ワックス・フィギュア
16.虜囚
−−− 某国潜水艦『K-329』 −−−
ランデルハウス教授の発表会の翌日、日本近海から北上する一隻の潜水艦があった。
某国の潜水艦『K-329』、その士官用個室の一つに、マジステール大学から姿を消した『ワックス・フィギュア』の姿があった。 『ワックス・フィギュア』は、
椅子に座ったまま身動き一つしない、その名前のように。 彼女の様子は、室内カメラが24時間捉え、その画像は政治士官室のモニタに映し出されていた。
その画像を部屋の主、政治士官と、艦長が見ている。
「艦長、到着予定は変わらないかね?」
「予定通りだ。 『荷』は時間通りに陸揚げされる。 しかし……アレは本当に生きているのか? 身動き一つしないではないか」
「この艦に乗り込むとき、自分で扉を開けたではないか。 君も立ちあったはずだ」
「それはそうだが……あの椅子に座ってかれこれ10時間、ピクリとも動かないぞ」
艦長がそう言うと、政治士官も不安そうな表情になった。 インタホーンのボタンを押し、士官室を呼び出す。
”何か不自由はないか?”
モニタに映った『ワックス・フィギュア』の顔が、少しだけ動いた。
”不自由ハ ナイ”
「みろ。 返事をしたではないか」
「うむ……」
確かに『ワックス・フィギュア』返事はしたが、質問に答えただけで、後は無反応。 艦長は不安を拭いきれないようだ。
「あの大学には、顔に色を塗ったり、退廃的な服装の連中が大勢いると聞くぞ。 間違って、そんな連中を連れてきていないだろうな?」
「あの体を見たろう。 赤色の半透明な体だ。 人のはずはなかろう。 それともなにか、身分証明書でもあるのか『宇宙人』の」
「いや……念を入れて、確認したかっただけだ」
艦長はぼそぼそと答えた。
−−− 三日後 某国 北部の軍研究施設 −−−
潜水艦で輸送された『ワックス・フィギュア』は、軍港で陸揚げされ、この施設に運ばれてきた。 彼女はここまで、抵抗する素振りも見せず、随行員や
兵士の指示に素直に従う。 いや、指示がなければ身動き一つしないその様子は、素直と言うより、意志を持たない人形のようだ。
「『荷』を引き渡します」
「受領しました」
『ワックス・フィギュア』を施設の研究員に引き渡した随行員たちは、逃げるように施設を後にした。 書類をめくりながら、主任研究員が呟く。
「随分と急いでいたな」
「無理もないですよ。 彼女が、2年前の『宇宙人』の同類なら……」
「2年前? 潜水艦の事故のなら、操作ミスによるものと発表があった」
主任研究員は、書類の束を部下の研究員に渡し、『ワックス・フィギュア』を医療用の隔離施設に搬送させた。
隔離施設の研究員たちは、『ワックス・フィギュア』に、人間用の健康診断プロトコルで、『健康診断』を始めた。
「血圧、測定不能。 採血もできません。 脈拍……検知できません」
「体温……室温と変わりません」
「脈貸せなくて体温が室温と同じ? 本当に生きているのか? 急いで健康状態を確認したまえ。 貴重な生体サンプルに、もしものことがあったら大変だぞ」
「主任、数値が正常値の範囲外ばかりで、健康状態が判定不可能です。 生きてはいるようですが」
「しかたがない。 出来る限りのデータ収集を行え。 ただし、薬物の投与は行うな……」
研究員たちは、『ワックス・フィギュア』に脳波測定、CTスキャン、MRI、X線とありったけの検査を行った。 そして、その結果に頭を抱える。
「なんだこれは……内臓はおろか、筋肉も、皮膚もない」
「生体分析の結果は……ワックスと同一の物質とでました」
「ワックスだと? あれは蝋人形だとでもいうのか!?」
「そんなばかな。 話しかければ応えるし、立って歩きますよ」
あり得ない検査結果に困惑する研究員たち。
「所持品の検査結果はどうだ?」
「服は白衣で、特に変わった点はありません。 後はセラミック容器(梅干しの甕)ですが、中は空でワックスと有機物の痕跡がありました」
「有機物?」
「はい。 ただし容器自体は地球製です」
結局、その日の調査では『ワックス・フィギュア』が生き物なのか、どうやって動いているか、判らずじまいだった。 翌日からはアプローチを変えて、動いて
