤ、イヤ、いやーーーーーーーーー!!」
鏡に映るおのが姿、牙が、伸びた爪が、尻尾が、何よりも黒い翼が自分が人である事を否定する。

”どうして、こなんなことに…”
決まっている、サキュバスのくれた金色の卵、それしかあり得ない。
もう一度鏡をみる。ひび割れた鏡には自分しか映っていない。
どうすれば!パニックになって対応が想い浮かばない。
”でも…これも悪くないかも…オトコ…”
ふっとそんな考えが、頭に浮かぶ、そして愕然とする。
”心までサキュバスになりかけてる!…そんな…”
そこまできて、やっと責任者を呼び出す事に思い当たる。

鏡の前で念じる。
”責任者よ、きたれ!!”
違った。
”悪魔よ、きたれ!!”
鏡に波紋が広がる。
鏡の向こうに、サキュバスが現れる。
さっきと同じようにベッドに腰掛けている。

今までのことを思い出しながら問い詰める。
「あれは!あの卵は!」
「アレハ、さきゅばすノ衝動ト本能ヲ植エ付ケルモノ…ソシテ…」
「そんなものを!何の為に!戻して、元の姿に!!」
「望ンダノハアナタヨ…フフッ…」
「違う、私が望んだのは!!」
「彼ト寝タイ…」
「化け物になりたかったんじゃない!!」
「彼ニ抱カレタイ…」
「それは、人間のままで…」
「ダカラ、悪魔ヲ、呼ンダ…」
「単なる冗談で!!」
「鏡ニ向カッテ悪魔ヲ呼ンダ、ダカラ私ハアナタ自身…」
「あなたが私の本性だとでも!!」
「ソウイウコトニナルノカシラ…」

恵美はショックを受ける、呆けたようにベッドに座り込む。
「違う…私は…」
「キモチヨカッタデショウ…」
「そう、気持ちよかった…」
「男ノ精気ハ、美味シカッタ…」
「男の精気は、とても熱くて美味しかった…あ…違う!」
恵美は必死で自分の中に湧き上がるサキュバスの本能を抑える。

「アキラメナサイ…モウ戻レナイ、後ハ完全ナさきゅばすニナルシカナイ…サア…」
サキュバスの瞳が金色に輝き、恵美の瞳を捕らえる。
だが、すでに恵美も人ではない。
魔性の力をはじく。
サキュバスが苦笑している。
「抵抗シナイデ…気持チヨク、仲間ニシテアゲル…」

「いやーーーーーーーーー!!」
再び空に飛び出す恵美。
人の心を取り戻しても、サキュバスの本能が翼を動かす。
「タスケテ、タスケテ、助けて!!」
どこへ行けばいいの!誰に助けを請えばいいの!
恵美の心に浮かぶのは。
あの人!、あの人の所に!あの人に!
恵美は向かう最後の希望に、だが忘れていた、そもそもの始まりが何であったか。


【<<】【>>】


【鏡:目次】

【小説の部屋:トップ】