いる状態で検査を行うものとし、検査は終了となった。
「明日以降の検査スケジュールを作らないと……」
「彼女の定期健診も入れておけよ」
「そうだな今日の当番に指示しないと……」
数時間後、『ワックス・フィギュア』の部屋を、女性研究員が検診に訪れた。 この研究員は、定年間近で最古参の一人だった。
「腕を出して。 体温と血圧、脈拍を計るわ」
検診結果をクリップボードに書き込みながら、定型の質問を口にする。
「何か欲しいものはある?」
「欲しい?……ホシイ……」
『ワックス・フィギュア』が顔を上げ、椅子から立ち上がった。 その動きに驚き、研究員が半歩下がった。
「な、なによ」
「ホシイ……ノゾミ……ノゾミハ……ナニカ」
「え?……いえ聞いているのは私で……」
『ワックス・フィギュア』は白衣をはだけ、胸の前で両手の掌を合わせ、左右に開いた。 研究員はその動きにつられ、彼女の胸に視線を落とす。
「……発光している?」
『ワックス・フィギュア』の胸の中で、小さな炎が灯る。
「これは……どういう現象なの」
年は取っても彼女は研究員、サンプルに生じた変化を見逃すことはしない。 『ワックス・フィギュア』の前にひざをつき、胸の炎を食い入る様に観察する。
「どうなってる……」
炎が揺れる『ワックス・フィギュア』の中で、揺らめく炎の灯りが半透明の体を内から照らし、赤い女体がランプのように部屋を照らす。 その光景に研究
員の眼がくぎ付けになる。
「ノゾミヲイエ……」
「のぞみ……」
「ノゾミダ……」
「のぞみ……」
呆けたように繰り返す研究員。 炎に魅せられた彼女は、夢に捕まった様になり、『ワックス・フィギュア』の言葉が頭を素通りしているようだ。 そんな
研究員じれてきたのか『ワックス・フィギュア』は、彼女の頭を手で挟み、軽く揺すった。
「ノゾミヲイエ……」
「のぞみ……」
揺すった時に『ワックス・フィギュア』の胸が大きく揺れた、その胸を見ているうちに研究員の心に一つの願いが浮かんできた。
「ああ……あんな体があったら……」
「カラダ?」
「若い……いえ……あんな美しい体だったら……」
口から洩れるのは、彼女の奥にしまい込まれていた想い、それが言葉の形を取ったもの……だったのだろう。
「コノ体ガホシイカ……」
「ホシイ……欲しい……欲しい!」
声に力がこもる。 その声に『ワックス・フィギュア』が頷いた。
『ワックス・フィギュア』は研究員の首に腕を絡め、唇を奪う。 その動きに研究員は驚き、正気を取り戻す。
「な、なにをするの、やめなさい」
腕を振りほどくが、『ワックス・フィギュア』はその腕を捕まえ、服をはだけ、ズボンを脱がす。
「きゃぁ!?」
いつの間にか、『ワックス・フィギュア』の腕が6本に増えていた。 その腕を器用に使い、研究員の服を脱がすと、飾り気のない寝台に押し倒した。
「だ、だれか! あ、見ているでしょう、何とかしてぇ!」
研究員は、部屋の隅の監視カメラに向かって叫んだ。
「いかん!」
監視室での守衛が異変に気がついた。 画像をさっと確認すると、非常ベルに手を伸ばし……押す寸前でその手が掴まれた。
「誰だ!……主任!? 何をするんですか、早く止めないと!」
「まだ止めるな」
信じられない主任の言葉に守衛は愕然とする。
「ど、どうして」
「『宇宙人』が何をしようとしているか、見定める。 止めるのはそれからでも遅くない」
「お、遅くないって、主任! 施設長が聞いたら……」
「『平研究員の3人までなら、不問に付す』と言われている。 家族がなく、定年間近の研究員となればなおのことだ。 後で国への貢献を讃えて、記念
碑の一つも立てれば、年金で養うより安上がりだ」
「あ、あんた……」
「それとも、彼女に代わるか?」
守衛は苦悩の表情を見せた後、首を振って椅子に座った。
「心配するな、危険になったら止めにいけばいいだろう」
「間に合えばいいですがね」
監視カメラの画像では、裸にされた研究員が、ベッドに押し倒されようとしていた。
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